知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「桂離宮 ~知られざる王朝の美~」

2010年03月22日 20時13分14秒 | 日本の美
これもNHK-BSで放映されたものを見ました。

~番組紹介より~
「日本の美の極致」とされる桂離宮。江戸時代初期、徳川幕府が「禁中並びに公家諸法度」を作り宮中への強い制限を加える中、京都の公家は文化面で対抗し「自らこそ本物の日本文化の継承者」と自負した。そうした時代、八条宮智仁・智忠親王父子によって造営されたのが桂離宮である。智仁親王は豊臣秀吉の養子となるが解消され八条宮家を創設してもらう。その資金と武家への対抗心を背景に、王朝の美を凝縮させた別荘・桂離宮を作り上げた。公家たちが、庭園にしつらえた茶屋をめぐっては和歌など雅な遊びに興じた場。仔細に見つめると、随所に八条宮親子の美的感覚がうかがえ、その人物像さえ立ち上がってくる。

 和の美を極めた夏の別荘・・・その目指す先には源氏物語の世界がありました。平安時代に栄華を誇った藤原道長が桂川流域に別荘を所有したと伝えられ、それが源氏物語のモデルになったそうな。
 江戸初期に源氏物語に憧れて、贅を尽くした別荘を建てた粋人がいたと考えるだけで何だかうれしくなります。

 当時振る舞われたであろう料理を再現したものに興味を引かれました。
 季節の野菜と桂川でとれた鮎・・・お腹が喜びそう。
 あの瓜を食べてみたいな。
 煮卵もありました(当時の鶏卵は貴重品)。
 その調理法は・・・割った卵を和紙に包み、ダシ入りのお湯で煮込みます。広げると和紙のしわが花びらの形になり「牡丹」に見えるのです。
 やりますねえ。
 実際に調理した板前さんは「これは湯加減が難しい。ずっとこの場を離れられない。」と苦笑していました。
 肉や天ぷらなどが受け付けなくなってきた年齢の私には、これ以上ないごちそうに見えました。

 桂離宮の建築には随所に嗜好が凝らされています。
 襖の金具は松の葉をデフォルメしたもの、壁紙は微妙な光の加減で表情を変える文様(雲母が使われています)。

 きらびやかな装飾ではなく、見つめていると奥深さに感じ入るような「和」の美学。
 素晴らしい。
 わかる人にしかわかりません(苦笑)。

 日本の宮廷生活って縁遠いというか、現代日本人には馴染みがありませんね。
 どちらかというと西洋貴族の社交界の雰囲気に憧れる傾向があります。
 男性ファッション誌にはスーツや靴に関する情報が溢れていますが、和服や下駄・草履を扱う業界誌は見あたらない。

 なぜなんだろう。
 これも明治維新の影響かなあ。
 それまでの日本を否定して、世界に追いつけ追い越せという時代でしたから。

 この番組でも、BGMは西洋音楽の楽器であるヴァイオリンやピアノでした。
 考えてみるとちょっとヘンです。
 和楽器の出番はないの? と突っ込みたくなりました。

新日本風土記「出雲~祈りの大地 神々のふるさと~」を見て

2010年03月22日 07時36分01秒 | 神社・神道
 出雲大社・・・知っていそうで知らない神社。
 今回、NHK-BSで放映されたので録画して見てみました。
 この「新日本風土記」はオープニングが良いですね。名も無き日本人が声も出さずに黙々と日々を過ごす映像に、奄美大島の歌(声は朝崎郁恵さん?)が造る時空を越えた大和の世界に引き込まれます。

~番組紹介より~
「旧暦の10月10日、全国から八百万(やおよろず)の神々が集まるとされる出雲。今でも、神にまつわる行事や神秘的な光景にあふれる地だ。縁結びの相談のために神々が集う出雲大社は、日本神話と古代史が重なるかのような謎に満ちている。いにしえより今に伝わる、たたら製鉄、相撲、ぜんざいにも、神の姿を見ることができる。千年あまりの時を越え、守り伝えられてきた日本の伝統が息づく出雲を、美しい映像と共に伝える。」

