知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

ETV特集「日本の文化財を守れ~アトキンソン社長の大改革~」

2017年05月09日 07時59分13秒 | 日本の美
ETV特集「日本の文化財を守れ~アトキンソン社長の大改革~
(2017年4月29日:NHK)

小西美術工藝社という老舗の職人集団があります。その始まりは、江戸時代の日光東照宮創建時代。
神社仏閣の補修を専門とし、有名な観光名所も数多く手がけています。
そして現在の社長は、イギリス人のアトキンソン氏。

何年か前にも、彼とその会社を紹介する番組を見ました。
確か住吉大社のウルシが1年で劣化してしまい、その原因を追及したら、品質のよい日本製ではなく、やや落ちるけど安い外国製を使用したからと判明。
そんなトラブルを乗り越え、傾いた経営を再建したのがアトキンソン氏。

日本は文化財の補修・保存に国費(=税金)が投入されており「修学旅行生のためにコストをかけて保存している」という感覚があると彼は云います。
しかし、超高齢化社会が進む中、文化財保存に予算をまわす雰囲気は萎みがち。
彼は発想の転換を促します。

「文化財保存にコストがかかる、ではなく、文化財保存に投資すると考えるべきだ」

外国人観光者を見る目も客観的です。
「彼らは暇でお金がある。見学して疲弊する観光地ではなく、もっとゆっくり滞在を楽しめる場所にしなければダメだ。」
「日本の拝観料は平均600円、諸外国では1800円。拝観料を低く抑えることで社会的貢献をしていると思い込むのは間違った考えだ。修繕費も捻出できず、結局は文化財を破壊していることになることを自覚すべきだ。」

<詳細>
 今、日本各地の歴史的建造物が、老朽化しながらも予算や職人の不足により修繕が進まない事態が進んでいる。その中で救世主として期待されているのが、デービッド・アトキンソン氏。外資系金融会社の幹部だったが、7年前、老舗の文化財修復会社の社長に就任。職人たちと衝突しながらも、斬新な発想と実行力で、日光東照宮や春日大社など名だたる文化財の修復を進めてきた。日本の文化財の可能性を信じるアトキンソン氏の改革とは。
 番組内容外資系金融会社の幹部だったイギリス人が老朽化の危機にひんする日本の文化財を救おうとしている。職人たちとの対立を越え、日光東照宮や春日大社をよみがえらせた改革とは

「100分de日本人論」

2017年05月07日 19時55分23秒 | 日本人論
お正月スペシャル「100分de日本人論
2015年1月2日、NHKで放送

録画してから2年以上経過してから見ました。
見応え十分の刺激的な番組で、「日本人ってすごいんだ」と再認識させてくれました。



<番組内容>
 「日本人論」といいますと、とかく「政治的」な取り扱い方をされがちなテーマですが、今回は、「名著」から読み解くというスタンスに立って、あえて「哲学的」に、かつ「縦方向に奥深く」、日本人のアイデンティティや文化の基層に迫ってみる手法をとりました。また、通常は、「平易にわかりやすく」を旨とする「100分de名著」ですが、スペシャル版ということで、少しだけディープな議論にも挑んでみました。
 今回のゲストの皆さんは、プロデューサーAにとっては、大変思い入れの深い方々でした。私が大学一年生の頃出版された中沢新一さんの「チベットのモーツァルト」は夢中になって読みふけった本の一冊で、以来、ほぼ全ての著書を読ませていただいています。また、ちょうどその頃発刊を終えた、松岡正剛さんが編集されていた「遊」は、私に知への扉を開いてくれた憧れの雑誌でした。斎藤環さんの著書「社会的ひきこもり」は、マスコミ業界に入って中堅になってから読んだ本で、精神医学が社会批評としても大きく機能しうるということを気づかせてくれた本ですし、赤坂真理さんの小説「東京プリズン」は今年読んだ本の中で最も衝撃を受けた本。そう、今回ご出演いただいた皆さんは、私の「知」を育ててくださった恩人でもあったわけです。同世代の方で私と同じ感慨を持たれる方も多いかもしれません。また、赤坂真理さんはもちろん、他のベテラン三人も現在でも第一線で活躍されている方々なので、若い世代の皆さんの中にも、大いに刺激を受けているという人が大勢いるかもしれませんね。
 収録は実に5時間以上にわたり、日本人についてとことん語りつくしていただきました。そのエッセンスをお伝えすべく奮闘いたしましたが、あれだけ情報量の多い名著を解説するにはやはりどうしても時間が足りなかったというのも実感です。もしかしたら物足りないと思われる方もいらっしゃるかもしれません。去年の「100分de幸福論」に引き続き、後日、ムック本という形でも展開させていただこうと考えております。ぜひご一読いただけたらと思います。



