6月第2週目の文化祭(『春高祭』といわれます)での、「メインイベント」と言っても過言でない『臙脂の集い』まで、1ヶ月を切ると、練習は益々厳しくなっていきました。
この時期になると、やはり「テク」の練習が主になり、これを長時間行うことでステージ演技に必要な体力を身に付けていく格好になります。
したがって、体力強化を目的に行う「ハード」の練習は、『臙脂の集い』の本番当日に近づくにつれ、全くなくなっていきます。
当然ながら、「レク」でソフトボールをすることもなくなります。
1ヶ月を切る頃になると、練習する時間帯も「放課後」だけでなく、1時限目の授業が始まる1時間前から始業まで「朝練」も始まり、2回目の昼休みの25分間にも「昼練」が行われるようになります。
小生、元々朝は比較的強いので、「朝練」では、部室到着1番乗りで大抵部室の施錠を解く役目でした。6時45分頃には登校していたと思います。
よって、実家(=自宅)を出発するのは、当然6時ちょっと前になります。
起床は5時でした。
そのために、朝早く起床して、食事の準備や昼食の弁当作りを一生懸命してくれた母には、感謝ですね。
「昼練」も遅刻するわけにはいかないので、4時限目の授業が終わると「ダッシュ」して部室に向かった記憶があります。
2年生は、この25分間に「春高ブローク」の練習を、ひたすら課されていたと思います。
3年生幹部が最低一人見守り、厳しく指導なさいます。
決して、妥協は許されない状況となります。
来年は、小生達があの立場になるかと思うと…震えましたね。
小生達1年生は、2年生の後ろで構えて、応援歌をひたすら歌い、手を叩く「サーブ」や、「春高音頭」の際に行う「音頭サーブ」(普通のサーブと、ちょっと異なるのです)や、拍手演技の時の「拍手」を、とにかくステージに立っても恥ずかしくない程度になるまで、「身体で覚える」まで練習した記憶が、覚束ないですがあります。
とにかく、学校にその日登校すれば、『臙脂の集い』まで、授業は「そっちのけ」でした…。
むしろ、授業時間が「休憩時間」で…本分と逆のことをしているので叱られそうですが…「睡眠学習」でしたね。
また、厳しいのは、『臙脂の集い』で披露する「余興」(『六旗の下に』をご覧になった読者の皆さんに分かりやすく申し上げると、「演芸」と呼ばれるものと一緒です)のネタを、毎日1人10個程度は考えないといけなかったことです。
他人を笑わす「エンターテイナー性」が皆無に等しい小生には、これが辛かった…。
3年生幹部が、笑ってくれなければ、当然ネタは「没」となります。
これを毎日考えるのも、必死でしたね。
この「余興」に対して厳しかったのがKT先輩で、「新入生歓迎コンパ」の時とは一転していました…。
面白くない「余興」に対しては、それでも断罪するのではなく…
「この余興は、こういうクオリティーのものだから、こうした方がお客さんが喜ぶぞ」とか、
「「劇」をやっているんじゃないから、そっちに走るな」とか、
「今の「余興」のオチが分からないから、分かるように工夫しろ」
といったアドバイスを、厳しい面持ちながら、丁寧にご指摘くださいましたね…。
さて、こういった形で練習に厳しさが一層増す状況の陰では、これにさすがに音を上げる1年生同期の部員が現れ始め、数名が「リタイア」していきました…。
小生と同じ1年6組から入部した仲間も…『臙脂の集い』の2週間ほど前に、「リタイア」していきました…。
早くも、1年生が「12名」の体制から、崩れていったのです…。
では、小生はどうか…。
当然ながら、一度乗った船ですし、53番との「約束」もあります。
これは、「男と男の約束」ですから、破るわけにはいきません。
少し前から、南さんとも電話で話をするようになり、53番の様子などを聞いたりしていましたが、彼も頑張っているとの報告を受けるたびに、負けられない気持ちがありました。
それと…近くの女子校に通う、初恋の相手であるTSさんの「存在」もありました。
TSさんに、再び「振り向いて」もらえるまでは、絶対に辞めたくない…。
そう思っていました。
完全に「男の意地」ですね…。
