知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

高松塚壁画のヒミツ

2019年05月04日 21時13分03秒 | 日本人論
 GW10連休中に、録りためたTV番組をつらつら鑑賞。
 現在、古代日本史がマイブームなので、今日は高松塚古墳壁画に関する番組を視聴しました。
 高松塚壁画というと、私は記念切手を思い出します。



 小学校の頃に切手収集ブームがあり、そのときに目にした記憶があります。
 昔の日本人って、こんな服を着てたんだ、と言うくらいの印象。

 そうそう、2000年代に入って、壁画が劣化して文科省の責任問題になったこともありましたね。
 それから保存・復元に政府が本腰を入れたらしい。

 さて今回、この番組を見て認識が大きく変わりました。
 デジタル復元という新しい手法、当時の衣服の色から階級を推定する専門家など、現代の知識と技術を駆使して、300年間謎だった壁画の意味と埋葬された人物を推理するという内容。
 次々と明らかにされる事実は、スリリングであり、感動的でもありました。

 その壁画は、大宝律令を制定し、国交断絶していた唐と国交を回復すべく遣唐使をはじめた忍壁皇子(おさかべのみこ、天武天皇の皇子、別名:刑部親王)の勇姿を描いたものだったのです。
 当時、アジアで法律で国を治めるようになったのは中国に次いで二番目。
 大宝律令制定の儀式は外国からの使者も参列し、そのときの行進の様子を描いたもの。
 もちろん、埋葬されているのは忍壁皇子であり、彼の晴れ舞台を敬意を持って石室に残したのでした。

<内容紹介>
【歴史秘話ヒストリア】「飛鳥美人 謎の暗号を解け〜高松塚壁画のヒミツ〜」(2017年5月12日放送)
 「飛鳥美人」が発見されたのは、奈良県明日香村にある高松塚古墳。下段の直径23メートル、上段の直径18メートル、高さ5メートルの2段式の円墳で、7世紀末から8世紀はじめ頃に築造されたと推定されています。1972年に極彩色の壁画が発見されたことで一躍有名になり、古墳は特別史跡に、壁画は国宝に指定されました。「飛鳥美人」とはこの壁画に描かれた女性のことです。
 当時、考古学史上最大の発見とたたえられた高松塚古墳の壁画。極彩色で描かれていたのは、16人の男女の群像に天空の星々、そして四方を守る霊獣です。10年に及ぶ専用施設での懸命の修復の結果、その真の姿が現代によみがえりつつあります。
 しかし、そこで浮かび上がってきたのは新たな謎でした。日本の伝統的な絵画では珍しい“カメラ目線”で正対した姿で描かれた「飛鳥美人」は何を見つめているのか?そして壁画に描かれた16人の登場人物は一体何をしているのか?そして被葬者の正体は?
 番組では、最新のデジタル技術で1300年前の壁画の再現を試みます。色の濃淡までも使い分ける極彩色の世界からわかることのひとつに、衣服の色彩による身分の差があります。描かれている男性たちよりも身分が高く描かれている女性たち。その中でも、ひときわ身分が高く、被葬者に近く描かれている女性が、被葬者の妻である可能性が浮かび上がってきています。
 そして描かれているシーンが何を示しているのかという謎にも迫ります。いすや日傘、スティックを持っていることから、散歩やピクニックを示しているという捉え方もできます。その一方で、これはある儀式を意味しているのではないかという説が登場。ドラマパートではその様子を再現し、国宝壁画に秘められた暗号の解読に挑みます。



 
(追加の内容紹介)
小林さんが壁画の中で注目しているもう一つのポイントとして、女性たちの足元の様子でスカートを引きずっておりそれにより歩く方向を推定できる。女性たちの謎めいた動きがcodeだった。もう1人の専門家である来村多加史さんは日本、東アジアの古墳壁画に精通している。来村さんは入り口に向かって合計16人の群像が歩いている様子で、暗い墓室の死者に対し外の空気を吸わないかと伝えるものではないかとした。女性たちが向かう場所をデジタル再現された石室でもう一度考えてみる。再現映像では男たちは既に列を作り出発を待つ様子が推定され、女性たちは1人が被葬者に声をかけ男性たちの列に加わろうとしていた。16人の群像は列になって被葬者をどこかに連れて行こうとする様子だったという。どこに連れ出そうとしていたのか、登場人物の持ち物注目すると場所が推定出来る。持ち物には座るときの椅子や、ハエ叩きや孫の手、赤い袋の中には太刀と鉾などが描かれている。

小林泰三は地獄草子や東大寺大仏殿などを当時の状態に復元し、意外な実像を明らかにしてきた。高松塚古墳壁画はこれまで修復してきたもののなかで最古のものとなる。ヨーロッパの絵画ではカメラ目線の人物像は珍しくないが、日本の絵画ではほとんど例がないという。デジタル再現し、秘められた暗号の解読に挑む。