1.九鬼周造「いきの構造
★ 解説:松岡正剛(日本文化研究者)


九鬼周造は軍人のお偉いさんと芸者さんの間にできた子。そして京都大学教授でありながら京都の芸妓と結婚しました。そういうエリートとアウトサイダーの微妙なバランスから生まれたのがこの書ということを初めて知りました。

2.折口信夫「死者の書
★ 解説:赤坂真理(小説家)


折口信夫は柳田国男の弟子でありながら、ちょっと毛並みが違うなあと以前から感じていました。
なんというか、民俗学の中にファンタジーが入ってくるのですよね。
この番組を見てその理由が判明。
彼はコカイン常習者で、生と死の間を行ったり来たり(トリップ)していたようです。
戦前はコカインが薬局で違法ではなく入手可能だったらしく、晩年の川端康成もラリッていたと読んだことがあります。

3.河合隼雄「中空構造日本の深層
★ 解説:斎藤環(精神科医)

この番組の中でいちばん盛り上がったセクション。
少し前に河合先生の著作を読んでいたこともあり、うんうん頷きながら聞きました。

4.鈴木大拙「日本的霊性
★ 解説:中沢新一(人類学者)

平安時代は貴族の宗教であった仏教が、鎌倉時代になり民衆の手に降りてきた。その際に不必要な者はそぎ落とされ、南無阿弥陀仏の浄土真宗が残った、という解説は非常に説得力がありました。
殺生する生業は「悪」と見なされ、それまでは仏教で救済対象から筈さて板武士、山の民(猟師)、川の民(漁師)。
親鸞はそれら「悪人」も浄土に行けると自信を持って強く主張しました。
ここで初めて、仏教が日本の宗教として受け入れられたのでした。

この本は、日本人より先に外国人に理解されました。
ヒッピー〜ビートルズ世代、そしてスティーブ・ジョブズ
この本に啓発され、影響を受けた人達です。

内容が深すぎて、今の私には消化不良気味。いずれトライしたい書物です。

※ この番組内容が書籍(別冊100分de名著 「日本人」とは何者か? )になって発売されています。

「秘境・秋山郷 マタギの里の恵み」

2017年05月06日 15時43分29秒 | 震災
秘境・秋山郷 マタギの里の恵み
BS朝日、2014.12.30放送

「苗場」と言えば、私にとっては「スキー場」です。
四半世紀前の若かりし頃、四駆に乗って何回も行きました。
当時のスキー場ではユーミンの曲が定番でしたね。



苗場山というのは頂上が平らであることを初めて知りました。
夏になると山頂が尾瀬の湿原のようになるそうです。



番組はその苗場山の西側にある「秋山郷」のお話です。
秋田のマタギが住み着いてその技を継承している秘境。
はじめに住み着いた「大秋山村」は、天明の飢饉で8棟全体が餓死し、村が消滅したという壮絶な過去を背負っています。

若者が集まるレジャー施設「苗場スキー場」のすぐ近くに、こんな秘境が隣り合わせに存在していることを知り驚きました。

現在(2014年放送時)、小学校には生徒が3人しかいません。
秋山郷の将来は如何に?

<番組概要>
 新潟県との県境に位置する長野県栄村・秋山郷。周囲を苗場山(2145m)と烏甲山(2038m)に囲まれ、およそ半年間、2mを超える雪に覆われる豪雪地帯です。ここには、厳しい環境を生き抜くための知恵と習俗が、今なお連綿と受け継がれています。“マタギ”と呼ばれる猟師たちは、森に熊を追い、山菜・川魚・きのこなど様々な山の神からの授かりものを享受しながら、自然の営みの中で暮しています。
 民宿「出口屋」を営む福原和人さんは、栄村で現在7人しかいないマタギのひとりです。父、故・直市さんはマタギ衆を束ね、多くの熊を仕留めた名人でした。そして息子の弥夢(ひろむ)くん(7歳)もまた「マタギの心」を受け継ごうとしています。番組では、秋山郷の暮らに1年間完全密着し大自然に寄り添いながら生きる姿を追いました。


気になったのが、ナビゲーターの服部文祥という人物。
肩書きは「登山家・文筆家」とありました。
よくこの手の番組では、昔の有名人やお笑いタレントが案内役になりますが、ちょっと雰囲気が違う。
“野生”を感じさせる目つき。
そしてマタギの話に入り込んで同化してしまう知識もあります。

