知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「乙巳の変 蘇我氏はなぜ滅ぼされたのか?」

2017年05月04日 07時12分49秒 | 歴史
前項の蘇我氏つながり。
物部氏との抗争に勝利し、4代100年に渡り繁栄を謳歌した蘇我氏は「乙巳の変」であっけなくその座から引きずり下ろされました。

「乙巳の変」ってなに?
それが起きたのは645年・・・ん? これって歴史の授業で覚えた「大化の改新」の年号ではないの?

そうなんです。
近年、大化の改新は645年にまとめた行われたのではなく、乙巳の変をきっかけにゆっくりと整備されたことが判明し、分けて呼ぶようになったそうです。

■ 英雄たちの選択「古代史ミステリー 乙巳の変 蘇我氏はなぜ滅ぼされたのか?」
BSプレミアム:2017年4月20日
出演者ほか【司会】磯田道史,渡邊佐和子,【出演】倉本一宏,小島毅,宮崎哲弥,【語り】松重豊
<番組内容>
 西暦645年、クーデターによって、蘇我蝦夷・入鹿父子は死に、権力をほしいままにしていた蘇我氏はあっけなく滅亡した。古代史最大のミステリー乙巳の変の真相に迫る。
<詳細>
 今年3月、飛鳥地方最大級の古墳の存在が明らかになった。一辺70メートルの方墳は、石舞台古墳より大きい。蘇我一族の蝦夷の墓ではないかとして注目を集めている。およそ100年にわたって権力の中枢で、キングメーカーであり続けた蘇我氏がなぜわずか2日で滅びたのか?日本書紀の記述が、蝦夷・入鹿父子を逆臣として、悪人と位置づけているのはなぜか?最新の研究成果を交えて、乙巳の変にまつわる謎に徹底的に迫る。


磯田氏による「日本でクーデターが成功するポイントは3つある」という解説を興味深く聞きました。
そしてクーデターが起きた後、大変革がなされるかというとそうでもなく、同じようなことを繰り返しているという指摘も頷けました。
要は、改革はゆっくりやらないと成功しない。
急いで強引にやると、周囲が付いてこれないので不平不満がたまってしまう。

なるほど。

乙巳の変 〜 大化の改新
秀吉の天下統一 〜 家康の江戸幕府
幕末の開国政策 〜 明治維新

これらのすべてが、先鞭を付けた人は引きずり下ろされ、跡を継いだ人がゆっくりと(内容はそう変わらない)改革を実行しています。
ロシアのゴルバチョフとエリツィンもそうかな。

また、蘇我氏は一族・親族で合議を牛耳りましたが、族長は常に蘇我氏直系が握る一人勝ち状態で、親族に譲らなかったことも不満分子を育てる一因になりました。

そこにつけ込んで内部崩壊を企んだのが中臣鎌足。
彼が起こしたクーデターが「乙巳の変」です。

では鎌足はどんな政治を行ったのか?
蘇我氏が行おうとした改革を、急がずゆっくりと行っていったのです。
中臣氏は藤原氏と名を変え、栄華を誇ることになりました、とさ。

現在も名字に「藤」のつく人々は、みんな藤原氏の末裔ですよ。

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