知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

韓国人の怒りの行方

2016年12月11日 08時08分41秒 | 歴史
 韓国の朴大統領の弾劾案が可決されました。

 韓国は不思議な国で、権力を掌握した大統領が任期末期には批判され、退任後は犯罪者として扱われることが繰り返されてきました。
 これは道教の影響もあると指摘されています。
 道教は家族・親族を大切にする宗教ですが、それがえこひいき、はては汚職に広がり収拾がつかなくなる、と。

 韓国は政府が批判されるようになると「反日」を掲げて国民の怒りの矛先をそらすのが今までの常套手段です。
 今回は「反日」に向かわせる余裕はなかったようで、大統領自身を直撃しました。

 韓国の目覚ましい世界進出は誰しも認めるところですが、それで韓国国民が幸せにはなれなかったようです。
 むしろ、急激な発展がもたらす社会の歪みの大きさにつぶされた印象が拭えません。

 国民全体・世界全体が幸せになる方法は、あるのでしょうか?

■ 韓国大統領の弾劾案可決、職務停止に 賛成8割弱
2016/12/9:日本経済新聞
 【ソウル=山田健一】韓国国会は9日の本会議で、野党と無所属議員が提出した朴大統領の弾劾訴追案を賛成多数で可決した。朴大統領の職務権限は同日中に停止する。職務停止に伴い黄教安(ファン・ギョアン)首相が大統領権限を代行する。韓国で大統領弾劾案が可決するのは2004年の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領以来2度目。
 朴槿恵(パク・クネ)大統領の友人、崔順実(チェ・スンシル)被告の国政介入疑惑を受け、「共に民主党」「国民の党」「正義党」の野党3党と無所属議員が弾劾案を提出していた。投票総数は299で、在籍議員数(300)のうち可決に必要な3分の2を大幅に超す234が賛成した。
 結果は憲法の規定に従って直ちに憲法裁判所に送付される。憲法裁判所は原則180日以内に弾劾の可否を審理する。
 9人いる裁判官のうち6人以上が賛成すれば弾劾が成立し、大統領は罷免される。賛成が5人以下なら大統領は職務に復帰する。弾劾が成立すると、60日以内に大統領選が実施される。
 野党は朴大統領の即時辞任要求を強める見通し。朴大統領は6日に与党セヌリ党の李貞鉉(イ・ジョンヒョン)代表らと会談した際、弾劾案が可決した場合の対応について「憲法が決めた手続きに従う。自分ができる努力をする」と語った。辞任せず憲法裁の判断を見守る考えとみられる。
 朴氏と崔被告を巡る一連の疑惑の発覚後、それまで30%以上を保っていた朴大統領の支持率は急落。検察が経済界に資金拠出を強要した罪などで崔被告を11月20日に起訴した際、大統領も「相当な部分で共謀関係にあった」と認定したことで野党の攻勢が強まり、支持率は歴代大統領で最低の4%まで下がった。
 6日にソウル大学社会発展研究所が公表したインターネット調査では、朴大統領が「即時退陣」するか「弾劾されて憲法裁判所の審理を受ける」ことを支持する意見が、回答者の77%を占めた。
 朴大統領を巡る疑惑は大統領の弾劾訴追にまで発展し、韓国政界の混乱の長期化は避けられない。サムスン電子など大手財閥のトップ8人が国会で聴聞され、一部財閥は検察の家宅捜索も受けた。国政の混乱は経済の停滞につながり、減速基調にある韓国経済にも打撃となる。

「文明開化の光と影〜小林清親“東京名所図”〜」

2016年12月09日 07時12分33秒 | 日本の美
 小林清親(きよちか)は明治時代に活躍した版画家です。
 代表作は「東京名所図」。
 川瀬巴水と共に私のお気に入りの版画家であり、40cm×53cmの大きな版画集も所有しています。
 それまでの色鮮やかな風光明媚な風景版画とは一線を画し、色彩を抑えて影を有効活用している印象がありました。
 まさに「文明開化」を感じさせる作風は、当時人気を博したそうです。

 以前録画しておいたNHKの日曜美術館「文明開化の光と影〜小林清親“東京名所図”〜」を視聴しました。
 私が感じていたように「光と影」が彼の作品のキーワードのようです。
 刻々と変化する夕焼けの微妙な表情を表現し、
 街に灯りはじめたガス灯でできる人の影を描く。
 ヘンリー・スミス氏は「水彩画を版画にした功績は大きい」と高く評価していました。
 番組で紹介された清親の写生帳、出版してくれないかなあ。



