知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「仏教に何ができるか ~奈良・薬師寺 被災地を巡る僧侶たち~」by NHK-ETV

2013年06月03日 08時09分39秒 | 震災
2013年5月11日(土) 夜11時放映

仏教に何ができるか~奈良・薬師寺 被災地を巡る僧侶たち~
「なぜ自分だけが生き残ったのか。」「なぜ原発事故に翻弄されなければならないのか。」東日本大震災によって生じた、数々の言い知れぬ苦しみ。その苦しみを少しでも和らげたいと、奈良・薬師寺は去年3月から寺をあげて被災地を巡ることにした。
僧侶たちが携えたのは「般若心経」。仮設住宅の集会所などに出向いて仏の教えを説き、「写経」を勧める。苦しみを抱える人々に、これからの生き方を見つめ直してもらうのがねらいだ。
被災地へ足しげく通う中で、薬師寺の僧侶たちは壁にぶつかる。遺族の苦しみに触れ、これまで説いてきた仏の教えを突きつけることに戸惑いを覚えるようになった者。そして、被災地のすさまじい光景を目の当たりにしたとき、身勝手な自分に気づかされ、仏に仕える資格はあるのかと自己嫌悪に陥った者。それでも僧侶たちは、みずからの存在意義をかけて被災地に立ち続けた。
家族や家を失い、苦しみのただ中にある人々に対して、直接被災しなかった者たちが語りかけるべき言葉はあるのか。薬師寺僧侶たちの1年におよぶ模索を通じて考える。


東日本大震災が起こったあとから宗教の動きに注目してきました。
民が苦境に立たされたとき、宗教は真価を発揮するはず。
うがった見方をすれば、仏教者にとっては存在感を示すチャンスでもあります。

キチンと番組として取りあげられたのは珍しく、興味を持って試聴しました。

しかし、被災地を訪れた僧侶達は・・・ふだん説教をするのに慣れている彼らが戸惑っている姿がありました。
平和な時代の説教は、極限状態では民の耳に届かないのです。

なんだ、日本の仏教はこの程度だったのか、と少々ガッカリしました。

試行錯誤の末、般若心経の写経に落ち着いたのでした。
今の仏教者は、自分の言葉で語る力を失ってしまったのだと感じました。

先日の新聞にこんな記事がありました。
津波の被害を受けたお寺では、檀家もいなくなってしまい墓も荒れて住職は酒におぼれる日々・・・。
あまりにも世俗的であり、そこに聖職者の姿は感じられませんでした。
残念です。