知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

仏教界の内輪もめ 〜高野山 vs 八事山〜

2018年05月22日 06時05分20秒 | 寺・仏教
 仏教の僧侶は、衆生に対して有難い説教を賜る存在ですが、自分たちを律することはできないのでしょうか?
 このようなニュースを耳にする度に悲しくなり、また仏教に対する信頼感も薄れていきます。

■ <名古屋・興正寺>高野山側と前住職側が和解 住職の座訴訟
2018/5/21 毎日新聞
◇ 裁判外で 双方が訴訟取り下げで合意
 高野山真言宗の別格本山・八事山興正寺(やごとさんこうしょうじ、名古屋市昭和区)を巡る問題で、高野山側は21日、高野山側と前住職側が裁判外で和解し、双方が住職の座に関する訴訟を取り下げることで合意したと明らかにした。高野山側は、前住職が土地売却益の一部約70億円を不正に流出させたとして、名古屋地検に出した告訴状も取り下げる。
 名古屋地検特捜部は昨年9月、背任容疑で寺を捜索するなど捜査していたが、立件は困難となる見通し。
 興正寺の梅村正昭・前住職は在任中の2012年7月、寺の土地約6万6000平方メートルについて、隣接する中京大学を運営する学校法人に約138億円で売却した。高野山側は無断で売却したなどとして前住職を罷免し、新たに住職を派遣したが、前住職は寺にとどまっていた。
 15年、前住職は住職の地位確認などを求め、高野山側も寺の明け渡しを求めて、双方が提訴した。名古屋地裁は25日に判決を言い渡す予定だった。
 21日に名古屋市内で記者会見した高野山真言宗宗務総長で興正寺特任住職の添田隆昭氏によると、二つの訴訟が結審した後の5月初旬、前住職側から「これ以上、檀(だん)信徒に迷惑を掛け、裁判を長引かせるのは本意でない。寺から退去する」と申し出があり、話し合いの結果、双方が全ての訴えを取り下げることで合意した。合意の場に弁護士の立ち会いはなかったという。
 前住職は21日に興正寺を退去した。「いろいろと迷惑を掛けた」と話していたという。実質的にも「寺の主」となった添田氏は「裁判継続によるイメージダウンを一刻も早く解消したかった。今後も特任住職として信頼回復に努めていく」と話した。訴訟や告訴状の取り下げは今後、弁護士と相談して進める。
 一方、前住職側の弁護士は「前住職と現住職が僧侶として話し合った結果だと受け止めている」と話した。【野村阿悠子】

◇ 八事山興正寺
 江戸時代の1686年に開かれ、弘法大師空海が開基の金剛峯寺(和歌山県高野町)を総本山とする高野山真言宗の別格本山。尾張徳川家の祈願所とされ、大衆信仰の寺としても栄えた。1808年建立の五重塔は国の重要文化財に指定されている。

◇ 八事山興正寺を巡る経過

2006年 3月 梅村正昭氏が興正寺の住職に就任
  12年 7月 梅村住職が寺の土地約6万6000平方メートルを約138億円で中京大学に売却
  13年12月 梅村住職が寺を宗派から離脱させると表明
  14年 1月 高野山側が梅村住職を罷免
      4月 高野山側から派遣された添田隆昭氏が興正寺の特任住職に
  15年 2月 梅村氏が住職の地位確認と罷免処分無効を求め高野山側を提訴
      5月 高野山側が寺の明け渡しを求め梅村氏を提訴
  16年 9月 高野山側が梅村氏に対する告訴状を名古屋地検に提出
  17年 9月 名古屋地検特捜部が背任容疑で寺を捜索
  18年 5月 高野山側と梅村氏が和解

◇ 告訴を取り下げ、土地売却益を巡る疑惑の解明は困難に
 高野山側が告訴を取り下げ処罰を求めないことで、使途が不明瞭と指摘されていた土地売却益を巡る疑惑の解明は難しくなった。
 高野山側は前住職が売却益から、関連のある東京都内のコンサルタント会社に無担保で約28億円を貸し付け、さらに約12億円を業務委託料として支出していたと主張した。前住職は寺名義で出資した英国法人に対し、投資運用による資金調達のためとして約25億円を送金したが、実際に調達できたのは約10億円とも指摘していた。
 高野山側は2016年9月、背任と業務上横領の容疑で告訴状を出し、名古屋地検特捜部は昨年9月、背任容疑で寺を捜索して前住職らから任意で事情を聴いていた。地検幹部は「告訴が取り下げられても直ちに捜査できなくなるわけではないが、被害者である興正寺の協力が得られなくなれば、立件は難しい」と話す。
 添田特任住職は「告訴は取り下げるが、今後の捜査については地検と協議する」としながらも、「前住職は寺を退去したことで社会的制裁を受けた」と話し、不明瞭な金の流れの追及を続けるかどうかは明言しなかった。


 疑惑をもたれている前住職は辞職(退去)することで罪を不問にするというやり方は、政治家と同じですね。
 これが“日本的”解決法なのでしょう。

日曜美術館「東京の原風景〜夭折の絵師・井上安治が描いた明治」

2018年05月13日 15時22分56秒 | 日本の美
日曜美術館「東京の原風景~夭折(ようせつ)の絵師・井上安治が描いた明治」
2018.5.13放送

<番組紹介>
 明治の東京の姿をリアルに描き出した、知られざる明治東京名所絵のシリーズがある。現在の東京風景との比較しながら、井上安治が描いた「東京の原風景」に思いをはせる。
 描いたのは、26歳で夭折(ようせつ)した絵師、井上安治。
 “光線画”で名高い小林清親に弟子入りし、江戸伝来の浮世絵とは全く異なる新時代の風景版画、134点のシリーズを生み出した。番組では井上安治の明治東京名所絵を現在の風景との比較や明治の文豪の思い出の文章をまじえながら紹介し「東京の原風景」に思いを馳(は)せる。


 安治の絵を見ると「はて、これは小林清親?」と思うほど似ています。
 それもそのはず、安治は清親の弟子。

 江戸時代を代表する表現方法である浮世絵は、現実をそのまま描くのではなくデフォルメしてインパクトのある構図となっているのが特徴です。
 江戸時代と明治時代の間に生きた清親は、デフォルメをやめ、変貌していく東京に江戸の要素を残しつつ、かつ人物や動きを入れた手法をとりました。また、光と影を効果的に使い、「光線画」として人気を博しました。

 その弟子である安治は明治の人。
 清親の陰に隠れてずっと無名のままでしたが、江戸学者で漫画家の杉浦日向子氏が発掘して取り上げ、一躍有名になりました。

 2人の絵を見比べてみると、清親が好んだ「動き」が安治にはなく、ただあるがままにその場面を切り取っており、奇をてらったところがありません。
 夜の風景を多く描き、一抹のわびしさが漂うのも特徴です。
 まあ、「淡白」「そっけない」ともいえますが、当時の記録という意味で、資料として価値がありそう。
 番組内では、新橋駅や上野駅を現在のものと見比べたりしてましたね。









<参考>
・2018年5月13日 / 旅の紹介 「第67回 井上安治 浅草〜日本橋・文明開化を感じる旅