検索してみたら・・・「サバイバル登山家」として有名な人でした。
なるほど。

伊勢の海女さんは現在1000人いる。

2017年05月06日 08時26分12秒 | 民俗学
新日本風土記〜伊勢志摩の海
NHK-BS、2014年11月21日 放送

たまったTV録画を、GW中につらつら見てます。
今回は、伊勢の海を扱った番組。

冒頭に伊勢の海で働く海女さんが登場し、「伊勢の海には現在も1000人の海女さんがいる」とアナウンスされて、私はその数に驚きました。
海女さんって、もう絶滅危惧種の職業と思い込んでいたものですから・・・。
現実は、やはり高齢化が進んでおり、紹介された20代の新米海女さんは4年振りとのことでした。

海女さんがはちまき状に頭に巻く白い手ぬぐいに「☆印」が書いてありました。
「セーマン様」という神様で、これは陰陽師の阿倍晴明に由来すると説明されていました。

現在の海女さん達は、ウエットスーツに身をくるんで潜っています。
潜る前には“海女小屋”で体を温めます。
夏でも薪をたき40℃以上の部屋で1時間談笑してから潜るそうです。
昔々の写真では、海女さんは裸でした(土地による?)。
体が冷えて大変だったでしょうね。

<内容紹介>
 日本有数のリアス海岸に大小600の島々が浮かぶ、伊勢志摩の海。ここは、たくましい女性たちが活躍する、いわば「女性が主役」の地である。全国のおよそ半数、千人の海女が暮らし、彼女たちが獲る鮑や伊勢エビは、神の食事「神饌(しんせん)」として古くから伊勢神宮に捧げられてきた。
 豊かな恵みをもたらす海は、一方で危険と隣り合わせ。この地に生きる海女や漁師は、いまも篤い信仰心と強い結束を保ち続けている。鳥羽市おうさつ相差では、海の事故で海女や漁師が亡くなると、海岸沿いに地蔵を建てて弔う風習が残されている。また、島ごとの独特な風習も受け継がれ、伊勢湾最大の離島・答志島では、15歳になった男子は血縁関係のない家と義理の親子関係を結び、寝泊まりをしながら共同生活を送る。
潮騒の響く伊勢志摩の海を舞台に、伝統を受け継ぐ人びとを描く。



<オムニバス項目>
●海は女が“主役”...
  キャリア40年、伊勢エビを狙うスーパー海女。元イルカトレーナー、海女になり初めての夏。
●神様、仏様、“セーマン様”...
  伊勢神宮の神様、仏様、そして陰陽道の魔除け「セーマン」。漁の安全を願う海女の篤い信心。
●3人の女神様...
  女神の里帰りを祝う奇祭、女神のご神体を持ち回りする島、島に降り立った吉永小百合さん。
●“寝屋子”の島...
  答志島の男子は、15歳になると親が増える。「寝屋子」と呼ばれる不思議な風習。
●寝屋子の島のお盆...
  寝屋子たちの久しぶりの再会。集落の人々が一斉におこなう墓参り、「火入れ」。

<癒やしの伊勢志摩>
 はじめまして。「伊勢志摩の海」を担当した名古屋局の馬場と申します。
 海女、伊勢エビ、アワビ、美しいリアス式海岸、どこに行っても何を食べても魅力的な伊勢志摩ですが、私が今回初めて訪れ魅了されたのは離島、神島です。鳥羽市から定期船で40分。それだけでも旅情をそそられますが、その魅力はやはり「癒し」。とても穏やかな空気が島中に流れています。  唯一の集落は急勾配の斜面にあり、島のみなさんは、みな徒歩移動。車をほとんど見かけない事が大きな一因かも知れません。
 集落で食事や散策をのんびり楽しんだら、ちょっと足を伸ばして「監かん的硝てきしょう」と呼ばれる展望台に行ってみましょう。(*監的硝の説明は、難しいので割愛させて下さい、、、すみません。)ここは映画「潮騒」のクライマックスシーンの撮影が行われた場所。吉永小百合さん演じる海女の初江の台詞「その火を飛び越してこい!」で一躍有名になりました。
 ここから眺める海の景色は、ちょっと壮大です。対岸の愛知県伊良湖岬まではわずか2㎞。この狭い海峡を、自動車コンテナ船、原油タンカー、LNG船など超大型船舶がひっきりなしに行き交います。伊勢湾の入り口にある神島は、背後に四日市や名古屋、豊田など大工業地帯を抱えているためです。でも、日本を支える大型船舶も、どこかのんびりと見えてしまうのは、やはり神島だからかも知れません。
 都会に疲れた方、仕事に行き詰まった方、癒しが欲しい方、是非一度、神島へ!