■ 出雲大社縁起
 その始まりは歴史と云うより神話の世界であり、古事記・日本書紀に記されています。
 天照大神(アマテラスオオミカミ)の弟である素戔嗚尊(スサノオノミコト)はトラブルメーカーのため、天空世界から追放されてしまいます。降り立った土地が「出雲」。そこで妻を娶り、土着し、豊かな生活を得るに至り、子孫は繁栄しました。それを天上界からみていたアマテラスはうらやましくなり、自分の次男である天穂日命を使徒として出雲を譲ってくれないかと当時治めていた大国主(オオクニノヌシ)に詰め寄ります。大国主は「子ども達がよいなら」という条件で了承、2人の子どものうち温厚な兄は了承、しかし気性の荒い弟は拒否し、使徒と戦い、結局敗北を期して出雲を譲ることになります。
 その代償としてスサオノ一族に提供された住居が「出雲大社」だそうな・・・。
 出雲大社を祭る(守る?)職を「宮司」と呼びます。アマテラスの次男の子孫が代々勤めており、なんと現在84代目、神話を信じればアマテラスの子孫(!)ということになります。

■ 巨大木造建築としての出雲大社
 高さ48m(※)あったそうです。1000年以上昔に50m近い建物があったとは・・・人々はどんな思いで見上げたのでしょうか。
 その巨体は直径1mのスギを3本まとめて1本の柱とし、それを9つ造って支えられました。
 これは、近年まで「どこまで本当?」と半分信じられていませんでしたが、遺構が発見され史実として認められたそうです。
※ 番組での解説:この想定は東大寺大仏殿(当時の伝承によれば十五丈・45m)や平安京大極殿より巨大であったとされる。これは平安時代に源為憲によって作られた「口遊」(貴族の子息のための教科書)で数え歌に歌われていること(雲太、和二、京三=出雲太郎、大和次郎、京三郎)を元にしている。

 60年に1回、「式年遷宮」として修理が入ります。
 昭和50年代に行われた際、担当する職人はいにしえの匠の技に驚かされました。
 屋根はヒノキの皮を1m近く重ねたもの。鉄のクギは一切使われず、竹のクギで固定されています。
 鉄は経年変化でどうしてもサビが出てしまい、まわりの木も腐食させてしまうので使わないそうです。
 竹のクギを30本あまり口に含んで尖った方を先に出し(難しそう)、早業でクギを打つ様はまさに職人芸でした。

■ 出雲大社の行事
 現在でも年に60日あまりの行事が執り行われています。その全てに1000年以上の歴史があるのですねえ。

■ 出雲大社ゆかりの言葉
・大黒柱:
 大国主は大きな袋を担いでおり、別称「大黒様」としても有名。
 出雲大社の本殿の真ん中には高さ20mのスギの木があり、これが大黒柱の語源だそうです。
・ぜんざい:
 出雲にはぜんざい屋さんがたくさんあるそうです。これは神在月に食べる神聖なデザートだったそうな。
 「ぜんざい」の語源は「じんざい(神在)」と説明されていました。

■ あの映画との関連
 ここまで書いてきて「あれ?あの映画と重なる事象・言葉がいくつもあるなあ」と感じました。

 現在の宮司は「千家尊祐」氏。
 日本書紀には出雲大社を建てるとき「千尋もある縄を使い・・・」と記載。
 そして、神在月には全国の八百万の神が一堂に会する・・・。

 そう、「千と千尋の神隠し」の世界です。
 まあ、私の想像の域を出ませんが。

 それから、他の番組で竜伝説と川との繋がりを知りました。
 大雨の度に氾濫を繰り返す川を「竜が怒った」として恐れる伝説。
 ん・・・スサノオと云えば「八又の大蛇」成敗伝説。
 この辺も宮崎駿監督は伏線として映画に取り入れているんですねえ。
 いやはや、参りました。

