知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

魂の行方を見つめて ~柳田国男・東北をゆく~

2012年07月29日 06時47分59秒 | 民俗学
NHKの「日本人は何を考えてきたのか」の第7回は上記のテーマで放映されました。

作家の重松清さんが柳田の足跡を含めて被災地を歩き、民俗学者の赤坂憲雄さんが解説する内容です。
途中、現在の民俗学界の長老である谷川健一さん(御年90歳)も登場して驚きました。
何回も大津波の被害を受けた東北地方を民俗学の視点から紐解き、さらに「死後の魂の行方」について民俗学の流れを俯瞰する、私にとってまことに興味深い番組でした。

柳田国男は明治時代の三陸大津波のあと、東北を取材しています。
なんとその記録の一つが『遠野物語』第99話に収められていました。

漁村に婿養子に来た福二という男が、地震による大津波で妻と子どもを失った話です。
福二は妻の幽霊を見ました。
男と二人連れで、その男は福二と結婚する前に彼女が心を通わせた人物。
「子どもがかわいくないのか」と妻に問うと、少し悲しい顔をして涙したと。
いつの間にか二人は福二の前から消えてしまい、福二はその後長煩いをするという内容です。

福二さんは実在の人物です。
4代あとの長根勝さんという方が取材に応じて話してくれました。
彼も津波の被害で両親を失いました。

福二さんはなぜそのような個人的な話を柳田にしたのか?
後世に自慢できるような内容ではありません。
赤坂氏は「遠野物語は実話が多い一方で、幽霊も多数登場する。死者と和解するために日本人は幽霊という存在を作ってきたのではないか。福二さんは生前の妻とのわだかまりを幽霊と対話することで和解したのだろう、だから他人である柳田にも話せたのだと思う。」と推論していました。

私はここで、青森県の「イタコの口寄せ」を思い出しました。
死者を呼び出して対話するという行為。
これも、浮かばれない思いを残して亡くなった死者との和解を目的としたカウンセリングであると社会学的には捉えられています。

柳田とその弟子の折口信夫は「魂の行方」について昭和24年に論争を繰り広げたそうです。
柳田は「祖先が神となり、里山の上から田んぼを見守り、家々に個々の神が宿る」と家を重視した考え、
一方折口は「死者の魂は常世で集合体となり個性を失う」と主張します。

赤坂氏は「折口は同性愛者で家族を持たなかった。養子にした息子も太平洋戦争で失った。家単位で考えると、折口のような人間が死後に行く場がなくなってしまう。」と推論していました。
すごく納得できる解説です。

谷川氏は「柳田の視点は、ふつうの日本人(常民)の生活感から出てきた説で、折口の視点は古代研究者としての要素を感じる」とコメントしていました。

折口は師の柳田より先に他界します。
折口の死を知った柳田は「折口君が私より先に逝くなんて・・・そんなバカなことがあるものか」と激しく悲しんだそうです。

私は高校生の時(30年以上前)に柳田国男の『遠野物語』を読んで魅せられました。
戦後、核家族でアパート住まいをするようになった現代日本人には、祖先が山から見守ってくれるという概念は実感しにくくなりました。
そんな根無し草のような魂が、自分のルーツを知りたい、探したいと欲していたのだと、後になって気づいた次第です。

生ききる(瀬戸内寂静&梅原猛)

2012年07月28日 17時43分31秒 | 原発
角川ONEテーマ21(角川書店)、2011年発行。

説明の必要がないほど有名な二人の、東日本大震災をテーマにした対談集です。
お二人の年齢を合わせると175歳・・・時が過ぎました。

梅原猛さんは日本の歴史をその根底に流れている哲学・思想からひもとく斬新な手法で著作を世に問うた哲学者です。
「日本の深層」(1983年発表)をドキドキわくわくしながら読んだのは20年以上前になります。
久しぶりに「梅原節」を味わい、半分懐かしささえ感じました。

長生きしてもう怖いもののない二人の歯に衣着せぬ言葉が飛び交います。
内容は多岐にわたり、お二人の生い立ちから、宗教(特に仏教)、日本の古典文学にも話題が及び、興味深く読ませていただきました。