それから、答志島の“寝屋子”制度も登場。
昔は子どもの成長を見守りサポートするシステムが地域に根付いていたのですね。
日本が失ってしまったよき伝統の一つ。
かなり前に、『新日本紀行』で見たことあったなあ・・・検索したら(↓)を見つけました。



■ 新日本紀行「現代若衆宿 ~三重県鳥羽・答志島~」
 30分/1970年(昭和45年)
 三重県鳥羽市答志島(とうしじま)では、中学校を卒業した若者が、結婚して一人前になるまで、他所の家で共同生活をする、「若衆宿」と呼ばれる慣習があった。
 若者たちは、宿の主人と杯を交わし、生涯義理の親子として付き合っていく。先輩達からは、日々の生活の中で、島の伝統や一人前の男になるための作法を学ぶ。
 この年もまた、新たに11人の若者が若衆宿で生活を始める。その一方、一人の若者が島の女性と結婚し、若衆宿から独立する。
 番組は、当時15ほどあった答志島の若衆宿とそこに暮らす若者たちの姿を記録していく。

「柳田国男・南方熊楠往復書簡集」

2017年05月05日 05時57分18秒 | 民俗学
柳田国男・南方熊楠往復書簡集
平凡社、1994年発行



Nature論文50編以上という“知の巨人”南方熊楠と、“日本民俗学の父”柳田国男による手紙のやり取りをまとめた本です。
南方熊楠は博物学者として紹介されることが多いのですが、彼の守備範囲はそこに収まらず、神社合祀反対運動など民俗学領域にも及びます。
神社合祀反対運動の際に逮捕・収監されたことがあるのですが、そのとき柳田国男の本を差し入れされて読むに至り、共感して手紙のやり取りが始まったそうです。

2人にとても興味のある私ですが・・・途中で挫折しました(^^;)。

これは「読み物」ではなく「資料」です。
文章も明治時代のお堅い「〜候」調で、ちょっと読みにくい。

当時のやり取りをゆっくり味わいたい人にはこの上ない書物と思われます。
その余裕がなくエッセンスを吸い取りたい私のようなスタンスには合いません。

仕事を引退して時間ができたら、またトライしたいと思いました。

「本居宣長とは誰か」

2017年05月04日 07時34分29秒 | 日本人論
本居宣長とは誰か」(子安宣邦著)
平凡社新書、2005年発行。



 日本好きな私は、以前から江戸時代の国学者である本居宣長という人物に興味があり、手ごろな本はないかなと探してこの新書をたどり着きました。
 入門書のつもりで読みはじめたところ・・・なんだかとてもわかりにくく、読みづらいのです。
 なぜなんだろう? と感じつつも強引に読了し、後書きを読んでその理由がわかりました。

 宣長は日本のアイデンティティを巡る最初の言説的構成者であった。
 宣長を今読み直すのは、彼に従って「日本」をもう一度言説上に作り出すためではない。宣長に従って「日本」を再構成するといったことは、すでに昭和初期の日本で盛んに行われたことである。私たちに今必要なのは、宣長における「日本」の再構成作業そのものの検討である。


 著者の中では「宣長による日本論の解説」ではなく「宣長の業績の再評価・再検討」という位置づけなのです。
 つまり、現在の宣長像は正しいのか?という自問自答で展開する内容なのでした。
 すると、「現在の宣長像」を知らない私のような読者は混乱するばかり、ということになります。
 
 残念。
 読むんじゃなかった、1日無駄にした(?)、と久しぶりに後悔した本でした。
 本居宣長に対する興味が萎んでしまいました・・・。


<備忘録>

□ 『玉勝間』(全15巻)は、宣長の『古事記』や『源氏物語』などの研究過程で書きためた歴史や文学・言語、そして人物などについての覚え書き、そして人生や学問についての時々の感想などを編集した散文集。

□ 漢意(からごころ)
 外部から日本に導入された漢字文化に伴われた儒教などの考え方。
 それに対抗する古意(いにしえごころ)は、漢意を排除することにより明らかにされる日本古代固有の心意。

□ 「もののあはれ」
 宣長は『万葉集』『古今和歌集』『後撰集』『古語拾遺』の歌における「あはれ」の語の用法を分析して、人に歌をもたらす根本的で普遍的な心情概念として「あはれ」を再構成した。
 「もののあはれを知る心」とは、事に触れ、ものに触れることの多い人間の生活において、さまざまに動く心のあり方をいう。
 事に触れて心が激しく動くとき、すなわち「もののあはれ」に堪えないとき、人は思わず声に出す、その声は長く、しかも文なる言葉となるだろう、それがすなわち歌なのだ。

□ 物語を読むということ
 物語を読むことは、かつては音読を通じて複数の人々に同時的に共有されるものであったが、やがて一人で個別の空間で読むということに変化した。