ちょっと脱線しますが、実は、同じ出身中学校で、ピアノが上手な女子生徒は数えるくらいしかいなかったのですが、TSさんと南さんは、小生の目から見ても、明らかに群を抜いていましたね。
そんな二人ですから、いい意味での「ライバル」で仲が良く、中学2年生の時は、同じクラスにもなっていますから、TSさんと再び仲良くなるための「相談」みたいなことを、南さんに持ちかけていました…。
今にして思うと、大変「失礼」なことを南さんに対しては、してしまいましたが…。
(ずっと後にお話しますが…小生がもっと「鋭かった」ら、南さんの「気持ち」に気付くことはできたのですが…「盲目」でした…。)
話を元に戻しますが、とにかく、12名でこのまま進みたいと思っていた矢先でしたから、「リタイア」が出たことは、残念な出来事でしたね。
でも、逆にいえば、この練習の厳しさを乗り越えなければ、この先も立派な「応援指導部員」として、全校生徒の前で、「リーダーシップ」を発揮するような大役は務まらないのですよね…。
こうして残念ながらも「リタイア者」が出てくる中でも、練習の厳しさに一層拍車がかかるのは変わりはありません。
『臙脂の集い』の本番が1日1日近づくにつれ、1日の持つ「意味」も次第に「濃厚」になっていきます…。
それでも歯を食いしばって、なんとか「食らい付く」毎日だったのです…。
次回は、そんな練習の厳しさが増し、残り僅かの日数となった3年生幹部の先輩方と練習をご一緒させていただく中で、2学年も「下」の小生達1年生に対し、さりげない「心優しさ」を示してくださった、OBとなった今でも親しくさせていただいている、KT先輩のことについて触れたいと思います。
(先日、KT先輩とお邪魔した『散歩道』の皆さん…ついにこのときが来ました。どうぞお楽しみに。)
その次は、本当に「地獄」と化した「事件」と、それに関わる先輩方や顧問のM先生の「偉大さ」についてお話したいと思います。
さらにその次以降は、いよいよ『臙脂の集い』前日までの、「過酷な練習」についてお話し、『第25回 臙脂の集い』当日の「感動」をリアル感たっぷりにお話できたら…と思います。
どうぞ、お楽しみに。
(次回に続く)
この時期になると、やはり「テク」の練習が主になり、これを長時間行うことでステージ演技に必要な体力を身に付けていく格好になります。
したがって、体力強化を目的に行う「ハード」の練習は、『臙脂の集い』の本番当日に近づくにつれ、全くなくなっていきます。
当然ながら、「レク」でソフトボールをすることもなくなります。
1ヶ月を切る頃になると、練習する時間帯も「放課後」だけでなく、1時限目の授業が始まる1時間前から始業まで「朝練」も始まり、2回目の昼休みの25分間にも「昼練」が行われるようになります。
小生、元々朝は比較的強いので、「朝練」では、部室到着1番乗りで大抵部室の施錠を解く役目でした。6時45分頃には登校していたと思います。
よって、実家(=自宅)を出発するのは、当然6時ちょっと前になります。
起床は5時でした。
そのために、朝早く起床して、食事の準備や昼食の弁当作りを一生懸命してくれた母には、感謝ですね。
「昼練」も遅刻するわけにはいかないので、4時限目の授業が終わると「ダッシュ」して部室に向かった記憶があります。
2年生は、この25分間に「春高ブローク」の練習を、ひたすら課されていたと思います。
3年生幹部が最低一人見守り、厳しく指導なさいます。
決して、妥協は許されない状況となります。
来年は、小生達があの立場になるかと思うと…震えましたね。
小生達1年生は、2年生の後ろで構えて、応援歌をひたすら歌い、手を叩く「サーブ」や、「春高音頭」の際に行う「音頭サーブ」(普通のサーブと、ちょっと異なるのです)や、拍手演技の時の「拍手」を、とにかくステージに立っても恥ずかしくない程度になるまで、「身体で覚える」まで練習した記憶が、覚束ないですがあります。
とにかく、学校にその日登校すれば、『臙脂の集い』まで、授業は「そっちのけ」でした…。
むしろ、授業時間が「休憩時間」で…本分と逆のことをしているので叱られそうですが…「睡眠学習」でしたね。
