知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「八百万の神がすむ山河 〜村治佳織 白洲正子 祈りの道を往く〜」(NHK-BS)

2018年08月17日 18時06分33秒 | 日本人論
八百万の神がすむ山河〜村治佳織 白洲正子 祈りの道を往く〜
2016.12.15放送(NHK-BS)


白洲正子さんは、白洲次郎さんの妻で、芸術分野の随筆家。
特に「能」に関しては御意見番でもありました。

また、日本の信仰にも造詣が深く、その私論が「かくれ里」という本にまとまっています。
手元にあるけど未読です。
彼女の文章は正確で美しいのですが、ちょっと疲れるのです。

さてこの番組は、今をときめくクラシック界の若手ギタリスト、村治佳織さんが白洲正子氏の記した寺社の足跡を辿るという内容です。
映像的にも美しく、村治さんのギター演奏をバックに風景が流れる場面はよかったです。

白洲氏は、信仰を持たないと揶揄される日本人の宗教心は、西行の「何事のおわしますをば知らねども かたじけなさに涙こぼるる」によく表されていると言います。
「天にまします我らの神よ・・・」という一神教と比較すると、「何かわからないけど大きな存在を感じる、それを敬う」という心はより強固な信仰心と言えるのではないか、とも。

それから、白洲正子氏の本地垂迹説のとらえ方を興味深く聞きました。
ふつうは仏教の側から「仏が神様の姿をかりて現れたもの」と説明されることが多いのですが、白洲氏は「神が仏の姿に乗り移ったと考える方が日本人として自然だろう」と唱えます。

また日本の信仰の歴史の中で、神と仏を結び付けたのは修験道であると断言しています。
修験道はもともとの日本の山岳信仰であり、それが仏教が結びついたものが山岳宗教である密教。
最澄の天台宗、空海の真言宗から、日本人の庶民に仏教が根付いたのです。

なるほど。
大いに頷けました。

インテリア化していた文庫本を読みたくなりました。





<内容紹介>
ハイビジョン特集 八百万(やおよろず)の神がすむ山河~村治佳織・白洲正子祈りの道を往(ゆ)く~(初回放送:2011年)宗教対立の歴史をもつスペインで活動してきたギタリストが、吉野や熊野など白洲正子の巡礼の道を辿(たど)る。村治佳織の演奏も必見。