□ 『源氏物語』を読むということ
 もののあわれは知る心から作者(紫式部)は、もっとも「もののあはれ」を知る人をもっともよき人として物語を書き出し、読者はその「もののあはれ」を知る人々の物語に深く共感し、「もののあはれ」をともにする、それが『源氏物語』を読むことである。
 人はすぐに勧善懲悪の教えと解しようとするが、それは浅々しい理解であり、紫式部の本意ではない。
 物語の意味とは、人情とかくあることを人に教えるところにある。

□ 『古事記』と『日本書紀』の位置づけ
 『日本書紀』を歴史書と呼ぶことに我々は躊躇しないが、同様に『古事記』を歴史書だということには躊躇する。
 『古事記』は神武天皇以降の人の世の記録としてよりも、神の世の説話的記録としての特質を持つ。『古事記』は後の『伊勢物語』などの歌物語の祖型としての性格が強い。『古事記』は『日本書紀』のサブテキストとみなされてきた。
 『日本書紀』神代巻は神道家にとっての神典であり、神道の教えといわれるものは、この神代巻の解釈として説かれていった。そのあり方に疑いを持った宣長により『古事記』は再発見され、『古事記』こそが第一の神典の意義を担うことになる。

□ 宣長の「漢字借り物観」
 宣長は『古事記』のテキストを構成している漢字を、やまと言葉を表記するために借りた文字だと考えた。漢字は借り字・仮り字すなわち仮名・仮字である。漢字が仮名であるのは万葉が長そうであった。しかし宣長は『古事記』のテキストを構成する漢字を基本的に仮名と考えた。
(例)『古事記』冒頭部分は「あめつち」が先であって、それに漢字「天地」が当てられたと考える。
(例)やまと言葉「かみ」に漢字「神」を当てているだけ。


「乙巳の変 蘇我氏はなぜ滅ぼされたのか?」

2017年05月04日 07時12分49秒 | 歴史
前項の蘇我氏つながり。
物部氏との抗争に勝利し、4代100年に渡り繁栄を謳歌した蘇我氏は「乙巳の変」であっけなくその座から引きずり下ろされました。

「乙巳の変」ってなに?
それが起きたのは645年・・・ん? これって歴史の授業で覚えた「大化の改新」の年号ではないの?

そうなんです。
近年、大化の改新は645年にまとめた行われたのではなく、乙巳の変をきっかけにゆっくりと整備されたことが判明し、分けて呼ぶようになったそうです。

■ 英雄たちの選択「古代史ミステリー 乙巳の変 蘇我氏はなぜ滅ぼされたのか?」
BSプレミアム:2017年4月20日
出演者ほか【司会】磯田道史,渡邊佐和子,【出演】倉本一宏,小島毅,宮崎哲弥,【語り】松重豊
<番組内容>
 西暦645年、クーデターによって、蘇我蝦夷・入鹿父子は死に、権力をほしいままにしていた蘇我氏はあっけなく滅亡した。古代史最大のミステリー乙巳の変の真相に迫る。
<詳細>
 今年3月、飛鳥地方最大級の古墳の存在が明らかになった。一辺70メートルの方墳は、石舞台古墳より大きい。蘇我一族の蝦夷の墓ではないかとして注目を集めている。およそ100年にわたって権力の中枢で、キングメーカーであり続けた蘇我氏がなぜわずか2日で滅びたのか?日本書紀の記述が、蝦夷・入鹿父子を逆臣として、悪人と位置づけているのはなぜか?最新の研究成果を交えて、乙巳の変にまつわる謎に徹底的に迫る。


磯田氏による「日本でクーデターが成功するポイントは3つある」という解説を興味深く聞きました。
そしてクーデターが起きた後、大変革がなされるかというとそうでもなく、同じようなことを繰り返しているという指摘も頷けました。
要は、改革はゆっくりやらないと成功しない。
急いで強引にやると、周囲が付いてこれないので不平不満がたまってしまう。

なるほど。

乙巳の変 〜 大化の改新
秀吉の天下統一 〜 家康の江戸幕府
幕末の開国政策 〜 明治維新

これらのすべてが、先鞭を付けた人は引きずり下ろされ、跡を継いだ人がゆっくりと(内容はそう変わらない)改革を実行しています。
ロシアのゴルバチョフとエリツィンもそうかな。

また、蘇我氏は一族・親族で合議を牛耳りましたが、族長は常に蘇我氏直系が握る一人勝ち状態で、親族に譲らなかったことも不満分子を育てる一因になりました。

そこにつけ込んで内部崩壊を企んだのが中臣鎌足。
彼が起こしたクーデターが「乙巳の変」です。

では鎌足はどんな政治を行ったのか?
蘇我氏が行おうとした改革を、急がずゆっくりと行っていったのです。
中臣氏は藤原氏と名を変え、栄華を誇ることになりました、とさ。

