知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

名刀「膝丸」

2022年08月24日 10時54分26秒 | 日本の美
近年は“刀剣ブーム”なんだそうな。
意外にもそのコアなファン達は、男性ではなく女性達。
アニメやゲームをきっかけにファンになり、
全国の名刀を見歩いているとのこと。

そんな平和な時代になったのですね。

刀についてあまり真面目に考えたことがなかったので、
録画してあった番組を見てみました。

名品の来歴「幻の刀“膝丸”が語る1000年」(NHK-BS 2021.11.23再放送)
DVDも販売されています)

まず興味深かったのは、鎌倉時代以前と以後では刀の形が違うこと。
初めて知りました。

その理由は「戦いの形」。
馬上戦か、地上戦かにより、刀の長さや形が異なるのです。

馬上戦では馬に刀が当たると刺激になり暴れてしまうので、
後方に反った形を中央でぶら下げる感じ。
刀を腰につけることを「太刀をはく」と呼んだそうです。
この付け方では刃は下向きです。
相手との距離が近くないので、長さは長め。

そして地上戦が中心になった江戸時代になると、
刀は直線に近くなり腰から帯にかけてぶら下げるようになりました。
刃は上向きです。
刀身は直線的になり、長さは70cm程度。
江戸時代は戦いのない平和な時代だったので、
「刃文」は波打ち、華やかさが追求されるようになりました。

そして“膝丸”です。
膝丸は馬上戦の時代に属するので、刃渡り87cm、
弓なりに反った形が美しく見えます。

約1000年前、10世紀に“膝丸”は造られました。
源平合戦がはじまる前の時代です。

造らせたのは源満仲という、関西にいた源氏の祖先となる豪族。
他にも名刀をいくつも造らせたという伝説が残っています。
刀工の名前は残っていません。
刀の持ち手部分に銘があり「◯忠」と読めますが、詳細は分からないようです。

それをひっさげて朝廷(天皇)の言うことを聞かない豪族達を滅多斬りにし、
朝廷の信頼を得て地位を固めていきました。

膝丸は満仲の子息である頼光が受け継ぎ、
その後も源氏が受け継ぎ、義経も頼朝も使いました。
画面の資料で確認できた源氏名は、
 満仲→ 頼光→ 頼基→ 頼義→ 義家→ 為義→ ・・・義経→ 頼朝

しかし地上戦が中心となる時代が到来し、表舞台から姿を消し、
その後は嫁入り道具の一つとして使われたりしていました。

さて、膝丸の正式な名前は“薄緑”というそうです。
膝丸というニックネームの由来は、
頭から振り下ろしたら膝まで達した、という伝説からとか。

昔の刀の切れ味を表現する名称として、
「二つ胴」「三つ胴」という表現があったことを思い出しました。

処刑された罪人を使って、新しい刀の切れ味を試したのです。
死体を3つ重ねて、一番下まで切れれば「三つ胴」、
二つ切れれば「二つ胴」というわけです。

なんだか、すごい話になってきました。

人を殺傷する刀剣も、
時代を経て今は観賞用になりました。

膝丸を造らせた源満仲は、
膝丸をブンブン振り回して力尽くで周囲をねじ伏せていったのです。
つまり“究極のパワハラ”です。

刀剣女子達は、その辺のことをどう考えているのでしょうか、
一度聞いてみたいですね。



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。