知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

訃報2人

2013年08月27日 05時59分41秒 | 民俗学
 私の本棚に名前の並ぶ著者が相次いで2人亡くなりました。
 ご冥福をお祈りします。

森浩一氏(考古学者)>

■ 森浩一氏が死去 同志社大名誉教授、古代史ブームけん引(2013/8/9 日本経済新聞)
 多くの著作や講演会などを通じて古代史ブームを引っ張った考古学者で同志社大名誉教授の森浩一(もり・こういち)氏が6日午後8時54分、急性心不全のため京都市の病院で死去した。85歳だった。自宅は京都市東山区本町15の778の18。お別れの会を行うが日取りなどは未定。喪主は妻、淑子さん。
 1928年、大阪市生まれ。高校教諭を経て67年に同大助教授、72年に同大教授。旧制中学のころから奈良県の橿原考古学研究所に出入りし、大学予科時代に大量の短甲(たんこう)が出土した大阪府の黒姫山古墳、大学卒業のころに、中国・魏の年号「景初三年」銘の銅鏡が出土した同府の和泉黄金塚古墳の発掘調査などに加わった。
 古墳や遺跡の研究・調査などを基に、卑弥呼が魏の皇帝から下賜された鏡を「三角縁神獣鏡」とする説に疑義を投じ、大きな論争を呼んだ。宮内庁が管理している陵墓についても、同庁による被葬者の指定が必ずしも裏付けられないことを問題提起し、天皇名などではなく所在地名で呼ぶことを提唱した。
 作家の司馬遼太郎氏や黒岩重吾氏らと交流、古墳や遺跡の保存活動にも取り組んだ。2012年、南方熊楠賞を受賞。著書に「巨大古墳の世紀」「記紀の考古学」など。

谷川健一氏(民俗学者)>
■ 谷川健一氏が死去 民俗学者・文化功労者(2013/8/25 日本経済新聞)

 「谷川民俗学」と呼ばれる独自の視点による研究を確立し、在野で活動した民俗学者で、文化功労者の谷川健一(たにがわ・けんいち)氏が死去したことが24日、分かった。92歳だった。
 熊本県水俣市生まれ。東京大文学部を卒業後、平凡社に入社。1963年創刊の雑誌「太陽」の初代編集長を務めた。退社後、執筆活動を開始、民俗学者の柳田国男から大きな影響を受けた。日本人の死生観を踏まえた独自の考察は「谷川民俗学」と呼ばれた。各地を自らの足で回り、特に奄美諸島や沖縄の南島文化について考察した。
 詩人の故谷川雁氏、東洋史学者の故道雄氏は弟。自身も66年に「最後の攘夷党」で直木賞候補になるなど作家としての創作も旺盛だった。短歌や詩も数多く発表した。
 81年に川崎市に日本地名研究所を設立し、伝統的地名の消滅を批判。92年、「南島文学発生論」で芸術選奨文部大臣賞を受賞した。2007年文化功労者。
 08年5月、日本経済新聞に「私の履歴書」を連載した。

■ 中日春秋(2013年8月27日:中日新聞)
 国語辞典で、「地名」と引けば、<土地の名称>とある。二十四日に九十二歳で逝去した民俗学者の谷川健一さんは、地名を、こう定義した。「人間の営為が土地に刻んだ足跡」「時間の化石」
▼谷川さんにとって地名とは、決して単なる記号などではなかった。それは悠久の時の流れの中で、大地と人のつながりが紡いできた物語の結晶だった
▼例えば、鹿児島の薩摩川内市には「悪」という地名がある。このアクは、阿久津や芥(あくた)と同じく低湿地に由来するものという。だからこそ悪戦苦闘しつつ低湿地を切り開いた先人たちの労苦を、こういう地名に偲(しの)ぶべきだと、指摘した
▼そんな先人の営みが宿った地名も高度経済成長期から進んだ行政による地名変更で、無残に失われてきた。谷川さんは「地名を守る会」をつくり、「地名が消えるのは、村の過去を知っていた古老が死ぬのとほとんどおなじような悲劇…つまり幾千年以来の…歴史はそこで終止符を打つ」と訴え続けた
▼「古老」は天災の語り部でもある。海から離れているのに、津波が遡上(そじょう)した「大船沢」や、古歌通りにその手前で波が止まった「末の松山」…と、その重みは東日本大震災で再認識された
▼今年三月に出版された『地名は警告する』で谷川さんは、地名とは<人間が大自然の中の存在であることを忘れないように>との教えであると説いていた。

■ 「谷川健一全集」が完結(毎日新聞 2013年08月11日)
 冨山房インターナショナル(東京・神田神保町)が2006年から刊行していた『谷川健一10+件全集』(全24巻)が完結した。日本を代表する民俗学者は長年、沖縄をはじめ全国の民俗調査などを通して「日本人とは」「日本人の誇りとは」と問い続けた。「古代」「沖縄」「地名」「評論」「短歌・創作」などのテーマ別で構成した。各巻とも6825円(分売可)。全巻セットは16万3800円。