知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

鬼怒鳴門

2021年02月04日 14時03分35秒 | 原発
録画してあった番組を、梅原猛氏つながりで視聴しました。

■ 耳をすませば「“知の巨人”からのメッセージ〜梅原猛、ドナルドキーン〜」

梅原猛氏は前項と重複するので省略します。

ドナルド・キーン氏はニューヨーク生まれのアメリカ人。
頭脳明晰で飛び級を繰り返し、16歳でコロンビア大学に入学しました。
しかし時代は第二次世界大戦中。
毎日暗いニュースばかりが耳に入ってきます。

そんなある日、古本屋で一冊の本と運命的に出会います。
それは英訳された「源氏物語」。
戦争相手国である日本の1000年前の小説です。
そこには、人間の内面の美しさが描かれており、彼は魅了されました。

キーン氏は日本に興味を持ち、海軍の日本語学校で学び、
日本兵が死ぬ前に残した日記を翻訳する作業に従事しました。

“命知らずの鬼のような敵兵”と思い込んでいた人々が残した日記は、
人間味あふれる素直な魂の叫びでした。

終戦後、彼は日本に渡り、日本文学を研究し始めました。

例えば、戦争中に谷崎潤一郎が書いた「細雪」。
そこには戦争の影はなく、日本の旧家の佇まいが淡々と描かれていました。
「谷崎は消えゆく日本文化を書き残したかったのではないだろうか」
とキーン氏は分析しています。

研究すると共に日本文学を英訳し、世界に紹介しました。

ノーベル賞選考委員会から意見を求められたキーン氏は、
1人の作家を推薦しました。
後にノーベル文学賞を受賞することになる川端康成氏です。

いつしか、キーン氏は日本文学研究の第一人者として、
世界に知れ渡る人物になっていました。

時は流れ、2011.3.11に東日本大震災が発生しました。

すべてを失って悲嘆に暮れる人々の姿。
食料の配布を受ける人々は整然と並んで争いが起きない光景を見たキーン氏は、
作家・高見順の「敗戦日記に描かれた一シーンを思い出しました。

母親を田舎に疎開させるために向かった上野駅。
同じような事情の人々でごった返していました。
しかし、電車を待つ大勢の人々は、押し合ったり争うのではなく、
やはり整然と並んで自分の順番を待っていたのでした。

その光景に感銘を受けた高見順は、こう書き残しました。
「私はこのような人たちと一緒に生きたい」
「私はこのような人たちと一緒に死にたい」

その二つの光景に日本人の資質を感じ入ったキーン氏の中で、
「私も日本人になりたい」
という決意が生まれました。

そしてキーン氏は2013年に日本に帰化し、日本国籍を取得したのでした。
その際のインタビューでは、
「震災のあと、外国人は日本から逃げた」
「でも私は違う、私は日本人を信じている、私は日本人になりたい」
とコメントされていました。

題字の「鬼怒鳴門」はキーン氏の日本名で、
「きーんどなるど」と読みます。

2019.2.24 没。

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