知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「京都~天下無双の別荘群」

2010年09月23日 21時53分50秒 | 日本の美
NHK-BSで件名の番組を見ました。
「あれ、前にも見たことあるな」と途中で気づきました(苦笑)。

京都の東山界隈には観光地以外に秘密の別荘群があります。
個人の持ち物なので非公開なのです。
これらは、明治~大正時代に財をなした名士達がこぞって日本美を極めた別荘を造営したもの。
創設者には野村證券の創設者や、松下幸之助、細川元首相の祖父の名前もありました。

この土地、実は明治時代になり南禅寺などから買い上げた広大な土地に工場建設を計画したものの頓挫し、広い空き地ができたところに粋人達が目を付けた経緯らしい。
よかった~。工場なんてできていたら、雰囲気が激変して京都らしさがなくなってしまいます。

それにしても、欧米に追いつけ追い越せと東京では煉瓦造りの西洋建築が造られた時代に、京都では和風建築・庭園が造られたことがうれしいですね。

別荘を管理するには多大な費用がかかり、個人で維持するのは難しいそうです。
現在の所有者の一人は「京都の文化財を一時的に預かっていると思ってます」とコメントされていました。いずれ誰かに預けることになる、という含みを持たせた言葉です。
実際、別荘の一つは世界規模のクリスティーズ・オークションにかけられ、アメリカのパソコン王(ビル・ゲイツと並ぶ人物とか)が落札しました。

ちょっと寂しいですけど、これが現実です。

「ご近所の神様」

2010年09月23日 21時32分16秒 | 神社・神道
久能木紀子著、マイコミ新書(2008年発行)

著者は「神社ライター」という肩書きの持ち主。東京中の神社参拝をクリアした強者です。
有名神社だけではなく、身近にある神社の解説も試みた内容です。

残念ながら、目からウロコが落ちるような情報はあまりありませんでした。
既に何冊か神社に関する本で読んでいるためかもしれません。

そんな私におぼろげに見えてきた「神社」像。

古来、日本の神社に祀られる神様は「自然の驚異」の類でした。
災禍をもたらす自然力を祭り祈ることで人間の益にもなり得ると信じたのです。
そこから派生して、大きな力を持った人物の怨念を鎮めるために神として祀るパターンも登場しました。菅原道真や平将門がその例ですね。

古事記・日本書紀に登場する神様達も祀られていますが、これは、天皇家がその正当性を説明するために神社を政治利用した結果と捉えることもできます。
時の権力が宗教を利用することはよくあることです。
明治・大正・昭和時代は「国家神道」として政治家が天皇を現人神に祭り上げ、「天皇のために命を捧げる」というカラクリを作り出して戦争を正当化したことは記憶に新しい。
というわけで、神話上の神様や実在の人物を祀った神社はどうも私にはしっくりきません。

神社の始まりの頃、社はなく場所だけ決まってましたらしい。
そこに社が造られるようになったのはインパクトのある伽藍を有する仏教の影響も指摘されています。
日本最古の神社と云われる大神(おおみわ)神社には本殿(神様が鎮座する場所)がないそうです。
では神様がいないか、というとそうではなく、後ろに控える三輪山そのものが御神体なのです。

最近気づいたのですが、里山には「山神社」という社が点在します。
「山」という自然を神様として祀った最も原始的な神社です。
その素朴さが好ましい。
1000年前からこの地で畑仕事・山仕事に汗を流した日本人が、この神社へ祈りを捧げてきたのですね。

先日訪れた栃木県佐野市の「丸嶽-山神社」。
こぶケヤキと呼ばれる巨樹の勇姿が見事ですが、本殿周囲の薄暗い鎮守の森の中で、翁顔をした神様達が談笑しているようでした。

「千と千尋の神隠し」の世界ですね。


「日本人の心と建築の歴史」

2010年09月19日 03時11分40秒 | 民俗学
上田 篤 著、鹿島出版会(2005年発行)

 久しぶりに知的好奇心をくすぐられる本に出会い、楽しいひとときを過ごすことができました。思索する喜びを教えてくれる良書だと思います。

 日本の建築を「生活」「祈り」の場という視点から歴史的に紐解いていく様は、ミステリー文学に似てスリリングでさえあります。学術論文ではないので、真偽の受け止め方は読者次第ですが・・・。

 印象に残った箇所;

 ほんの50年前まで、農家の家は竈のある土間と畳のある高床式の併存する住居が普通でした。
 当たり前のことで疑問を持つことさえありませんでしたが、なぜこの造りなのかと聞かれても説明できませんね(笑)。
 著者はこの造りを「縄文時代の生活空間」と「弥生時代の生活空間」が合体したものと説きます。

 狩猟採集が生業(なりわい)である縄文時代の食物保存法は火を使った煮込みであり、竪穴式住居では火を絶やさぬよう外からの風雨を避ける大きな屋根が特徴でした。そして「火」は信仰対象でもありました。

 一方、弥生時代には農耕が始まり、イネモミを保存する為に有利な高床式倉庫を造り、時代が下るとそこにも人が住むようにもなりました。高床式倉庫は神社の本殿の元でもあり、これも信仰の対象でした。

 しばらくの間は竪穴式住居(土間)と高床式住居の併存状態が続きましたが、やがて一つの住居にまとまる時が到来し近代の住居の形に落ち着いた、と推論しています。

 なるほど。

 その他にも、舟を操る天照大神一族が日本を支配することにより舟の材料である巨木信仰が始まり、日本建築の随所にその影が色濃く残っていることを論証しています。
 例えば、お寺の五重塔は仏教本場のインドや中国ではほとんど残っておらず、日本にのみ残されてきた背景には、心柱となる巨木信仰が根底にある、等々。

 目からウロコがぽろぽろ落ちました。
 やはり日本は「木」を大切にしてきた民族なんだなあ、と頷きながら読み終えました。

☆ 著者のデータ:
1930(昭和5)年大阪市生まれ。建築学者、建築家。建設省技官を経て、京都大学。大阪大学・京都精華大学の教授をつとめる。著作多数。