知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「太宰治の『津軽』」

2009年12月20日 13時19分52秒 | ふるさと
NHK-BSで太宰治生誕100年を記念した番組を放映していました。
俳優の村田雄浩さんが太宰を演じる郷土の舞台『津軽』を題材に取材した内容です。
県民参加型の演劇で、プロは村田さんと川上麻衣子さんだけ、他は皆オーディションで合格した素人さんです。
金木町にある太宰の生家が主人公となりひとり語りの形式で進みました。

『津軽』は小説でありながら、紀行文でもあります。
古い友人を訪ね歩く下りには創作は必要ありません。
むしろ、その部分の文章は太宰にしては伸び伸びしています。

脚本・演出担当の長谷川孝治さんの言葉が印象に残っています。
「太宰を初めて読んだとき、自分だけに語りかけてくれると感じ、大学生の時再読したら、なんて女々しい小説なんだと感じ、大人になって読んだら心に沁みてきた・・・読む年代・回数により様々なインパクトを与えてくれる作家」
「『津軽』という小説の中では、地元の人達の言葉を標準語に直して書いている。でも今回は、元々の津軽弁に戻して公演した」

『津軽』の中で一番大切な場面は、津島家の奉公人で修治(太宰の本名)の育ての親とも云えるタケとの再会です。
成人後小説家で名を挙げても苦しい思いを抱えて生活し、何度も自殺未遂した太宰がタケの前では純粋で素直な幼児になってしまう・・・「タケの側に座っているだけで、もう、何がどうなっても良くなってしまった、これが平和というものか・・・」

太宰にとっての母性とは・・・実母の影は薄く、奉公人の女たちはチヤホヤするだけ、大人になって縁を持った芸者やカフェの女中に母性を求めても所詮無理、・・・親身になってくれたのはタケだけ。
太宰は狂おしく『母性』を求め続けたんだなあ、と感じ入りました。
現在も太宰の作品が支持されている背景には、日本人が皆、同じような気持ちを少なからず抱えている現実が隠れているのでしょう。

再開を果たした小学校の校庭には、正座して前を見つめるタケとその横でくつろぐ太宰の銅像があるそうです。
太宰は穏やかなよい表情をしています。

その数年後に太宰は入水自殺して自らの人生に幕を引きました。

※ 大学生時代に金木町へ行ったことがあります。
芦野公園、水子地蔵尊と巡りました。太宰の生家も見たような見なかったような・・・当時は「斜陽館」という名前の旅館でした(現在は金木町所有の資料館)。

「ブラ・タモリ」

2009年12月13日 09時57分42秒 | ふるさと
NHKのお散歩番組です。
タレントのタモリが東京を節操なく歩き回り、街角のふとしたモノに昭和・大正・明治・江戸~果ては縄文・弥生時代の記憶を辿ります。
タモリは「坂マニア」としても知られ、本も書いて出版しています。

こういうの、好きなんですよねえ。
歴史に出てくる偉人の話は置いておき、名も無き庶民はどんなことを思い、どんな生活をしていたのか・・・分野で云えば「民俗学」ですが、私を魅了してやみません。

■ 例えば、東京大学のある本郷台地のお話;
 大地と平野の境はヒトが居住する最適空間。坂を上り下りして今でもたくさんの平成人が生活していますが、それは昔人も同じ。台地の縁には弥生式土器と住居跡がたくさん残されています。そうそう、弥生式土器が初めて発見された場所は今は東京大学の構内だそうです。
 また、本郷台地には旧街道の「中山道」が通ります。
 街道の始まりに「見送り坂」と「見返り坂」という名前が残っているそうです。文字通り、旅人を見送り、名残惜しそうに振り返りながら旅立っている光景が見えるようではありませんか。
 江戸五街道の起点は「日本橋」。
 現在は首都高が真上を走っていて景観が損なわれていますが、江戸時代は「全ての街道は日本橋に通じる」中心地でした。

