知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「苦海浄土」(石牟礼道子著)

2016年10月01日 15時13分33秒 | 歴史
 5年ほど前でしょうか、石牟礼道子さんの本を集めたことがありました。
 水俣病を扱ったドキュメンタリー、というイメージでこの「苦海浄土」を読み始めましたが、ピンとこなくて読むのを途中でやめてしまいました。

 今回、NHKの「100分de名著」でこの本が取り上げられたので、興味を持って見てみました。
 昔読んだとき、なぜ心に響かなかったのだろう? と。

 解説が進むにつれ、そのすさまじい内容にひれ伏すしかありませんでした。
 久しぶりに魂を揺さぶられる経験。

 石牟礼道子さんは、詩をたしなむ一介の主婦でした。
 その彼女が、水俣病を知ったとき、まるで彼女の体に憑依した神が託宣をするかのような現象が起きたのです。
 「苦海浄土」とは、豊かな自然である神の領域を人間が侵した壮大な叙事詩なのでした。

 いや、それだけではない。
 それ以上のものが語られている・・・。
 番組の放送分を見終わっても、まだ自分の中で消化不良を起こしています。
 


NHK番組の解説
国などの救済対象となった被害者だけでもおよそ5万人にも及び、世界に例をみないほど大規模な公害問題を引き起こした水俣病。その被害者である漁民たちの運動や患者たちの苦悩・希望を克明に描ききった一冊の本があります。「苦海浄土」。1950~60年代の日本の公害問題を知る上での原点ともいうべき本であるとともに、そこに込められた深い問いやメッセージの普遍性から「20世紀の世界文学」という評価も受けている名著です。「100分de名著」では、水俣病公式確認から60年の節目を迎える今年、「苦海浄土」に新たな光を当て、現代の私たちに通じるメッセージを読み解いていきます。
著者の石牟礼道子(1927-)はもともと一介の主婦でした。しかし自らの故郷を襲った惨禍に出会い、やむにやまれない気持ちから水俣病患者からの聞き書きを開始、「苦海浄土」を書き始めます。以来、水俣病患者や彼らにかかわる人々に寄り添い続け、全三部完結まで足かけ四十年以上、原稿用紙にして二千二百枚を越える文章を書き継ぎました。第一部が出版された1969年の日本は高度経済成長の只中。いわば経済発展の犠牲者ともいえる水俣病患者たちは、まだメディアで断片的にしか伝えられることはなく、その全貌はほとんど知られていませんでした。そんな中での「苦海浄土」出版は、経済成長に酔いしれる日本人たちに大きな衝撃を与えたのです。
この書は単に公害病である「水俣病」を告発するだけにとどまりません。「苦海浄土」に描かれた人々の生き方からは、「極限状況にあっても輝きを失わない人間の尊厳」「苦しみや悲しみの底にあってなお朽ちない希望」が浮かび上がってくます。さらには、公害を生んだ近代文明の根底的な批判や、そうした近代の病を無意識裡に支えてきた私たち一人一人の「罪」についても鋭く抉り出します。この本は、単なる公害告発の書ではなく、文明論的な洞察がなされた著作でもあるのです。
 番組では、批評家・若松英輔さんを講師に招き、新しい視点から「苦海浄土」を解説。そこに込められた「人間の尊厳」「近代文明批判」「歴史観と生命観」「罪とゆるし」など現代に通じるテーマを読み解くとともに、想像を絶する惨禍に見舞われたとき、人はどう再生し、生きていくことができるかを学んでいきます。

第1回 小さきものに宿る魂の言葉
【指南役】若松英輔 …「井筒俊彦―叡智の哲学」「生きる哲学」「悲しみの秘儀」等の著作で知られる批評家。 
【朗読】 夏川結衣(俳優) …NHKドラマ「トップセールス」で主演。
「水俣病」の真実の姿を世に知らしめようと書かれた名著「苦海浄土」。石牟礼道子がとりわけこだわったのは、言葉すら発することができなくなった患者たちの「声なき声」だった。「ものをいいきらんばってん、人一倍、魂の深か子でござす」。例えばそう語られる患者の一挙手一投足に目を凝らし、彼らが本当にいいたいことに耳をすます。その結果記録されたのは、魂の奥底から照らし出されるような力強い言葉だった。その言葉の数々は、苦しみや悲しみの底にあってもなお朽ちることのない何かがあることを私たちに教えてくれる。第一回は、石牟礼道子が「苦海浄土」に記録し続けた患者たちの「声なき声」の深い意味を読み解くことで、想像を絶する惨禍に見舞われたとき、人はどう再生し、生きぬいていくことができるかを学んでいく。

第2回 近代の闇、彼方の光源
「生命の根源に対してなお加えられつつある近代産業の所業とはどのような人格としてとらえなければならないか」。そう宣言し、石牟礼は「みんながやったんです」「私の責任じゃないんです」といった責任回避の論理を徹底して否定してみせる。そういう曖昧な捉え方をしていては、今起こっている出来事の正体を見過ごしてしまう。近代には、我々が普通に考えている人格とは違う、「化け物」のような人格があるということを見極めることが大事だと石牟礼はいう。第二回は、近代産業社会が解放してしまった人間の強欲、自然をことごとく破壊しても何かを成し遂げようとする人間の業といった、「近代の闇」と向き合うすべを学んでいく。

第3回 いのちと歴史
「苦海浄土」に描かれているのは人間だけではない。魚や貝や鳥たち…最も弱き者たちから傷つけられていくのが「水俣病」なのである。この状況を見つめるとき、人間は、自分をはるかに超えた大きな生命の一部だという厳粛な事実に気づかされる。こうした生命観を回復しなければ人は再び同じ過ちを犯してしまうかもしれないということを「苦海浄土」は教えてくれる。一方で、水俣病患者や彼らにかかわる人たちは、大きな問題に直面したとき「足尾鉱毒事件」という公害問題の原点というもいうべき歴史に立ち帰っていく。そのときの情報や知識だけではなく、歴史の叡知に立ち戻ってもう一度問題を考え直してみるのだ。第三回は、自然や歴史という大いなるものを見つめぬいたからこそ得られる叡知の大切さを学んでいく。

第4回 終わりなき問い
「苦海浄土」は魂のリレーのように今に受け継がれている。水俣病患者であるにもかかわらず「チッソは私だった」と自分自身の内なる罪をも同時に告発しようとする緒方正人さん。言語を絶する苦しみにさらされながらも「私たちは許すことにした」と語る杉本栄子さん。「絶対に許さないから握手をするんだ」「終わりはないけど一緒に終わりのない道を歩くから握手をするんだ」といって原因企業であるチッソと対話をしようとする患者たち。そこには、憎悪の連鎖を断ち切ろうとする水俣の叡知があり「苦海浄土」の残響がはっきりと読み取れる。第四回は「苦海浄土」と今を生きる水俣病患者たちの声をつないで読み解くことで、「水俣病」という未曾有の出来事が、私たち現代人に何を遺したのか、そして、そこから何を受け継いでいくべきかを深く考えていく。