知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「道元という生き方」

2009年04月09日 07時15分43秒 | 寺・仏教
立松和平著、春秋社、2003年発行

道元は今から750年前の僧侶です。
学校の教科書にも載っていますね。
中国の宋に渡り、禅を極めて帰国し曹洞宗を開きました。
先日「禅ーZENー」という映画を観て興味を持ち、手元にあったこの本を読んでみました。

道元は僧侶ですが、その求道の生涯を思うと「思想家」「哲学者」という呼び方が合うような人物です。
歴史上の名を残した僧侶達は宗派を開いて弟子を増やし勢力・権力にしがみついた人物が多い中で、道元は異色とさえ言えます。
究極の求道者、聖人と言ってもいい。
道元の流れをくむ良寛とともに、現代の日本人にも愛される魅力がそこにあるような気がします。

彼の教えは「只管打坐」(シカンタザ)。
ただただ、座禅をするのみ。
座禅をすることにより邪念や欲望が皮がはがれるように落ちて行き、本来の自分だけが残る。
その自分を見つめることにより生と死に思いを馳せることが悟りであると。
親鸞が他力本願なら、道元は自力と評されることもあります。

例えは変かもしれませんが、ヘルマン・ヘッセに「知と愛ーナルシスとゴルトムントー」という小説があります。その中の「知」を具現する主人公の一人と道元が重なりました。

道元の残した短歌があります。

「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり」

シンプルですね。
ノーベル文学賞を受賞した川端康成さんが受賞スピーチ「美しい日本の私」の中で引用して有名になりました。
自然は自然のまま、自分は自分のまま、それを良しとする精神。
欲を捨て、真理を受け止める澄んだ心が大切なのだと教えているのでしょう。

著者の立松和平氏は道元の書物「正法眼蔵」「正法眼蔵随聞記」をいつも身近に置いていると書いています。
無駄をそぎ落とした簡潔な文章の中に深い意味が込められており、自分の年齢相応にその意味がわかってくる、あるいは変わってくるのが魅力とのこと。

書家の相田みつをさんも「正法眼蔵随聞記」の愛読者で、残された彼の映像の中にボロボロになった岩波文庫のこの本を紐解く場面が印象に残っています。
彼の書は曹洞宗の禅寺の武井哲應老師の教えをわかりやすく現代語訳したものだと、講演の中で話しています。
つまりそのエッセンスは道元の教えと言うことになります。
相田さんの書は現代人の心にしみ入ります。
東京国際フォーラムの「相田みつを美術館」には全国からの訪問者が絶えません。
時代を超えて、道元の教えに現代人も癒されている・・・奇跡ですね。