現在も名字に「藤」のつく人々は、みんな藤原氏の末裔ですよ。

仏教伝来のインパクト

2017年05月04日 06時42分06秒 | 寺・仏教
 2年前に録画してあった番組をGWに見ました。

■ BS歴史館 シリーズ 日本のインパクト(2) 仏教伝来~古代ニッポンの文明開化!?~
出演 : 籔内佐斗司 、馬場基 、熊谷公男
司会 : 渡辺真理
語り(語り手) : 古屋和雄

6世紀半ば、日本に朝鮮半島から仏教が伝来。その衝撃は、すさまじいものだった。それまでの「神は見えないもの」という日本人の常識を覆して、キラキラと輝く仏像が出現したのである。このときの仏像の鋳造技術や寺院の建築技術は、「古代ニッポンの文明開化」とも言うべきインパクトを与えた。さらに、21世紀の新発見から日本最初の本格的寺院・飛鳥寺建立の驚くべき真相が明らかになった。日本仏教の知られざる原点を探る。


 今は無きこの番組、好きでした。
 テーマ曲も私のお気に入りのナットキングコール「Too Young」ですし。
 一つの史実について、関連各方面の専門家がそれぞれの視点から意見を述べてディスカッションするのです。
 ただの解説番組とは異なる展開がスリリング。

 それまで日本民族は神道(自然崇拝)を信仰してきました。
 天皇は八百万の神と民をつなげる祭祀者でした。

 そこに突然、キンキラキンの仏像を崇拝する外国宗教の導入を迫られたら・・・大変な騒ぎになりますよねえ。

 一般に、蘇我氏は導入派、物部氏は反対派とされていますが、物事はそう単純ではなく、当時の政治情勢も絡んでいたようで、仏教導入はメインではなくサブという位置づけで説明されていました。
 
 蘇我氏は渡来人を集めて勢力を伸ばした氏族です。
 蘇我氏は6世紀に「飛鳥寺」を建立しました。日本最古の寺。
 近年、韓国の王興寺の発掘調査により、飛鳥寺との類似性が明らかになりました。飛鳥寺には韓国(当時の百済)の技術がふんだんに使われており、日本独自の建築とは言い難い、という事実も新鮮でした。
 朝鮮半島の国々と日本は、昔から争ったり仲良くしたりを繰り返していたのですね。

 エンディングに籔内氏が発した「日本から仏教を取り除いたら、何も残りませんよ・・・」というコメントが頭から離れません。

<参考>
□ 「仏教伝来〜古代の文明開化」(ブログ)

「月の裏側」(クロード・レヴィ=ストロース)

2017年05月01日 15時29分32秒 | 日本人論
月の裏側」(クロード・レヴィ=ストロース著)
副題「日本文化への視角」
中央公論新社、2014年発行。


© FAMOUS PEOPLE http://www.thefamouspeople.com/profiles/claude-lvi-strauss-6502.php

著者は「悲しき熱帯」で有名な、構造主義の文化人類学者。
確か高校生の時に手にした本ですが、途中で脱落した記憶があります。

その後35年を経て、やはり惹かれるものがあり、彼の日本人論を集めた本書を読んでみました。
日本に関する文章の寄せ集めなので、一貫性は乏しく、重複もあります。
しかし幼児期に浮世絵に見せられたエピソードに始まり、日本に惹かれ続けた彼の愛情のこもった言葉は心に響きます。

他の文化と比較した上での類似性のみならず、そこから浮かび上がる日本の独創性を賛美しています。
下記文章がそれを象徴しています;

「科学と技術の前衛に位置するこの革新的な国が、古びた過去に根を下ろしたアニミズム的思考に畏敬を抱き続けていることは驚くべきことである。神道の信仰や儀礼が、あらゆる排他的発想を拒む世界像を有している。宇宙のあらゆる存在に霊性を認める神道の世界像は、自然と超自然、人間の世界と動物や植物の世界、さらには物質と生命を結び合わせる。」

「アメリカの発見が人類史の大事件であったことは確かであるが、その四世紀後の日本の開国は、正反対の性質を持ちながらも、もう一つの大事件であった。北アメリカは住民はわずかだったが未開発の天然資源にあふれた新しい世界だった。日本は自然資源には恵まれていなかったが、そのかわり住民達が国の豊かさを作っていた。彼らは自分たちの価値を迷いなく信じることで活気に魅している人間のありようを示したのである。」

「日本は自然の富は乏しく、反対に人間性において非常に豊かです。人々が常に役に立とうとしている感じを与える、その人達の社会的地位がどれほど慎ましいものであっても、社会全体が必要としている役割を満たそうとする、それでいてまったくくつろいだ感じでそれを行うという人間性があります。」