「失われた日本の風景」by 園部澄、神崎宣武

2010年03月19日 06時42分20秒 | ふるさと
河出書房新社、2000年発行。写真:園部 澄(きよし)、文:神崎 宣武

園部さん(故人)は長らく「岩波写真文庫」を担当された写真家で、風景写真・民俗写真の第一人者と紹介されています。
神崎さんは宮本常一氏(故人)に師事した民俗学者です。現在の肩書きは「文化庁文化財保護審議会専門委員」「旅の文化研究所運営評議委員」等々。NHKの「日めくり万葉集」にも登場され、万葉集の歌を当時の民俗(庶民の生活)を推論しながら解釈する手法に唸って感心した私でした。

この写真集は今から約50年前(昭和20~40年代)の日本の地方の風景を収めた作品です。
「失われた」というタイトル通り、どうしてこれほど変わってしまったのか、と驚くことしきり。
中には「江戸時代の写真です」と云われてもわからないものもあります。
おそらく、過去の歴史の中でも密度の濃い激変の50年だったと思われます。
一方、ああ、子どもの頃こんな風景あったなあ、と回顧・郷愁をそそるものもありました。

人々は皆動いています。
子どもは遊び、大人は肉体労働(肥満体が皆無!)、老人は手仕事。
牛や馬も働いています。
しかも、機械に使われているのではなく、すべて自然のペースで行われているようです。

当時は現代より貧しく、娯楽の少ない生活だったと思われますが、そこにいる人々の目つきは今より生き生きしています。
子ども達の目はいたずらっぽい中に未来への夢が光っていますし、日々の労働に打ち込んでいる大人の目に迷いは微塵もありませんし、老人は全てを経験して次世代に託して余生を送る穏やかな表情をしています。

風景と共に、それに同化していた日本人の表情も失われてしまったのですね。

印象に残った箇所を抜き出してみます。

■ 働く子ども達
 農山村にあっては、子ども達の働きが家族内の役割として決められていた。
 例えば「子守」。
 年長の娘達は、幼い弟や妹を背負ってあやしていた。学校へ行くのにも、兄姉が弟妹の手を引く。当たり前の光景だった。
 体力がつく年頃になると、水くみ作業が割り当てられる。はじめはバケツ。やがて天秤棒で水桶を運ぶようになる。ピチャピチャと跳ねる水をこぼさないよう、その足運びを覚えるとあとは簡単。
 買い物やお使い。峠を越えたり、川を渡ったりしたところには、決まってガキ大将が待ち受ける。恐いけれど、避けられない。へつらわず、けんかせず。むつかしいところだ。子ども達なりに、外の世界を知ることになった。
 と、かように回顧すれば、子どもを労働に使うべきでない、と人権擁護の関係筋からお叱りを受けるかもしれない。が、それで子ども達が得るものがあった、そのことをあわせ考えて欲しい。

■ 夜なべ
 冬の夜は、長い。寒くもあるので、家族が囲炉裏ばたに座している時間が長くなる。
 囲炉裏は、暖をとる装置であると同時に、調理の装置でもあった。自在鉤と鉄輪がその道具。自在鉤に鍋を吊し、鉄輪に鍋を置く。その鍋を囲んで、家族が食事をした。
 鍋の中には汁や雑炊、あるいは芋煮など。夕食の残りがまだある。それを夜食に回す。これが「夜なべ」。それまでの時間、なんやかやの手仕事に励むのが夜なべ仕事である。

■ 主婦の力
 早朝から深夜まで、主婦達は気ぜわしく働いた。昼間の農作業に加えて家事労働の負担があった。毎日それをどう切り盛りするか、それが主婦達の力量というものだった。その後ろ姿を見て育つ子どもたちは、多分その力量に圧倒されたはずだ。畏敬の念さえ抱いたに違いない。そのあたりが、現代の母子関係と違うように思えるのである。
 最近流行のジェンダー論の中で、主婦は不当に虐げられ過酷な労働を強いられてきた、と見る向きがある。たしかに、社会的に女性の地位が抑えられてはいた。しかし、家庭内の労働においては、必ずしもそうではない。主婦が家事にいそしんでいる時間、夫もまた屋外の作業に早出をしたり居残りをしたりで労働を分担していたのである。
 そのことも、農村や漁村の子ども達は、よく見て知っていたはずなのだ。


・・・付け加えることは、ありません。


オパール化したアンモナイトを入手!