■ 例えば、オタク文化発信の地「秋葉原」;
 古くは終戦後、アメリカ軍の払い下げの電気製品を部品単位で小売りする商店街が他の土地から関東大震災後の原っぱに移動してきたらしい。
 私がパソコンや高級オーディオの中古を探してさまよった10数年前は電気街でした。それも家電ではなく、中古部品を集めて自分でラジオなどを組み立てる「オタク」の聖地。
 ある時からアニメを扱ったお店が増えてきたなあ、と感じました。覗いてみると、青年オタクたちの汗のすえた臭いが充満して逃げるように店を出てきた記憶があります。今はもっと清潔になっているのでしょうが・・・。
 メイド喫茶には行ってみたいような、行ってみたくないような。
 そういえば、マイケル・ムーア監督が秋葉を訪問してメイド喫茶を初体験し、「お帰りなさいませ、ご主人様!」と云われて「私はあなたのご主人様ではない」と真面目に反論していましたね(苦笑)。
 交通博物館は無くなってしまいましたが、鉄道ファンの聖地でもありました。

■ 例えば、「お台場」;
 「台場」は「大砲の台」であることを初めて知りました。
 江戸時代末期にペリーが黒船軍団で来航した後、江戸幕府が対抗するために江戸湾を一部埋め立てて大砲の台を設置したことが語源です。その石垣が今でも残っているのが奇跡です。
 天王洲アイルで浮かれている平成文化、その土台は大砲を設置したきな臭い時代の跡なんですね。

□ 例えば、横浜。
 横浜の中華街は通りの角度が周囲の街と45度ずれていることを知っていますか? コレで結構迷ってしまいがちですね。
実は、ちゃんとした歴史・理由があります。
 横浜はほとんど江戸時代以降に埋め立てた土地。元々は100軒程度の鄙びた漁村だったそうです。周囲に先立って埋め立てられた中華街は海岸線に沿って平行に道路が造られました。しかしその後、周囲が広範囲に埋め立てられた際、道路は東西南北に整備されましたが、中華街の部分だけはそのまま残ったというわけです。
 それから、横浜は関東大震災の大きな被害を受けた土地でもあるのですね。
 公園の地下1mに線路が見つかったり、学校の校庭の地下にビール工場の貯水槽が見つかったり・・・皆震災で崩れた瓦礫を埋めたため地下に眠っていたそうです。
 知らなかった・・・。


 ・・・過去を振り返りがちなのは年のせいかなあ、と思うことがあります。
 でも、最近違うのではないかと考え始めました。
 明治維新後、日本人は過去を捨てて西欧化一辺倒の文化・文明を目指してきました。
 戦争にも負けてしまい、ますます自国の文化・歴史に自信を失いました。
 「心のよりどころ」が存在しない国民になってしまったのかもしれません。
 自分の根っこを知りたいという本能のようなモノなのかなあ。

 この番組の中で「節操ない」という表現が話題になりました。
 タモリは「節操」にこだわると心が自由になれないから節操はない方がいいんだ、とおっしゃる。
 御意!
 他にも似たような表現がありますよね。
 「いい加減」「適当」は、どちらかというと「だらしない」「手抜き」という意味で使用されます。
 でも、元々は「良い加減」であり、「適切・適度」という良い意味であったはず。
 ひたすら頑張る日本人は、マイペースで行動するとサボっていると批判される風潮があるのかも。
 安息の時空間が必要ですね。

■ (追加)六本木
 江戸時代の六本木は大名屋敷がひしめき合い、その間を埋めるように武家屋敷がありました。
 高台には大名、窪地には武家という配置。
 明治維新後、大名屋敷跡は軍隊の基地となり、第二次世界大戦後はアメリカ軍に接収されました。
 つまり近代は「軍隊の街」だったのですね。
 今の若者文化の賑わいからは想像不可能。
 あの「二・二六事件」で戦車が市道を走る写真を見たことありますよね。
 その場所はなんと六本木なのです。
 六本木ヒルズは窪地を埋め立てて底に立てたモノ。ヒルズは丘の意味だから、ちょっとウソが入ってます。
 窪地は再開発予定地が多く、生活している人がちが徐々に去り、忘れられた街になりつつあります。
 昭和時代を感じられる町並みが見られる最後のチャンスだと番組の中でタモリが云ってました。