また、厳しいのは、『臙脂の集い』で披露する「余興」(『六旗の下に』をご覧になった読者の皆さんに分かりやすく申し上げると、「演芸」と呼ばれるものと一緒です)のネタを、毎日1人10個程度は考えないといけなかったことです。
他人を笑わす「エンターテイナー性」が皆無に等しい小生には、これが辛かった…。
3年生幹部が、笑ってくれなければ、当然ネタは「没」となります。
これを毎日考えるのも、必死でしたね。
この「余興」に対して厳しかったのがKT先輩で、「新入生歓迎コンパ」の時とは一転していました…。
面白くない「余興」に対しては、それでも断罪するのではなく…
「この余興は、こういうクオリティーのものだから、こうした方がお客さんが喜ぶぞ」とか、
「「劇」をやっているんじゃないから、そっちに走るな」とか、
「今の「余興」のオチが分からないから、分かるように工夫しろ」
といったアドバイスを、厳しい面持ちながら、丁寧にご指摘くださいましたね…。
さて、こういった形で練習に厳しさが一層増す状況の陰では、これにさすがに音を上げる1年生同期の部員が現れ始め、数名が「リタイア」していきました…。
小生と同じ1年6組から入部した仲間も…『臙脂の集い』の2週間ほど前に、「リタイア」していきました…。
早くも、1年生が「12名」の体制から、崩れていったのです…。
では、小生はどうか…。
当然ながら、一度乗った船ですし、53番との「約束」もあります。
これは、「男と男の約束」ですから、破るわけにはいきません。
少し前から、南さんとも電話で話をするようになり、53番の様子などを聞いたりしていましたが、彼も頑張っているとの報告を受けるたびに、負けられない気持ちがありました。
それと…近くの女子校に通う、初恋の相手であるTSさんの「存在」もありました。
TSさんに、再び「振り向いて」もらえるまでは、絶対に辞めたくない…。
そう思っていました。
完全に「男の意地」ですね…。
ちょっと脱線しますが、実は、同じ出身中学校で、ピアノが上手な女子生徒は数えるくらいしかいなかったのですが、TSさんと南さんは、小生の目から見ても、明らかに群を抜いていましたね。
そんな二人ですから、いい意味での「ライバル」で仲が良く、中学2年生の時は、同じクラスにもなっていますから、TSさんと再び仲良くなるための「相談」みたいなことを、南さんに持ちかけていました…。
今にして思うと、大変「失礼」なことを南さんに対しては、してしまいましたが…。
(ずっと後にお話しますが…小生がもっと「鋭かった」ら、南さんの「気持ち」に気付くことはできたのですが…「盲目」でした…。)
話を元に戻しますが、とにかく、12名でこのまま進みたいと思っていた矢先でしたから、「リタイア」が出たことは、残念な出来事でしたね。
でも、逆にいえば、この練習の厳しさを乗り越えなければ、この先も立派な「応援指導部員」として、全校生徒の前で、「リーダーシップ」を発揮するような大役は務まらないのですよね…。
こうして残念ながらも「リタイア者」が出てくる中でも、練習の厳しさに一層拍車がかかるのは変わりはありません。
『臙脂の集い』の本番が1日1日近づくにつれ、1日の持つ「意味」も次第に「濃厚」になっていきます…。
それでも歯を食いしばって、なんとか「食らい付く」毎日だったのです…。
次回は、そんな練習の厳しさが増し、残り僅かの日数となった3年生幹部の先輩方と練習をご一緒させていただく中で、2学年も「下」の小生達1年生に対し、さりげない「心優しさ」を示してくださった、OBとなった今でも親しくさせていただいている、KT先輩のことについて触れたいと思います。
(先日、KT先輩とお邪魔した『散歩道』の皆さん…ついにこのときが来ました。どうぞお楽しみに。)
その次は、本当に「地獄」と化した「事件」と、それに関わる先輩方や顧問のM先生の「偉大さ」についてお話したいと思います。
さらにその次以降は、いよいよ『臙脂の集い』前日までの、「過酷な練習」についてお話し、『第25回 臙脂の集い』当日の「感動」をリアル感たっぷりにお話できたら…と思います。
どうぞ、お楽しみに。
(次回に続く)
自分は最後まで残ったほうです
話が飛びますが、研究職につくのはどうですか?