<解説>
 文明開化で急激な変貌を遂げる東京を、光と影を駆使した独特の詩情あふれる姿で描き、“光線画”と呼ばれた、小林清親(1847-1915)の風景版画、『東京名所図』。明治9年から14年まで5年間で全93景描かれ、「明治初年の東京をうかがい知る無上の資料」と言われる。『東京名所図』が当時圧倒的な人気を呼んだのは、西洋画のようにリアルな光景が、夕陽や月光や雪などが醸し出す風情とともに描き出されていたからである。蒸気機関車や西洋建築の新橋駅、人力車など、文明開化を象徴する時代の最先端の風物を描いても、江戸伝来の同時代の風景版画とは決定的に違う新しさがあった。
清親は、この新たな風景版画をどのようにして描くことができたのか。近年着目されてきたのが、清親が残した9冊の「写生帖」である。東京のあちこちを歩いて、さまざまな季節、さまざまな時間の風景を水彩スケッチで描き、水彩画そのままの版画を作ろうと試みた。
ことしは、清親没後100年。番組では、『東京名所図』に描き込まれた風物を通して、文明開化の世相を明らかにし、「写生帖」などから、清親の創作の秘密に迫る。

















































岡倉天心の「Asia is one」という思想

2016年12月08日 17時04分43秒 | 寺・仏教
 NHK-BS放映の、英雄たちの選択「神と仏の明治維新 若き官僚 岡倉天心の挑戦」という番組を見ました。

解説
明治初年に巻き起こった仏教排斥の嵐。暴動化した市民が寺院を襲い、仏像を破壊した。それは、新政府の思惑をはるかにこえ、大混乱に発展した。「廃仏稀釈」(はいぶつきしゃく)である。それに危機感を抱いた若き岡倉天心は決意する。新しい時代の混乱の中で、日本の伝統的なものを破壊することは、日本人の心の否定につながるのではないか?日本人の心を守らねば…。17歳で、文部官僚となった天心の挑戦に迫る。




 明治政府は江戸幕府の庇護を受けて発展した仏教と寺を否定すべく「神仏分離令」を公布し、日本古来の宗教である神道を元に民衆の精神を束ねようと目論みました。
 しかし、政府の思惑を上回る形で「廃仏毀釈運動」が起こり席巻しました。
 仏像は破壊され、木造の仏を焼いて風呂を沸かしてはいるという罰当たりな行動もあったそうです。
 民衆はお寺に対して非難めいたまなざしで見ていたのですね。

 東京大学を卒業したての岡倉天心(※)は、外国人の雇われ教授だったフェノロサの奈良調査に通訳として同行し、破壊し尽くされた仏像の悲惨な姿を目にします。
※ 岡倉天心は17歳で東京大学を卒業した秀才だったそうです。

 さらに、この機に乗じて、日本の仏教系美術品の海外流出が止まりませんでした。
 「これでは日本の伝統的美術品がなくなってしまう」
 と危機感を抱いた天心は早速行動に移し、関西地域の古美術品の調査と管理を任されます。
 さらに、東京美術院(現・東京芸術大学)の創設に参加し、初代校長に就任しました。

 しかし時代は文明開化の波が押し寄せ、西洋文明礼賛の勢いに日本の伝統は押し流されてしまいがち。
 東京美術院にも西洋画学科が創設され、失意の天心は美術院を去ることになりました。

 下野した天心は逆境をものともせず、ボストン美術館の仕事を依頼されたり、茨城県の五浦に日本画の創作場をもうけて、横山大観などと行動を共にしました。
 
 その後、インドへ美術調査目的で訪問し、奈良で見た仏教美術の源流がここにあることを実感しました。
 インドや中国の美術が流れ着き集積し昇華したのが日本美術であることに気づいたのでした。

 「日本美術は西洋美術に劣ることはない。アジア美術の結晶が日本美術なのだ。」
 という考えに至り、後に著した「茶の本」に「Asia in one」と記したのでした。

 素晴らしい。

 現在の日本人の中にも、西洋信仰が根強く残っています。
 この番組を視聴して、日本の立ち位置をどこに設定すべきなのか、あらためて考えさせられました。

 髪の毛を染め、西洋の真似をして「文明国」面をするのか?
 それともアジアを代表して西洋に臨むのか?