「私が人類学者として賞賛してきたのは、日本がその最も近代的な表現においても、最も遠い過去との連携を内に秘めていることです。それに引き替え私たちフランス人は、私たちの“根っこ”があることはよく知っていますが、それに立ち戻るのがひどく難しいのです。日本には、一種の連続性ないしは連帯感が、永久に、ではおそらくないのかもしれませんが・・・・・今もまだ、存在しています。」

「日本は歴史の流れの中で、外国から多くの影響を受けてきました。とくに中国と朝鮮からの影響、ついでヨーロッパと北アメリカからの影響です。けれども、私に驚異的に思われるのは、日本はそれらを極めてよくどうかしたために、そこから別のものを作り出したことです。これらのどの影響も受ける前に、日本人は縄文文明という一つの文明を持っていました。縄文文明と比較できるものは、皆無です。」


本書の中で、日本の神話や宗教儀式を他の国・地域と比較して共通点を見いだすコメントがいくつもありました。
しかし「共通しているから起源が同じであると推測される」という結論で終わっているのが私にとっては少し不満です。
その意味への考察が乏しいのです。
人類が共通して以下帰る問題とその解決法が隠されているかもしれないのに。

訳者の好みなのでしょうか、所々に抽象表現の羅列があり、少々難解な文章も見かけました。
また、一部は公演記録なので、記録に残すべく校正した文章と異なり、表現がわかりにくい箇所もありました。


<備忘録>

・縄文の土器は、他のどんな土器にも似ていない。年代についても、これほど古く遡ることのできる土器作りの技術は他に知られていない。1万年続いたという長い期間も類を見ない。とりわけ「火焰様式」などの様式が独創的である。

・銅鐸に描かれている文様、埴輪、大和絵、浮世絵などには、表現の意図と手段の簡素さが共通して認められる。これは中国式のふんだんな複雑さからは、およそ遠いものである。

・日本文化は両極端の間を揺れ動く、驚くべき適応性を持っている。日本文化は反対のものを隣り合わせにすることさえ好む。この点で、日本文化は西洋文化と異なっている。西洋では一つのものを別のものと取り替えるのであり、後戻りするという発想はない。

・日本式「ディヴィジョニスム」(分析的精神)
 現実のあらゆる側面を、一つ残らず列挙し、区別し、しかもそれぞれに同じ重要性を持たせるという努力。
 職人が同じ注意深さで、内側も外側も、表も裏も、見える部分も見えない部分も扱う、日本の伝統的工芸品のうちにその精神が認められる。
 日本製の小型計算機、録音機、時計などは、領域は異なっても、完璧な出来映えという点で、かつての日本の鍔、根付け、印籠のように、触れても、眺めても魅力あるものであり続けている。
 料理では、自然の産物をそのままの状態に置き、中華料理やフランス料理とは反対に、素材や味を混ぜ合わせることを避ける。
 大和絵においても、描線と色を切り離し、色は平面的に塗られる。
 日本音楽には和音の体系がない。音を混ぜることを拒否しているのである。音を混ぜないで抑揚を付ける。音色には楽音と噪音が巧みに組み込まれている。西洋の音楽ではさまざまな音が同時に響き合って和音を産むが、日本の和音は同じ瞬間ではなく時間の流れの中で生まれる。

・フランスが、モンテーニュとデカルトの系譜の中で、おそらく他のどの民族にもまして思想の領域における分析と体系的な批判の能力を推し進め、一方で日本は、他のどの民族よりも、感情と感性のあらゆる領域で働く、分析を好む傾向と批判精神とを発達させた。
 日本人は、音も、色も、匂いも、味も、密度も、肌理(きめ)も、区別し並列し取り合わせる。

・東洋の思想と西洋の思想の違い
 西洋の哲学者達は、東洋の思想は“二つの拒否”により特徴づけられると考えた。
1.主体の拒否:
 ヒンドゥー教、道教、仏教とさまざまな形をとっているが、西洋にとって第一の明証である「私」が幻想であることを示そうとしている。これらの教義にとって、各々の存在は生物的で心理的な現象のかりそめの寄せ集めに過ぎず、一つの「自己」という持続的要素を持っていない。
 ゆえにデカルトの「われ思うゆえにわれあり」は厳密には日本語に翻訳不可能である。
 日本人は主体を消滅させてしまったわけではなく、主体を原因ではなく一つの結果にするという方法をとった。主体に対して西洋哲学は遠心的であるが、日本的思考が主体を思い描くやり方はむしろ求心的である。
2.言説の拒否:
 ギリシャ人以来、西洋は言葉を理性のために用いれば、人は世界を理解できると信じてきた。反対に東洋的な考え方では、どんな言葉も現実とは一致しない。
 西洋が他の思考体系に対抗するものとして提示したものから、日本は自分に合うものを取り、残りを遠ざけることにより対応した。