2010年03月18日 16時40分06秒 | 少年DNA
少年DNAがさわぐお宝第三弾!

産地はマダガスカル。中生代白亜前期(大まかに云うと1億年前)の化石とのこと。
5cmほどのアンモナイトですが、自然の奇跡でオパール化したものだそうです。

この玉虫色に光る物体の中に1億年の時間が封じ込められています・・・感激!
落ち込んだときは、このアンモナイトを見つめるとパワーがもらえそうですね。

縄文時代の石器入手!

2010年03月18日 16時32分30秒 | 少年DNA
少年DNAがさわぐお宝第二弾!

■ 石器(写真):青森県弘前市岩木山麓出土の異形石器を含む石槍石刃石鏃

 1~数cmの小さな矢尻。細かく削ってキレイに尖らせてあります。どうやって削ったんだろう? 今自分にこれと同じく造れて云われても途方に暮れてしまいます。

 縄文は狩猟採集の時代。平均寿命は50歳未満。昔は信じられなかったけど、40歳も半ばを過ぎると全速力で走れなくなってきますので、獲物を狩れなくなりますね・・・今はわかるようになりました(泣)。
 私は生きていけないかなあ。

「聖徳太子」

2010年03月04日 20時37分19秒 | 寺・仏教
NHK-BSで「法隆寺」という番組を見ました。
法隆寺はその昔聖徳太子が建立したと中学校の歴史で習いました。7世紀でしたっけ。
彼は「日本に仏教を取り入れた賢人」「十七条の憲法制定」と、日本人なら誰でも知っている偉人ですね(昔の1万円札の肖像でもありました)。
番組は前編・後編からなり、各2時間弱の圧倒的内容でした。

~番組紹介から~

<前編>
「世界の至宝・法隆寺の国宝全て紹介する特集番組。前編は昨年行われた科学調査から浮かび上がった世界最古の木造建築の謎を追いながら、飛鳥時代の宝物を中心に紹介する。
法隆寺の国宝をすべて紹介する。前編は、世界最古の木造建築に秘められた謎を追う。寺を創建した聖徳太子の死後、法隆寺は火災で全焼したとされているが、誰がいかにして寺を再建したのかは謎とされてきた。2008年、建物の年代を探るための科学調査が進められ、日本に異国の宗教・仏教が根づいた時の知られざる物語が浮かび上がってきた。至宝、名建築をご覧いただきなら、神秘的な古代史のロマンをたんのうしていただきたい。」

<後編>
「法隆寺の伽藍や宝物はがいかにして造られ、守られてきたのか。後編は技をキーワードに法隆寺が1400年の風雪に耐えた秘密を古式豊かな行事を交えてお伝えしてゆく。
後編では「技」をキーワードに、至宝がいかにして造られ、守られてきたのかを追う。1300年の風雨や地震に耐えて立ち続ける法隆寺の伽藍(がらん)。解体修理したときの秘蔵のフィルムを手がかりに、古代工人が持っていた驚きの技術や職人たちの絶え間ない努力に迫る。さらに、至宝が生み出され、守り伝えられた背景にあった、聖徳太子への篤(あつ)い信仰を、法隆寺に伝わる四季折々の古式豊かな行事を交えて伝える。」

