知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

沖縄基地移転問題、北朝鮮拉致事件への疑問

2010年08月17日 06時09分24秒 | 戦争
毎年8月になると戦争に関するメディア報道が増え、戦争について考える機会が増えます。
戦後65年、日本の外交はどのような方向に向かっているのでしょう。

日本の外交政策にどうもピンと来ない私。
なんだか建て前と本音が入り乱れて一貫性がないような気がするのです。

と常々感じていたら、その疑問を払拭するような大江健三郎さんの寄稿が朝日新聞に掲載されました。
「日本が核兵器根絶を唱えるなら、アメリカの『核の傘』を離脱しないと説得力がない」

まさに、沖縄基地移転問題もこれと同じ背景があると思います。
沖縄のアメリカ軍基地を国外に移転するなら、すなわちアメリカの保護を拒否すると云うこと。

すると何が起こるのか?

日本の領土を虎視眈々と狙っている中国とソ連が水面下で攻めてきます。
これは歴史が実証してきた、まぎれもない事実です。
そのことを日本国民が十分認識しているとは思えません。

日本は資源が無く、現在のところ大国と上手く交渉して仲良くし、生き延びるしか術がない。
その相手は従来・現在はアメリカです(もっと古くは中国)。
それを今、基本的人権さえ認められていないソ連や中国に替える勇気がありますか?
ソ連ではプーチン首相に批判的なジャーナリストが次々と不審死を遂げています(既に10人以上!)。
中国では民主化運動の象徴である天安門事件は未だに封印され、最近では異常なまでに厳しい報道規制のためGoogle(インターネット検索会社)が事業撤退したことは記憶に新しいところです。
この二つの国には、現政権に批判的なことを云う自由がないのです。
沖縄基地移転問題は、アメリカの保護を捨て中国・ソ連の脅威に晒される覚悟があるのかという「踏み絵」だという認識を持っていただきたい。

北朝鮮拉致問題。
「太陽」政策が失敗し、現在「北風」政策に方向転換されて久しく時が過ぎました。
援助よりは制裁・・・それも国を挙げて。
でも、これって「目には目を、歯には歯を」という憎しみの連鎖ですよね。
「平和国家」「非核三原則」「軍隊放棄」の日本として、この政策はいかがでしょうか?

朝鮮半島は第二次世界大戦終了後にアメリカとソ連・中国の綱引きによって南北に引き裂かれました。
ちなみにヨーロッパではドイツが引き裂かれて東西に別れましたが、こちらは1989年にベルリンの壁が崩壊して一つの国に戻れました。
しかし、朝鮮半島は分かれたまま現在に至っています。

南の韓国はアメリカの支援の下、経済復興を遂げ今や破竹の勢いです。
一方の北朝鮮は・・・中国とソ連のサポートはどうなっているの?
北朝鮮が貧しく政治的に問題なのは、その戦後処理に当たった中国とソ連の責任ではないでしょうか。
私には北朝鮮の挑発的な対米政策は、中国・ソ連により操られている戦略に見えてしまうのです。

北朝鮮は親(中国・ソ連)に見捨てられた戦争孤児という捉え方もできます。ネグレクトという虐待の一形態ともみることも可能です。
そのような傷ついた子どもに、日本はさらに厳しい経済制裁を加えていることになります。虐待により精神的に不安定な子どもを刺激すれば、逆上することは眼に見えています。
力でねじ伏せる方針では、良い結果が得られるとは思えません。

『何故あの戦争は始まったのか』

2010年08月08日 14時03分04秒 | 戦争
「池上彰の20世紀を見に行く」~終戦日特別番組~『何故あの戦争は始まったのか』(BSジャパン)

すっかり有名人となり各局で引っ張りだこの池上さん。
彼は元NHKアナウンサーで、政治・経済ニュースのカラクリをわかりやすく解説してくれる貴重なタレントです。

さて、8月は太平洋戦争が終わった月で、毎年この頃には戦争に関する報道番組が多数放映されます。
日本人にとって「戦争とは何だったのか」を考える月です。
今回、2008年夏に初放映された上記番組の再放送を拝見しました。

3人の識者をゲストに迎え、日本が外国相手に戦争を繰り返してきた近現代史に焦点を当て、「どの時点で後戻りができなくなったのか?」という問いの答えを用意してもらい、それを元に討論するという内容です。

詳細は差し置き・・・印象に残った部分だけメモしておきます。

■ 日本が国際連盟を脱退したときの状況を映像で見ると・・・世界から孤立していく様が現在の北朝鮮と重なりました。

■ 日本が負けると考えられていた日露戦争(軍備は日本:ロシア=1:10)に勝ってしまったものだから、国民感情は盛り上がり、それ以降の無謀な戦争にも「日本が負けるわけがない」という精神論が幅を利かせるようになったようです。
 ロシアのバルチック艦隊は北欧~アフリカ~インド洋を経て日本近海にたどり着いたとき、兵士は疲労困憊だったようで、これが日本の大きな勝因となりました。
 しかし、日露戦争に負けていたら日本はどうなったでしょうか?
 おそらく、ロシアの植民地。
 現在のロシアの北方領土に対する強引さと執着心を考えれば、自ずと答えは出てきますね。