・・・このように日本文化は、東洋に対しても西洋に対しても一線を画している。日本文化は今日、東洋に社会的健康の模範を、西洋には精神的健康の模範を提供している。

・日本の職人仕事と西洋の職人仕事の根本的な違い
 前者と反対に後者がその継承にあまり成功しなかった理由は、古い技術の存続とはあまり関係がないという印象を持った。日本と西洋の違いは、家族構造が残っているかどうかと関係があると感じた。

・私が日本にいる理由は、日本人が自分たちを見るという機会を日本人に提供するためだと思う。

・日本の料理と木版画に共通する特徴は「独立主義」「分離主義」
 木版画は線描と色彩とが独立しており、表現力豊かな線と平面的に塗られた色彩が特徴である。この相互の独立は、他のどの技法にも増して版画がよく表現できる。線と色彩の二元性である。
 日本料理はほとんど死亡を使わず、自然の素材をそのまま盛りつけ、それをどう混ぜ合わせるかは食べる人の選択と主体性に任されている。これほど中華料理から遠く隔たっているものはない。
 純粋な日本のグラフィック・アートも純粋な日本料理も、混ぜ合わせることを拒否し、基本的な要素を強調する。
 中国の仏教と日本の仏教との違いの一つは、中国では同じ寺院の中に異なる宗派が共存しているのに対して、日本では9世紀から、ある寺院は天台宗だけ、ある寺院は真言宗だけという具合になった。

・日本人は虫の鳴き声を右脳ではなく左脳で捉える(神経学者:角田忠信)。日本人にとって虫の鳴き声は騒音ではなく、口に出して発音された言語活動の部類に入っている。これはアジア人も含む他のすべての民族とも異なる。

・「はたらく」ということを日本人がどのように考えているか。
 西洋式の、生命のない物質への人間の働きかけではなく、人間と自然のあいだにある親密な関係の具体化と考える。

・人類を脅かす二つの災い
1.自らの根源を忘れてしまうこと。
2.自らの増殖で破滅すること。

・日本が近代に入ったのは「復古」によってであり、例えばフランスのように「革命」によってではなかった。

新渡戸稲造「BUSHI-DO」

2017年05月01日 07時42分53秒 | 日本人論
録画してあったBS-TBS「THE歴史列伝〜そして傑作が生まれた〜新渡戸稲造」をGWに観ました。
放送は2015年5月。



<内容紹介>
 今回の列伝は武士道を世界に広めた教育者・新渡戸稲造。明治時代、西洋列強から野蛮と思われていた日本。新渡戸は日本人の魂を体系化した本「武士道」を英語で出版、世界的なベストセラーになった。その後、日本が誇る国際人として国際連盟の事務次長として活躍。しかし、昭和8年、晩年の新渡戸にカナダでの国際会議の団長としての命が下った。それは軍国主義の道を突き進む日本に残された、唯一の外交の場であった。新渡戸は渾身の演説を残すも…


 新渡戸稲造は五千円札の肖像画としてお馴染みですが、詳しいことは知りませんでした。
 ただ、「武士道」の著者として時々話題になるので、気にはなっていました。

 この番組を観て、そのスケールの大きさに圧倒されました。

 諸外国から「刀を振り回す蛮族」として捉えられていた幕末〜明治時代の日本人。
 若き国際人としてその誤解を解くべく表したのが「BUSHI-DO」(英語)です。
 この書物は17カ国語に翻訳され、アメリカ大統領のルーズベルトも読んで感銘を受けたという記録が残っています。

 そして新渡戸稲造は、国際連盟の初代事務次長に就任し、世界平和を達成するべく尽力しました。
 しかしその意図に反して日本の軍国主義の勢いは止まらず、なし崩し的に第二次世界大戦へ突入。
 新渡戸による釈明の甲斐なく「やはり日本人は蛮族であった」とみなされることになり、新渡戸は失意に沈んだことでしょう。

 新渡戸稲造はクラーク博士が在籍した札幌農学校(現北海道大学)で勉学に励みました。
 新進気鋭の学舎には全国の秀才が集まり、授業はすべて英語だったそうです。
 当時の同期生には内村鑑三がいて、成績トップを競いました。記録によると、内村が1番、新渡戸は3番か4番だった様子。
 札幌農学校卒業後に東京大学にも一時在籍しましたが、そのレベルの低さに失望し(?!)、アメリカ留学を決意したそうです。
 東大よりも北大の方がレベルが高かった・・・そんな時代があったのですねえ。