知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「謎の都・飛鳥京発掘~よみがえる”水の都”~」

2010年08月01日 15時48分04秒 | 歴史
2001年、NHK-BS放映(今回再放送を拝見しました)

~番組紹介より~
奈良県明日香村。7世紀ごろ、日本の国造りの出発点といわれる古代の都・飛鳥京がここに置かれていました。長い間、謎に満ちた石造物の都として知られてきましたが、近年の発掘調査によって「水の都」という新たな姿が浮かび上がってきました。考古学者たちは宮殿庭園の一角を占める巨大な池の調査から、当時の飛鳥京の姿を描き出そうとします。8か月にわたる発掘調査に密着し、映画監督の河瀬直美が現地を訪れて報告します。

飛鳥京は日本で初めて計画的に造られた都です。その発掘現場から、当時の都の様子を推理するスリリングな内容でした。

飛鳥京の西北にあった「苑池」(えんち)と呼ばれる大きな池。従来は天皇が自然を眺めて心を癒す程度のモノと考えられてきましたが、発掘を進めると想定外の構造が次々と明らかになり、逆に考古学者を混乱させました。
発掘を邪魔する湧き水、池の場所により深さが異なる・・・なぜ?
飛鳥人からクイズを出され、知恵を試されているような印象さえ受けました。

考古学者の知識ではカバーできず「水利学者」「古環境学者」などがチームを組んでお知恵拝借。すると、とてつもない計画的・機能的な「水の都」像が浮かび上がってきたのです。

飛鳥京は縦横に水路が張り巡らされていました。夏場に涼を取る目的と火事対策と推定されます。しかし、その水路は都の西を流れる飛鳥側に流れ込むわけではなく、「苑池」に繋がれているのです。

古環境学者の調査により、苑池の深い部分(約4m)は、地下水路と繋がっていることがわかりました。池の底の土のプランクトンの分析から、キレイで入れ替わる水を好む種類が見つかったのです。

また、水利学者の調査から、飛鳥京には豊富な地下水路が存在することも調査からわかりました。その位置は「苑池」に見事に一致。つまり、都に水が枯渇すると地下水路から水が供給され、都に水が溢れると地下水路に流れ込む・・・自然を巧みに利用した「都市の水管理法」がそこにありました。
脱帽!

コンクリートで固めてヒートアイランド化した現代の東京より優れているのではないでしょうか?

それから、苑池には植物園もありました。池の土から植物のタネが発見されたのです。桃やナツメ・・・主に果樹ですね。さらに、池の土から木簡が発見され、そこに病気の症状と処方箋が書いてありました。

一般の方はピンと来ないかもしれませんが、漢方を扱う私は「なるほど!」と頷きました。
桃やナツメは古代日本では果物ではなく薬だったのです。つまり「管轄の薬性植物園」ということ。
現在でも漢方医学(日本の伝統医学)では生薬として使われています。桃のタネは血液の流れを良くし、ナツメは赤ちゃんの夜泣きに効きます。

「温故知新」とは使い古された言葉ですが、今回も古代日本人に「一本取られた」気がしました。


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