法隆寺修復の際に学術調査が入り、そこから判明した歴史上の新事実を織り交ぜての内容です。

■ 法隆寺は聖徳太子が造った仏教研究所。金堂は「聖徳太子記念館」。
 当時、仏教は伝来したばかりでまだ日本中に広まっておらず、「異国の宗教」と捉えられていました。仏教普及の拠点として当初は立てられたようです。
 しかし完成から半世紀後、法隆寺は火事で焼失してしました。その時既に聖徳太子は没し、一族も政争に敗れて絶えた後でしたが、それでも法隆寺は再建されました。
 誰が何の目的で?
 再建された位置や仏像の配置から推測すると、再建は天智天皇・持統天皇が唐に対抗するために日本国内を統一する必要性を感じ、異国の宗教である『仏教』を利用して聖徳太子を「日本に現れた釈迦の再来」と崇めたようです。
 その証拠に、金堂に祭られている仏は聖徳太子の姿を等身大に写したものです。こんな仏は他に例がありません。

・・・現在はあって当たり前と感じる天皇制が安定したのは、実はこの時代からなのですね。わかりやすく云うと、宗教を政治利用したことになります。それも故人の聖徳太子人気にあやかって「現人神(アラヒトガミ)」に仕立て上げたと捉えることもできます。
 あれ、これって明治維新で国家団結のために天皇を「現人神」とした宗教を起こし、従来の仏教・神道・儒教を否定した明治政府と共通するところがありますねえ。
 違うところは聖徳太子は平和志向、明治維新は戦争志向・・・真逆です。

■ 聖徳太子の仏教者としての宗派は?
 歴史でならいました? 私は覚えていません。
 正解は「法華経」中心です。

■ 法隆寺・聖徳太子はなぜ消えることなく現在も伝えられてきたのか?
 前述の通り、天皇家が太子を利用するために保護してきたからと、女性救済を訴えるお経を取り入れ、徐々に庶民へ信仰が広まっていったから、とされているようです。

■ 仏像の素材としてクスノキは日本固有のもの
 トトロの住み処として有名になった感のあるクスノキ。これを仏像彫刻に用いているのは日本くらいらしい。つまり古(いにしえ)の仏像は素材により生産国が推定可能と云うこと。

■ 年輪で木材が切り出された年代が正確にわかる。
 年輪幅の基礎データがあれば、木材の年輪幅を測定して重ね合わせて一致するパターンを見つければ、正確な年代が推定可能・・・まるで指紋検査のようでした。法隆寺金堂の木材は西暦688年に切り出されたことが判明!

・・・法隆寺の年中行事の一つに先日亡くなった立松和平さんが参加している映像があり、懐かしく拝見しました。
 法隆寺へは中学校の修学旅行で行きましたが、金堂の薄暗い中に仏様がいた雰囲気しか覚えていません。
 また行ってみたいなあ。1300年前の柱に触ってみたい。

 それから、個人的に一万円札は福沢諭吉より聖徳太子の方が好きですね。
 明治維新って、必要に迫られて起きた史実ではあるんだろうけど、それまでの日本の伝統をバッサリ切ってしまった罪は大きいと思います。おかげで日本人は自分たちの国・歴史に自信が持てない情緒不安定な国民になってしまったのですから。
 現在も茶髪の若者(~中年)を見かける度に「日本人でいることに誇りを持てない」潜在意識を感じて悲しい気持ちになります。本人は意識していないでしょうけど。
 それまでの生活に根ざした宗教(神道・仏教・儒教)だけでなく、伝統医学も否定してくれたおかげで、いまだに日本人の体質にあった漢方医学が復権しきれていません。


アインシュタインの眼 ー宮大工ー

2010年03月04日 19時59分49秒 | 民俗学
~番組解説より~
「“木の生命力を活かす”宮大工の仕上げの技、カンナがけに迫る。細胞より薄い5ミクロンのカンナくずはどう生まれるのか。カンナがけした木は本当に水をはじくのかを解明。
カンナ仕上げでツヤツヤとした輝きを放つ白木造り。宮大工はなぜカンナ仕上げにこだわるのか。その一つは、宮大工がカンナがけした木材は水をはじくため、腐食しにくいという説。顕微鏡カメラを駆使してガラスのように滑らかな表面を徹底調査。また、細胞より薄い5ミクロンという極薄のカンナくずを生み出す宮大工のカンナがけの技をハイスピードカメラで解明。“木そのものの生命力を活(い)かす”、宮大工のこだわりに迫る。」