やりたい事できますか?お金もらってますか?
ようこそいらっしゃいました。
継続は力なり…もう、乗りかかった船ですし、自分自身にも、友人とも約束がありましたからね…。
引くわけにはいかなかったです。
小生は、現在は、今のポジションでとにかく精一杯やりたいと思っています。
あまり、報酬をお金に求めてもおりません。
何事も楽しくやりたいとは、思っていますが…。
今後とも、宜しくお願いします。
先日、機会があり清宮克幸氏の話を聞きました。セミナーでしたが、レジュメもなく清宮氏が一人でマイクを持ちステージで話す形でした。
タイトルは「明日を担うリーダーを育てるために」、サブタイトルが「勝てる組織、勝てるリーダーの作り方」
私は清宮氏という方は、マスコミを通じてしか知りませんでしたが、傲慢な感じを受けておりあまり好きではありませんでした。当日の話の内容も「個々の能力を見極め、それにあったポジションを与え指導する」的なことだろうと勝手に(私の場合、この勝手な思い込みが非常に多いのです)思っておりました。
しかし、清宮氏の口から出たのは①熱 ②ことば ③ミッションとビジョン でした。
「何じゃそりゃ」と思っているうちに「応援団と同じでは・・」と思ってきたのです。
①母校を愛する熱 勝たせたいという熱
②選手を鼓舞し周りを盛り上げ一体感を引き出すこと ば
③リーダーを始めそれぞれの立場でなすべき事を精一杯行う団員
今のご時世 もっとスマートなことで成長している企業もあるのでしょうが、清宮氏の話を聞きながら世の中・人間の心はそうそう変わるものではないんだろうなぁ。などと思った次第でした。
私が応援団経験者でもないのに、応援団が好きなのは、そんな人間になりたいという気持ちがあるのかなぁなどと思いながら聞いてきました。
相変わらずの駄文をだらだら書かせてもらい失礼しました。では
久々に、「う~む」と唸らされてしまいました。
・・・なんかこのブログ、段々すごくなっていませんか?
わらさん、駄文では決してありません。
最初にコメントを拝読して、こちらが震えました。
素晴らしい内容に、心から賛辞を贈りたいと存じます。
また、このようなコメントを頂戴できますこと、恐悦至極に存じます。
もう、小生から申し上げることは、何もありません。
なぜならば、「T先輩と言われし男」“大”先輩のおっしゃることが、『応援』のスピリッツそのものだからです。
大先輩のお心にも響いたコメントです。素晴らしいです。
詳細なコメントを頂戴した先輩は、小生など足元にも及ばない、大変熱いお方です。
小生が現役当時も、応援のしきたりなどで迷いが生じたら、真っ先にご教示をお願いしたお方でもあります。
改めて先輩から、『応援』という言葉の奥深さを勉強させていただきました。篤く御礼申し上げます。
それと、告知です。
先輩から直々にお話いただいた内容…大変遅くなりましたが、草稿がほぼ終了しましたので、近日中にエントリーします。
なので、万が一内容に理解違い、聞き漏らし、補足などございましたら、先輩…遠慮なくお申し付け下されば大変幸甚に存じます。
間違っている箇所はすぐに修正しますし、足りない分は付け足します。
間違ったことを間違ったまま…では、明治大学応援團の現役の皆さんはもちろん、OBの大先輩方にも大変失礼に当たりますので、宜しくお願い申し上げます。
わらさん、ssayさん…どうぞお楽しみに。
ssayさん…小生が属した春日部高校応援指導部とは、こんな素晴らしい先輩方、同期、後輩達が集う、かけがえのない場所です。
改めて、3年間続けたことの意味の大きさ…痛感しています。
コメント欄が「凄いこと」になっているのは、管理人の小生自身も、実は震え上がっていますが、素晴らしいコメントを、こんな拙い内容のブログに対して頂戴できますことを、本当に光栄に思いますね。
今後とも、『Danchoのお気楽Diary』へのご支援・ご指導を、宜しくお願い申し上げます。
先ずは、コメントを頂戴しました御三方に、心より御礼まで。