■ 国同士の戦争は「トーナメントの生き残りゲーム」。勝ち続ける限り新たな敵が現れ、負けるまで終わらない「勝ち逃げタブー」の勝負の世界・・・最期は勝つ方も負ける方もボロボロでした。

■ マスコミの弊害。政府が「ここまでで止めよう」と考えていても、マスコミが国民感情を煽り「勝ち続ける限り進むしかない」という雰囲気を作ってしまいました。逆に戦争に批判的な新聞はなんと不買運動まで起きる始末・・・こうなると戦争は『国民がそれを望んだ』としか云いようがないような気もしてきます。

※ 先日NHK-BSで『日本の一番長い夏』というドラマを放映していました。某雑誌社(担当はその後作家になった半藤一利氏)が昭和38年に戦争関係者28名に集まってもらい、当時のことを話すという企画をドラマ化したものです。特徴として、演じているのがプロの役者ではなく、大学教授、作家、アナウンサー、料理研究家、漫画家と実に様々な職種から選んだことで、彼らにとっての戦争体験もインタビューで紹介されました。
 その中で印象に残った言葉;「戦争を始めたのは大衆とマスコミであり、軍部はそれを利用し、政治は追従せざるを得なかった」
 昨今の政治や選挙を見ていても、郵政改革を謳って大勝利を収めた小泉政権は今や批判され、消費税増税と口走って負けた菅政権・・・冷静な判断ができずに感情的に流される国民・大衆の愚劣さを痛感しています。

■ 日本がアメリカ相手に戦争を仕掛けるとき、日本の石油の75%はアメリカから輸入していたのでした。燃料を買っている相手と戦争をして勝てるはずがないのに・・・狂っています。
 その前には日本は外国により経済制裁を受けていました。アメリカ・イギリス・オランダにおける日本人資産凍結、アメリカからの鉄くず輸入禁止、等々・・・まるで今のイランのよう。

・・・政治が悪い、国が悪い、と嘆いても、それを望んでいるのは結局我々国民一人一人なのでしょう。

「謎の都・飛鳥京発掘~よみがえる”水の都”~」

2010年08月01日 15時48分04秒 | 歴史
2001年、NHK-BS放映(今回再放送を拝見しました)

~番組紹介より~
奈良県明日香村。7世紀ごろ、日本の国造りの出発点といわれる古代の都・飛鳥京がここに置かれていました。長い間、謎に満ちた石造物の都として知られてきましたが、近年の発掘調査によって「水の都」という新たな姿が浮かび上がってきました。考古学者たちは宮殿庭園の一角を占める巨大な池の調査から、当時の飛鳥京の姿を描き出そうとします。8か月にわたる発掘調査に密着し、映画監督の河瀬直美が現地を訪れて報告します。

飛鳥京は日本で初めて計画的に造られた都です。その発掘現場から、当時の都の様子を推理するスリリングな内容でした。

飛鳥京の西北にあった「苑池」(えんち)と呼ばれる大きな池。従来は天皇が自然を眺めて心を癒す程度のモノと考えられてきましたが、発掘を進めると想定外の構造が次々と明らかになり、逆に考古学者を混乱させました。
発掘を邪魔する湧き水、池の場所により深さが異なる・・・なぜ?
飛鳥人からクイズを出され、知恵を試されているような印象さえ受けました。

考古学者の知識ではカバーできず「水利学者」「古環境学者」などがチームを組んでお知恵拝借。すると、とてつもない計画的・機能的な「水の都」像が浮かび上がってきたのです。

飛鳥京は縦横に水路が張り巡らされていました。夏場に涼を取る目的と火事対策と推定されます。しかし、その水路は都の西を流れる飛鳥側に流れ込むわけではなく、「苑池」に繋がれているのです。

古環境学者の調査により、苑池の深い部分(約4m)は、地下水路と繋がっていることがわかりました。池の底の土のプランクトンの分析から、キレイで入れ替わる水を好む種類が見つかったのです。

また、水利学者の調査から、飛鳥京には豊富な地下水路が存在することも調査からわかりました。その位置は「苑池」に見事に一致。つまり、都に水が枯渇すると地下水路から水が供給され、都に水が溢れると地下水路に流れ込む・・・自然を巧みに利用した「都市の水管理法」がそこにありました。
脱帽!

コンクリートで固めてヒートアイランド化した現代の東京より優れているのではないでしょうか?

それから、苑池には植物園もありました。池の土から植物のタネが発見されたのです。桃やナツメ・・・主に果樹ですね。さらに、池の土から木簡が発見され、そこに病気の症状と処方箋が書いてありました。

一般の方はピンと来ないかもしれませんが、漢方を扱う私は「なるほど!」と頷きました。
桃やナツメは古代日本では果物ではなく薬だったのです。つまり「管轄の薬性植物園」ということ。
現在でも漢方医学(日本の伝統医学)では生薬として使われています。桃のタネは血液の流れを良くし、ナツメは赤ちゃんの夜泣きに効きます。

「温故知新」とは使い古された言葉ですが、今回も古代日本人に「一本取られた」気がしました。