東日本大震災に関する共通の認識は「原発事故は人災」ということ。
この言葉が繰り返し登場します。
今を生きる我々は、”長老”とも云うべきお二人の言葉をかみしめる必要があると思いました。

天災も恐ろしいが、原発は明らかに人の作った人災である。戦争と同じ人災である。」(p5)
戦争も人災ですけど、原発も人災です。天災じゃありません。人間の作った災い、人災。人災は天災よりもっとひどいです。」(p19)
原発の問題はね、近代文明による文明災なんですよ。」(p57)
原爆を落とされて日本は原爆を持たない国になった。今度は、このひどい原発事故を受けて、原発を作らない国になるというのが道理です。」(p188)


メモ
 自分自身のための備忘録。

(瀬戸内)東北の人たちが排他的なのは無理もないんです。冷害や台風などの天災で、飢饉が多い。それでいつも貧しい。もう苦労ばっかりしている。だから他所から人が来たら、女房を取りに来た、娘を取りに来たと思うんです。他者を受けつけない。それは仕方ないんです。
 昔は、飢饉になったら娘や女房を売らなきゃ仕方がなかった。吉原は多くが東北の人ですよ。

(梅原)大乗仏教では「煩悩即菩提」といいます。煩悩の強い人ほど仏になれると。寂静さんを見ていると、人一倍愛欲の強いお方でね、そのお方が発心して僧侶になると云うことで、煩悩の強い人間ほど立派な菩薩になれるという節を、私は寂静さんという人間を見続けてきて確信しました。
 大乗仏教の創始者・龍樹はたくさんの女性と交わることが人生の一番の喜びだと考えた。それで仲間とともに宮廷に忍び込んでは多くの宮女と関係した。宮廷では宮女が妊娠するので曲者が入っていると、闇雲に切りつけたら、龍樹の仲間はみんな殺されて、龍樹一人が残った。そしてまあ、人生のむなしさを知って仏教徒になったということです。これは鳩摩羅什の訳と云われる『龍樹菩薩伝』に書かれていることですが。

(瀬戸内)人間この夜で辛い目に遭うっていうのは、遭った人の方が思いやりが深くなる。兼好法師が『徒然草』で「友とするのにわろき者」、つまり友としたくないのは「病なく身強き人」と挙げています。つまり「健康な人とは友達にならない方がいい」というわけ。

(瀬戸内)(夫の赴任先である中国で敗戦を迎えた際)しかしソビエト軍の入ってきた満州にいなくてよかったですよ。中国人はソビエト軍みたいなことはしない。蒋介石軍でも中共軍でも一応のモラルがあったが、ソビエト軍にはありませんでしたから。
・・・戦後の混乱に乗じてソビエト人はよっぼどひどい行為を日本人にしたのですね。

(梅原)今、被災地で何をやらないといけないのかといったら、それは瓦礫の撤去とともに、道を直し、橋を架け、そして死んだ人を埋葬し、弔うこと・・・これはまさに行基集団が行った仏教です。空也上人の仏教です。

(梅原)仏教には二度革命がありました。一度目は龍樹による革命ですが、小乗仏教がややもすれば人里離れた山に閉じこもり、静かな悟りを楽しむという仏教であるというのに対し、龍樹は自ら町の中で苦しめる人間を救う菩薩の仏教を確立します。これが大乗仏教の成立で、仏教の第一の革命です。
 親鸞において仏教は第二の革命を持ちます。それは女犯の肯定であり、僧の結婚の高らかな宣言です。これは仏教が長年持っていた女性差別の完全な否定と言ってよいでしょう。個々で初めて男女平等の仏教が成立したと云うことができます。

(梅原)一遍の詠んだ和歌;
「をのづからあひあふときもわかれてもひとりはをなじひとりなりけり」

(梅原)本居宣長は「和文で書かれた『古事記』はいいが、漢文で書かれた『日本書紀』はだめだ」といっていますが、そうじゃなくて『古事記』は歌物語で、『日本書紀』は歌物語じゃないと云うことです。
 前王朝の滅びの詩的な哀しさと美しさ、それを描いているのが『古事記』です。