NHK 100分de名著 道元「正法眼蔵」

2016年12月05日 08時23分26秒 | 寺・仏教
 2016年11月に放映された番組を録画してまとめて視聴しました。
 誤解を恐れずに、私が理解したことを記してみます。



 道元以前の仏教では、「仏性」は「人間が誰しも生まれながらに持ち合わせているもの」で「それを体現することが修行である」とされてきました。
 しかし道元は、「この世の全てが仏性である」「それを認めれば悟りに至る」と説きました。

 な〜んだ、簡単、簡単・・・というわけにはいきません。

 座禅することだけが“修行”ではなく、生活全部が“修行”になるのです。
 食べることも掃除することも寝ることも。
 つまり、常に“修行”としての緊張感を持って生活することになります。

 道元の教えの要は「心身脱落」であり、その意味するところは「身も心も捨て去ることが悟りの境地である」ということ。
 ものごとを色眼鏡で見ないで、あるがままに見て認める・受け入れること。

 これは、古今東西の心理学者も同じようなことを言ってますね。
 ただ、現状を認めるだけでは、進歩が無くなってしまいます。

 人間は現状に満足せず、向上心を持って行動して発展してきました。
 ですから、道元の「心身脱落」を含めて、宗教は頑張っている人間のサプリメント、程度に考えた方がよいと思います。
 「こんな休憩の仕方があるよ」というアドバイス。

 解説者のひろちさやさんも「心身解脱は日常生活の中ではちょっとだけ考えればいいのです。それに浸ってしまうと死んでいるのと同じすから」と番組の最後につぶやいていたのを、私は見逃しませんでした(^^;)。


100分de名著「道元『正法眼蔵』」(しょうぼうげんぞう)
 日本に禅の思想を確立した一人といわれる、鎌倉時代初期の禅僧・道元(1200~1253)。彼は曹洞宗の宗祖であり、主著「正法眼蔵」は、坐禅のマニュアルや心得として今も多くの人に読み継がれています。ですが、この「正法眼蔵」は単なる「坐禅の書」ではありません。日本の思想家・和辻哲郎やアップルの創始者・スティーブ・ジョブズに影響を与えるなど、一宗派を超えて後世に大きな影響を与え続けています。いわば「人間や世界の本質を問い続ける哲学書」として読み解けるのが「正法眼蔵」なのです。そこで「100分de名著」では、「正法眼蔵」に新しい光を当てなおし、現代に通じるメッセージを読み解きたいと思います。
 道元は、京都の貴族の名門に生まれたが、幼くして両親を失いました。世の無常を感じ取った道元は、十四歳にして比叡山に入り出家。しかし一つの疑問に逢着します。仏教では「人間はもともと仏性を持ち、そのままで仏である」と説かれているのに、なぜわざわざ修行して悟りを求めなければならないのか? 比叡山では解決を得られなかった道元は、山を下り禅の本場である宋に渡りました。そこでも迷い続けた道元でしたが、最後に出会った如浄禅師の下で参禅中に頓悟。「仏性をもっているのになぜ修行せねばならないのか」という自身の発問の仕方自体がおかしかったことに気づきます。その問いは実はあべこべであり、真実は「われわれは仏だからこそ修行ができる」だった……そう悟ったのです。
 自らが悟りを後世に伝えるためにライフワークとして書き残した「正法眼蔵」を読み解くキーワードは「身心脱落」。「悟り」は求めて得られるものではありません。「悟り」を求めている自己を消滅させることで「真理の世界」の中に溶け込むこと…それこそが「身心脱落」なのです。一言でいえば「あらゆる自我意識を捨ててしまうことで、病や老い、死などの現象をあるがまま、そのままに受け容れる境地だ」と仏教思想家のひろさちやさんはいいます。そこには、強い自我意識に縛られ競争心を煽られて、骨身を削られるようなストレスにさらされ続ける現代人が学び取るべき指針がちりばめられています。
 厳しい競争社会の中で、気がつけば身も心も何かに追われ生き方を見失いがちな現代。人間や世界の本質に対する深い洞察がこめられた「正法眼蔵」の言葉から、不安や迷いの多い現代を生き抜くための知恵を学んでいきます。