意外な事実が明らかとなってきた高松塚壁画最大の謎「被葬者は誰か?」に迫る。「緑の蓋」が描かれていたことが判明し、被葬者は身分が高い人だと推定される。45年前に発見された高松塚古墳の多くは謎のままだった。10年前に盛り土の中から当時の土器が大量に発見され、8世紀始めの10年の間に作られたことが判明した。

文化庁によって10年に渡って修復されてきた高松塚の壁画は、天井と側面に10人以上の人物像が描かれていたが、カビや泥による劣化でほとんど見えなくなっていた。無菌室でカビを一つ一つ取り除く作業が行われてきて、今年2月には絵の周りが白くなってきた。しかし泥に覆われて、剥げ落ちていることから壁面の絵がわかりづらくなっていたが、 デジタル復元で再現を試みる。像の輪郭をはっきりさせたあと、泥でほとんど見えなくなっていた人物の輪郭を推測し、アゴのラインを再現した。次に取り組んだのはカメラ目線の女性で、表情を浮かべ上がらせた。

8世紀始めは奈良時代の直前、藤原京の時代。近年の研究で藤原京は、平城京、平安京を上回る5.3キロ四方の大きさだとわかった。埋葬者は、藤原京で最上位に位置する太政大臣クラスだと猪熊さんは推測した。藤原京の時代の太政大臣は、高市皇子と忍壁皇子の2人のみで、皇子だからこそ四神に囲まれた壁画古墳に葬られたと思うと猪熊さんは話した。さらに猪熊さんによると飛鳥地方で発見されたキトラ古墳は高松塚古墳より古いことがわかっているため、キトラ古墳には高市皇子が、高松塚古墳に忍壁皇子が葬られたのではないかという。

武器は身分の高い人が外出する際に威儀を整えるもので、それにより主の身分を示すため実用的なものではない。トートバッグのようなものを抱えた人達は、ピクニックシートのようなものを入れているのではないかと来村教授は推測した。先の曲がった棒はホッケーのスティックのようなもので、打毬と呼ばれたものを行っていた。打毬は飛鳥時代から奈良時代にかけて大流行していた。これらのことから壁画は遊びに行く様子を描いていて、被葬者を石室から連れ出そうとしていたことがわかった。

次に取り掛かるのは色彩の再現。小林さんは古代の色彩に詳しい専門家を訪ねると、壁面には描かれた当時の色彩が残っていたことがわかった。古代では色味のある岩石を砕いて絵を描いていた。次に天然岩石を原料にした絵具を扱っている専門店を訪れ、高松塚古墳壁画で使われていた色を特定した。再現したものをみるとたくさんの色を使って描かれていたことがわかった。壁画に描かれていた人物は16人で、男女8人ずつだった。考古学者の猪熊さんを訪ねると、猪熊さんは衣服の色から正面を向いた女性を立場が上の人だと推測した。石室では手前に男性。奥に女性が描かれていて、前後の時代の服の色が表す位の推測から、奥の女性の方が身分が高いことが発見された。

完成した1300年前の復元石室は、いくつもの石が組み合わさって出来ている。石室の壁は白いしっくいが塗られていて、人物像と玄武・青龍などの神獣が描かれていた。また正面を向いた女性は埋葬者と目が合うように描かれていたこともわかった。墓から発見された歯や骨から推測すると、被葬者は40~60代の男性だと考えられている。小林さんは被葬者を見つめ、身分が高いことから、被葬者の妻のような女性だと考えている。

忍壁皇子は生きていた時代は日本が危機的な状況にあった。唐は新羅と組んで当時の日本・倭国と有効関係にあった百済を滅ぼした。663年に「白村江の戦い」で倭国は唐・新羅の連合軍に大敗、国交断絶となった。

瀬戸内海沿岸に山城を築いて日本列島の防衛に専念。この困難な状況下で国の舵取りを任されていたのが忍壁皇子だった。唐に対抗するため一国も早く国の形を整える必要があり、歴史書を編纂して国の成り立ちを明らかにした。最大の事業が国の要となる本格的な法律を制定することだった。国を法律で治める仕組みは唐を除けば東アジアでは日本しかなかった。701年の元旦、苦難の末に完成したのが「大宝律令」で祝賀儀式が行われた。

猪熊兼勝さんは、もし、高松塚の主が忍壁皇子とすれば壁画は大宝元年の儀式を描いた物だと考えている。平安時代に書かれた資料「貞観儀式」には調定で最も重要な儀式の決まり事が記されており、携えるべき持ち物が詳細に記されている。これは高松塚の群像の持ち物と一致。忍壁皇子の人生で最高の晴れ舞台だった大宝元年の朝賀、その様子が壁画に描かれていたのかもしれない。この事を裏付ける海獣葡萄鏡が出土、唐からもたらされたものと考えられている。大宝律令の翌年、忍壁皇子は遣唐使を派遣した。遣唐使が帰国したとき、友好の証として持ち帰ったのが鏡だったと考えられる。
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