 ゲストとして登場したのは宮大工の小川三夫さん。法隆寺昭和の大修復にかかわった西岡常一さんの唯一の弟子です。
 西岡常一さんに関する塩野米松氏の著作を以前読んだことがありましたので、雰囲気はわかりました。
 西岡さんの残した印象的な言葉は「樹齢1000年の木は建築材として1000年もつ」「修復のとき、大木・巨木が必要だったが近隣にはそのような樹木はすでに無かった。吉野から運んでくることになった。今後は外国から探してくることになるだろう」というもの。

 さて、今回は宮大工のカンナの技を現代の映像技術で解析する内容です。
 宮大工がカンナを掛けると削りカスが絹織物のように美しい・・・「削り花」と呼ぶそうです。
 目から鱗が落ちる瞬間が何回もありました。

■ カンナを掛けただけの木の方が、上塗りした木より長持ちする。
 プロがカンナを掛けると木の表面の細胞をつぶすことがなく、乾いて引き締まった木(孔が閉じたもの)を用いると水をはじくため、劣化が最小限で済む。

・・・これには驚きました。私の建てた家の柱は合材なので、3年ごとにニスを塗らないとみすぼらしい外観になってしまいます。皆そうだと思っていたら、「ホンモノ」はまったくの逆なんですね。
 プロの板前さんがマグロを包丁で切ると細胞がつぶれないので味が逃げ出さず、しばらく時間が経っても味が落ちないのと似ています。

■ カンナ掛けの最適角度は37.5度。
 これより浅くても深くても表面がざらついてしまう。最適角度でプロが掛けると表面が鏡面のようになり顔が映る!
 外国でもカンナはあるが押すタイプばかり。引いて掛けるのは日本式のみ。

・・・これも科学的に実験したわけではないのでしょうが、経験則として培った匠の技ですね。

■ 木の種類により建築材としての寿命が異なる。
 マツは500年、スギは800年、ヒノキは・・・現在のところ1300年以上(法隆寺の年齢)。

・・・昔の宮大工はどうしてこれを知っていたのだろう。

同時に「法隆寺」というNHK-BS番組を見ました。
前編・後編とも各2時間弱の圧倒的な内容。
法隆寺は聖徳太子の時代(7世紀)に建造された世界最古の木造建造物です。
中でも五重塔は30m以上ありますが、これが1300年前に建てられ、かつ現存するのは奇跡としか云いようがありません。

こちらにも小川さんが出演していました。
そこでも驚きの匠の技が公開されていました。

■ 法隆寺の芯柱は周囲に固定されていない。
 地震のときに建物とは逆に揺れて緩衝し、被害が最小限となるよう設計されている。

■ 法隆寺に使用されている釘は鉄の純度が高く錆びない。
 現在釘を作るときは鋳型に流し込む方法ですが、昔の釘(『和釘』と呼ぶそうです)は刀鍛冶がハンマーで叩いて鍛え上げた入魂の作品です。昭和の修復の際、同じ釘が造れなくて困り果て、結局古い和釘を再度溶かして過多な当時に叩いてもらい再利用したそうです。

■ 山の木は生育の方位のまま使え。
 古代工人の言い伝え。南側を向いて育った木を北向きに設置すると歪みが生じて長持ちしないということ。

■ 宮大工は300年先を見て仕事をする。
 将来修理が入ったときに「平成の宮大工の仕事はお粗末だなあ」と笑われないよう、過去から伝わった技を磨いて残すのが使命、それが宮大工の心意気。

・・・日本人ってすごい!