私の好きな画家です。
作風は郷愁漂う背景にあどけない表情の子どもが佇むイメージ。
風になびく髪の毛や木々などの繊細に描き込まれた表情が見る者に「風」を感じさせ、いつの頃からか「風の画家」と呼ばれるようになりました。
2010/12/23にNHKで特集番組を放送していました。
なんと清水寺のふすま絵・屏風を手がけ、その公開が大反響を呼んだそうです。
見に行きたかったなあ。
背景の鮮やかな色彩(時には墨絵のような陰影)と柔らかな広がり感は、確かに屏風絵に向いていますね。
番組は中島潔さんの人生と作品の本質に迫った内容でした。
自分の存在を唯一認めてくれた母への思慕。
18歳の時にその母をガンで失い、しかしその2ヶ月後に再婚した父への憎悪と決別。
彼自身「父への憎悪と、失った故郷への思慕が絵を描く原動力となった」と悲しい事実を告白しています。
そして金子みすゞ作品との出会い。
彼が生涯取り組んだテーマである「大漁」は彼女の詩にインスパイアされたものです。
何度となく鰮(イワシ)の大群を描いてきましたが、その都度画面から受ける表情が異なります。
彼自身、今までは「死」のイメージが「生」に勝っていた、とコメント。
しかし、最新作である清水寺の屏風に描かれた「大漁」の鰮たちは圧倒的な生命力にあふれており、天に向かって上っていくのでした。
清水寺の屏風を作成中に父親の死を知り、そして完成後、彼自身がガンに冒されていることが発覚しました。
何かが吹っ切れ、そして全てが失われた経験。
人生の浮き沈みの果てに、彼の作風が変わりました。
過去の彼の作品の中には「ウメ吉」という可愛らしい子犬がいつもいました。
これは母ウメ子のモチーフで、いつも側にいて見守ってくれる存在。
暖かく包み込む母性的なものが満ちあふれているのは彼の願望を反映したものでしょう。
彼の作品からは峻厳な父性は排除されているのも頷けます。
そして、最新作にはウメ吉の姿が見あたりません。
あどけない子どもも、少し大人びて「自立」した雰囲気を纏います。
還暦を過ぎて、母の加護から飛び立った作者。
過去の呪縛から解かれた彼の魂がどんな作品を残すのか、楽しみです。
・・・手元に3冊の画集・展覧会の目録があります。
・風邪の画家「中島潔の世界」ー童画でつづる30年史ー(2001年記念図録)
・パリ帰国記念展「中島潔が描く金子みすゞ」ーまなざしー(朝日新聞社、2002年)
・中島潔が描く「パリそして日本」(朝日新聞社、2005年)
その中で気になったコメントを書き留めておきます;
■ 初めて売れた絵は「雨やどり」という作品。
銀座のあるお店のオーナーが好意で置いてくれたところ、ある歌手の目にとまって購入してくれました。そしてその歌手はその絵を元に「雨やどり」という歌を作り大ヒットしました。そう、その歌手とは”さだまさし”さんです。
■ 絵の勉強がしたくてお金も当てもないのにパリへ留学。
午前中はルーブル美術館に入り浸り、午後は美術学校のデッサン授業に生徒でもないのに潜り込みました。あるとき、先生にスケッチブックを取り上げられ、「しまった、ばれた!」と思いきや、先生は彼の描いた線の美しさを褒めて他の学生に提示したのでした。この経験が画家になる決心をさせてくれました。
■ 39歳で苦労の末開いた初めての個展。
お客さんが絵の前で涙したり、歌い始めるのを見て感動しました。私の絵に、暗い部分と優しさに満ちた部分が混在しているのは、暗さは39歳以前の、優しさはそれ以後の心模様が現れているのでしょう。
■ 彼の作品の中の樹木は、子どもが木登りして遊べるような巨木が多いのも私のお気に入りの理由の一つ。TV番組の中で樹木のスケッチをする場面がありましたが、彼は「枝振りが好きなんですよ。生きるために光を求めて枝を曲げながら伸ばしていく姿にたくましさを感じます。」とコメントしていました。
彼は現在肺ガンを患い、自らのいのちを見つめながら創作する日々を送っています。
その作品はどんな世界を見せてくれるのでしょうか。