知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「神社が教えてくれた、人生の一番大切なこと」by 和田裕美

2011年06月22日 06時18分00秒 | 神社・神道
 「神社」というキーワードでたどり着いた本です。
 著者はカリスマ営業ウーマンとして有名な方らしく、その方面の著書もたくさんあります。「神社」と「カリスマ営業ウーマン」・・・ピンと来ない組み合わせですね。

 内容は「現代版観光的神社参拝法」といったところでしょうか。
 彼女にとって「神社」はプラス思考をサポートするアイテムのひとつであり、たまたま巡り会った気の合う友達のようなもので、必ずしもそれが神社でなくてもよかったような印象を受けました。

 神社の何が魅力的か・・・彼女は「気持ちいい」と記しています。
 私も神社巡りを趣味とする一人ですが、気持ちのよい神社は「手入れされている神社」であることが多いですね。つまり、氏子さん達が元気で宮司さんもいて、その地域で存在する意義を持ち続けている社です。

 一方、地方の小さな神社巡りをしていると、氏子さん達に見放された廃寺のような荒れた神社も目にすることがあります。
 そんな時、私は先人達の祈りの痕跡を拾いながら参拝しますが、著者は「そういうところへは行きません」とハッキリ書いており、彼女の神社好きは信仰と云うより観光的要素が大きいことがうかがい知れます。その証拠といってはなんですが、彼女の参拝はお食事処・温泉・宿などとセットになっています。
 
 この辺はスピリチャル本を乱発している江原啓之さんの影響もあるのでしょうか。
 最近の神社関係~パワースポットの本は、神社とその周辺の観光をセットにして記載されていますね。
 もっとも、江戸時代でも神社仏閣は観光地であり、参拝の旅は唯一庶民に許された旅行であったことを考えると”宜なるかな”ですが・・・。

 なぜ日本人は神社に惹かれるのか、については鎌田東二さんの「聖地感覚」を読んだ方がよく理解できるでしょう。

 御神木についての記載はうなずけること多し。一部を抜粋します;

樹齢1000年や3000年の木を眼前にし、その木に触れてみるとそこにはすごい過去からのつながっている命そのものがあるのです。・・・自分の悩みとかがちっぽけに感じて原点に戻ろうと思えます。

 私の好きな神社は地方の田舎にある「山神社」です。下の写真は近隣の山神社の鳥居で「山神」と書いてありますね。御神木は樹齢700年のケヤキです。



 山神社は古事記・日本書紀に登場する神様達以前の「山」そのものが信仰対象になっている古社。小さくて、素朴で、でも彼の地に住んできた人達には祖先とつながる祈りの場です。
 私の参拝は、何かをお願いすると云うより「古人と祈りの空間を共有する」感覚でしょうか。
コメント
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