(梅原)縄文文化は1万3千年前からあった森の文明であり、日本の基層文化です。三千年前に米を作る人たちがやってきて弥生文化を生んだ。縄文文化と弥生文化の二つの文化を統一したのが大和朝廷でしょう。この大和朝廷が今の天皇家に繋がってゆきます。

(梅原)原『古事記』は天武天皇の時にできたもので、私は柿本人麻呂が原作者じゃないかと思っているんです。それを稗田阿礼と称した藤原不比等が手を入れたんじゃないかと思います。
 神代の所に手を入れて、神代の功績者を全部藤原氏の祖先神にしたタケミカヅチ、フツヌシ、アメノコヤネ等の神々を藤原氏の祖先神にした。そしてタカミムスビ、オモイカネという藤原不比等を思わせるような神々を登場させている。つまり天皇家を支えたのは藤原氏の祖先神だけのような印象を持たせるように書いている。そこだけは藤原氏の立場で書いたフィクションですが、他はおそらくずっと日本に伝わっていた土地土地の伝承や伝説をそのまま語っている。

(梅原)大和王朝の前に出雲王朝という小国があって、その創始者がスサノヲで、それを大国にしたのがオオクニヌシ。

(梅原)中国は歴史、日本は和歌の国です。日本でも歴史書として『日本書紀』が作られましたが、続かなかった。中国の王朝は代々の王朝の歴史書を作った。日本では、代々の天皇は『古今和歌集』を初めとする「勅撰和歌集」を作ってきました。

(梅原)中国も詩の国だけどちょっと違うんですね。日本の詩は叙情詩です。中国に漢詩は自分の思想を詠うんですよ。それも素晴らしいけど、日本のものはなんかこう滅びゆく人生の真実を詠ったような、滅びゆくものへの哀しみという・・・。

(梅原)正月というと獅子舞です。獅子舞は神楽で出る曲芸ですね。その大もとの伊勢大神楽は、桑名藩が保護したので、今は桑名市大字太夫を根拠地としています。かつては伊勢派と熱田派があり、各々伊勢神宮・熱田神宮に奉仕していた。伊勢派の一派の寄る社の一つは出雲大社です。熱田派は、東京で寄席芸として残っています。

(梅原)勧告の宮廷物語は大変面白いのですが、血なまぐさい。負けた人間は殺される。『源氏物語』みたいなゆったりとしたところがない。政争が残酷なんです。そこが日本の宮廷文学との大きな違いじゃないかと思います。
 平安時代は平和な時代だった。その平和は根底に仏教があったからだと思う。韓国の場合は儒教。儒教は仁などといいながら人を殺す。

(梅原)日本の文化人はみな怨霊になっています。聖徳太子にしても、柿本人麻呂にしても、菅原道真にしても、世阿弥にしても。怨霊にならんと一級の文化人にはなれない。

(梅原)靖国神道は記紀神道とは違う。記紀神話では国つ神のオオクニヌシを皇室の祖先神である天つ神の天照大神と同じように、あるいはそれ以上に詳しく描いている。しかるに靖国神社は味方の霊のみを祀って敵の鎮魂をしていない。そこに首相が参拝すると十五年戦争で大変被害を受けた中国や韓国からクレームが来ないはずがない。

(梅原)明治時代に神殺しは始まっていた。この神殺しに抵抗したのは南方熊楠ただ一人です。地方の神が全部天皇家の祖先神に統合されるのに反対したんです。神社合祀で、小さな神、名前のない神は否定され、大きな社に統合された。これは神殺しだと熊楠は思い、反対しました。

(瀬戸内)戦争が終わったときアメリカは、なぜ日本の国は小さいのにあんなに戦争が強かったのか調べたそうですね。そうすると、家族制度だって云うわけです。それでまず家族制度を滅ぼせと云うことで、マッカーサーが来て、核家族を奨励したそうです。家に年寄りがいなくなると古いことがわからなくなって、だんだん家族が弱くなった。アメリカの政策が勝ったんです。日本は戦争に二度負けたんですよ。

