知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「民家に学ぶ家づくり」(吉田桂二著)

2012年08月14日 10時50分54秒 | 日本の美
平凡社新書、2001年発行。

著者は建築家であり「日本住宅建築の第一人者」だそうです。
私の子どもの頃は、農家の友達の家へ遊びに行くと、土間があって座敷があって・・・というのが当たり前でした。しかし、40年経過した今では、そのような家は皆無となりました。
この本は、そんな戦後の日本住宅の激変を専門家の視点から分析し、嘆き、未来を見据えた内容です。

住宅建築に関しても、日本は江戸時代まで築き挙げた伝統を否定し、西洋化を推し進めた歴史が垣間見えてきました。
日本の多湿気候には風通しのよい木造建築(軸組造:じくぐみぞう)が馴染み、石を積み上げて密閉する西洋建築(組積造:そせきぞう)は合わないことを指摘しています。
密閉すると強制換気が必要となり、エアコンが欠かせない→ 電気を使う、という反エコとなります。
また、防湿・防かび対策に化学物質が必要となり、シックハウス症候群という有り難くない病気も抱え込むことになりました。

著者は「家に風土性を取り戻す」ことを提唱しています。

メモ
自分自身のための備忘録。

「家の造りようは夏を旨とすべし」(兼好法師)
 軸組造で造られる民家は、家の外周には壁があるけれども、内部には柱だけが要所に立つのみで、壁は至って少ない。壁が少ないから、内部の区画は障子や襖や板戸など、建具を多く使って区切られる。建具を外せば、がらんどうの大部屋の中に柱が数本立っているというような空間になる。
 これが民家に見られる内部空間の特質であり、構造的には昆虫の体に似ている。この構造は、湿気の多い日本の自然環境の中で、いかに快適な内部空間を造るかに対する結論だったと云うことの方が重要だ。言い換えれば、通風のよい家にする方法だったのである。冬の寒さは耐えがたかったけれども、夏の快適さはクーラーの比ではない。兼好法師の「家の造りようは夏を旨とすべし」を実行した結論であったのだ。
 一方、西洋の家は石や煉瓦を分厚く積んだ組積造で、したがって窓も小さく、外部との遮断性の強い造りになっており、日本とは逆に家の造りようは冬を旨としたことがわかる。


~続きは後ほど~

民俗学者 小泉八雲(小泉凡著)

2012年08月04日 17時10分43秒 | 民俗学
副題 ~日本時代の活動から~
恒文社、1995年発行。

民俗学関係の書籍を読んでいると、小泉八雲(=ラフカディオ・ハーン)の存在が気になってきます。
そう、英語の教科書に載ってた「KWAIDAN」の著者ですね。

ギリシャに生まれ、アイルランド~フランス~イギリス~アメリカと世界を渡り歩いたジャーナリストが、日本人と結婚して定住し、その視点から日本の失われつつある伝統・習俗を記録して残した・・・というのが私の予備知識。
彼が活動した明治20~30年代の日本は帝国主義まっしぐらで、古来の習俗を切り捨てさる風潮が蔓延していました。その時にフィールドワークを行い、消えゆく日本の民俗事象を残してくれた小泉八雲に感謝する次第です。

さて、この本は彼の曾孫(ひまご)に当たる凡氏が、彼の足跡・仕事を分析して民俗学の中で位置づけるという内容です。
・・・でも、ただ「位置づける」だけなんです。
私の知りたい、あるいは期待した民俗学的事象そのものの記載がありません。彼の採集したわらべ歌を見たかったのに、ガッカリ。

著者の分析によると、小泉八雲は一時期文学を目指していたこともあり、新聞記者としての特ダネを見つける視点(本来の民俗学が重視する庶民の日常生活よりも、奇異な伝承や習慣を重視)と、それを論文形式ではなく文学的作品として発表した点が特徴と云えるようです。

そして、何より彼は日本を愛しました。
明治時代に訪日した外国人の目から見た日本旅行記はいくつもありますが、結婚して国籍を得て生活した彼の視点・存在は貴重です。
ただ、彼が結婚したセツは士族でした。つまり、純粋な庶民・常民の生活に寄り添ったわけではありません。

残念ながら彼の仕事は学問としての評価はされませんでしたが、一方では現在まで読み継がれる著作として残り、当時ライバル視したチェンバレン氏より愛する日本にインパクトを残すことになったのでした。
論文より小説の方が、我々にはとっつきやすく、わかりやすいですからね。


メモ
 私自身のための備忘録。

小泉八雲の著作からうかがえる民俗学的特色と方法
・特色
① 民間信仰の重視
② 感性によってとらえられる民俗事象の考察
③ 口承文芸の緊急採集と再話
④ 日常的伝承の欠如
⑤ 地域差の重視
・方法
① フィールドワークと微視的調査法
② 直感的研究法
③ 比較民俗学的研究の視点
④ 文学としての作品形式

学問としての評価
・科学的研究者としての素質と収容の欠如から、民俗学を学問的に発展させるには至らなかった。
・ハーンは先駆的な民俗の採集者ではあったが、それを系統立てて歴史的発生的な研究の域に踏み込むことはできなかった。

柳田国男との比較と柳田による評価
・柳田国男の山村調査時における関心事とハーンのそれとは、共通する点を見いだすことができるが、柳田の場合は地域社会における異常性を追求することにより、逆に地域社会における「常」なるものを探らんとした目論見を推察することができるが、ハーンの場合は、その点の洞察は希薄だったと云える。
・柳田がハーンの著作の中でもっとも関心を抱き、影響を受けたものは『日本人の微笑』(「Glimpses of Unfamiliar Japan」より)であろう。
・柳田は「小泉氏以上に理解ある外国の観察者は滅多にない」と述べ、ハーンを一外国人ではあるが、日本の基層文化の理解に努めたすぐれた先人と考えたのであった。


※ 先日、「ラフカディオ・ハーン 東の国より 」(OUT OF THE EAST, LAFCADIO HEARN)1895出版
 をネットで入手しました。なんと初版本です。