知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

キーワードは「だし」と「縁」

2012年02月26日 08時58分30秒 | 日本人論
「 だし」
 日本の食生活の肝(きも)である「だし」。
 古来、日本人の健康を支えてきた調味料です。

 ある動物実験で、ネズミが好む味覚を調査したところ、「砂糖」と「油脂」が一番だったという報告を読んだことがあります。両方とも、カロリーが高く、人ではメタボの原因になる栄養分。
 しかし、この二つに勝るとも劣らない成績を収めたものがありました。
 それが「だし」です。
 昨今、食育がブームになりつつありますが、子どもの食生活も「だし」を中心に組み立てればよい、と先祖が教えてくれているのですね。

 その昔、海水から作られた塩は、不純物としてNaCl以外にもいろいろなミネラル分を含んでいたので、多少多めに摂取しても高血圧にはなりにくかったとされています。精製した食塩が普及してから、高血圧患者が増えたらしい。

 その昔、サトウキビから作られた砂糖は、こちらも不純物が混じっており、高血糖になりにくかったとされています。精製した砂糖が・・・(以下同文)。

 日本人は便利さと引き替えに、健康を損なってきたのですね。

「縁」
 今日もTVニュースで「孤立死」「孤独死」の報道をしていました。
 アパートに住んでいても隣の人が何をしているか、わからない現代日本社会。

 幕末に日本を旅したイザベラ・バードという人を知っていますか?
 イギリスの貴婦人で主に東北地方を歩き、旅行記も残しています;

・「イザベラ・バードの日本紀行
・「日本奥地紀行

 2012年のお正月にNHK-BSで次の番組を放映しました;
ハイビジョン特集 にっぽん 微笑みの国の物語 「時代を江戸に巻き戻せば」

 イザベラ・バードの足跡をたどる内容でした。
 当初、貧相で貧しい身なりの日本人をみて、どちらかというと見下した上から目線の記述が多かったのですが、日本の田舎を自分の足で歩き農民達に接する過程で認識が徐々に変わり「皆貧しいながらも笑顔が絶えず、自然に感謝する生活を送っている。ここは東洋の桃源郷(アルカディア)だ。」とまで書くに至りました。
 その笑顔の根源は、「コミュニティ」(地域社会)、つまり「縁」と結論づけています。

 「だし」と「縁」、日本人が失ってはいけないもの。


「梅棹忠夫の理性と英知」

2012年02月06日 07時22分21秒 | 原発
 早くから文明の二面性に気づき、警告してきた民族学者・比較文明学者。
 SF作家の小松左京さん達と共に「日本未来学会」を設立した京都学派の一人。
 彼は文明が発展するほど、人類が滅亡に近づくことに苦悩していました。しかし、絶望で終わってはいません。遺稿となった未完の「人類の未来」の最後の章には「光明」という言葉が記されていたのです。
 果たしてその意味とは?

【ETV特集】暗黒のかなたの光明~文明学者 梅棹忠夫がみた未来~
 大阪に国立民族学博物館を創設、日本の民族学研究の礎を築き、比較文明学者として数々の業績をなした梅棹忠夫(うめさお ただお)が、昨年7月、90歳で亡くなった。梅棹は、大阪と生地京都を根拠地とし、世界中で学術探検を重ね、その知見をもとに戦後の日本社会に大きな影響を与えつづけた「知の巨人」だった。
「暗黒のかなたの光明」
 2010年に亡くなった比較文明学者で「知の巨人」といわれた梅棹忠夫の未刊で、幻の書ともいわれる「人類の未来」の資料が発見された。そこには半世紀前に、地球規模のエコロジーの視点から人類の暗い未来を見据え「暗黒のかなたの光明」を求める梅棹の姿があった。大震災で文明世界の価値観がゆらいでいる今、梅棹と交流があった作家・博物学者の荒俣宏が、宗教学者・山折哲雄やほかの識者と共に、現代への問いかけを考える。


・・・続きは後ほど・・・

「新日本風土記~富士山~」by NHK-BS

2012年02月06日 06時12分18秒 | 民俗学
 NHK-BSの「新日本風土記」で富士山が扱われました。
 以前、録画していたものを遅ればせながら視聴しました。

~番組紹介文~
富士山>(放送日:2011年7月1日)
 日本一の山、富士山。なぜ、私たちは、これほど富士山に心ひかれるのか。その謎を解き明かす、富士山の決定版映像大全集である。
 富士山は、四季折々、変幻自在に妖艶な姿を見せる。紅富士やパール富士に雲海富士…。太陽や月に照らされ、風と雲が生み出す一瞬の表情をカメラが記録。“千円札の富士”をはじめ、生涯で38万点もの富士写真を遺した男の執念の物語。江戸時代、爆発的なブームとなった庶民の信仰・富士講の謎。葛飾北斎や歌川広重が競い合い、描き出した富士の真髄。全国に作られたミニチュア版富士山“富士塚”がつなぐ、故郷の絆。
 その昔から富士を愛してきた日本人を、美しい映像と共にたどる旅。富士山の山開き当日に、お届けする。


 富士山は云うまでもなく標高3776mの日本一の山であり、その美しい姿が古来日本人を魅了してきました。
 そこに生まれた文化や信仰を紹介する内容でした。

 江戸時代の浮世絵師もこぞって富士山を題材にした作品を残しています。
 一番有名なのは葛飾北斎の「富嶽三十六景」。ややデフォルメされた富士山がインパクトを残します。中でも「赤富士」は秀逸で、あれは北斎の創造ではなく、実際に夏にまれにみられる一瞬の美だそうです(YouTubeで見つけた赤富士)。
 「東海道五十三次」で有名な安藤広重(歌川広重)も富士山シリーズ「不二三十六景」を残しています。こちらは写実的でややおとなしい富士。

 参拝という名の旅行が流行した江戸時代、富士山に参拝する「富士講」が全国に広がりました。
 村単位でお金を積み立て、代表者が富士登山に向かうのです。
 行けなかった人たちは、近くの富士塚(富士山を模した築山)に参拝。
 私の住んでいる土地の近くには「富士嶽神社」という社があります。文字通り、富士山を祀った神社で、昔からの富士講の記録が拝殿に飾られています。信仰が厚かったのですね。

 「ふるさと富士」という現象もあります。
 日本各地の姿が美しい山を、その土地の名前を入れて「○○○富士」と呼びお国自慢したのです。
 その一つとして津軽富士(青森県の岩木山)が紹介されました。私は学生時代を青森県弘前市で過ごしたので、毎日目にしていたふるさと富士ですね。
 現在の住まいの近隣に100mにも満たない「西場富士」という里山があります。やはり姿が美しい。

 富士山を生涯の撮影対象とした岡田紅陽という写真家も紹介されました。
 1000円札の裏にある富士山の元になった作品を残した方です。


(写真をクリックすると拡大します)




 美しい写真の数々・・・写真集を手に入れたくなりました。