(梅原のあとがき)世界の先進国はすべてエネルギーの何割かを原子力発電に頼っている。それは自然にない不自然なものを作り出し、それによって豊かで便利な生活を享受しようとする現代人の欲望の産物と言ってよい。
 従来の科学技術は自然を征服する対象と考えた。しかしこれからの科学技術は自然と共存するものにならねばならない。私は近代文明は人間の傲慢であったと思う。傲慢の文明を反省して、自然の恐ろしさを知ると同時に、自然の恩恵に感謝する文明を創らなくてはならないと思う。


「古文」で身につくほんものの日本語(鳥光宏著)

2012年07月26日 06時01分24秒 | 古典文学
PHP新書、2011年発行。
著者は琉球大学医学部で学んだあと、法政大学を卒業して予備校の名物講師となっている人物だそうです。

アラフィフになると、ふだん使わない英語の習得にはなかなかモチベーションが上がらず、日本の古典文学を読みたいと思う気持ちのほうが強くなります。少なくとも私はそうです。
いつかは日本の古典を原文で読んでみたい、という浅はかな考えからこの本の題名に惹かれて購入しました。

内容は、半分期待通り、半分期待外れ。

まず、日常使用している言葉の?を日本語の歴史を通じてひもといていく解説はとても楽しく読めました。母音に注目した推理はスリリングでさえあります。
音楽の時間に習った文語調の歌「蛍の光」「ふるさと」「さくらさくら」「こいのぼり」「おぼろ月夜」「君が代」の歌詞の説明もあり、自分が如何に理解していなかったか自省することにもなりました。
「ら抜き言葉」の何が問題なのか、という論考も目から鱗が落ちました。
しかし、助動詞の活用表(未然形・連用形・終止形・連体形・已然形・命令形)なんてのも出てきますが、すっかり忘却の彼方ですね。

一方、予備校講師という立場から受験生に向けた項目もいくつかあり、こちらはつまらないので読み飛ばしました。

メモ
 ・・・自分のための備忘録。

■ 枕草子の「いとおかし」は今の言葉で言うと「チョー面白い」。「~ぞかし」は今の言葉で言うと「~だよね」。

■ 「れる」「られる」の歴史的変遷
(奈良時代)「ゆ」「らゆ」
  ↓
(平安時代以降)「る」「らる」
  ↓
(江戸時代中期以降)「れる」「られる」

■ 「ら抜き言葉」のおかしい理由
 「らる」(古文)でも「られる」(現代文)でも、上に付く(接続する)未然形の語は決して「a」音にはならず、また「る」(古文)でも「れる」(現代文)でも、上には必ず「a」音となる未然形が来ることが一つの法則となっている。
 つまり、「食べる」「見る」の未然形「食べ」「見」の末尾が「a」音ではないのだから、「食べられる」「見られる」が正しい言い方となる。

■ 日本語「た」の秘密
 本来日本語には「き・けり・つ・ぬ・たり・り」という助動詞が存在し、「過去・完了・気づき・詠嘆・存続」などといったバラエティに富む表現をそれぞれが持っていた。しかし。京の貴族言葉中心だった日本社会に、室町時代から江戸時代にかけて、次第に関東の武士言葉などが入り交じる中で言葉が大きく変化して雪、「たり」が現在の「た」になりながら、「過去・完了・気づき・詠嘆・存続」という、それぞれ異なった助動詞が持っていた職能を一挙に全て引き受けてしまって現在まで生き続けているという訳なのである。

■ 「さくらさくら」の中の「朝日ににおう」の意味
 「におう」は嗅覚ではなく視覚的表現である。
 古語辞典で「にほふ」を引くと以下のような意味:色がひときわ美しく人目に立つ意。多く、視覚の綿での表現に用い、のち、嗅覚の表現が中心となる。


 読了後、この本は高校三年生の息子の本棚へ移動しました。