知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「海外神社」の歴史

2024年10月04日 20時39分22秒 | 原発
日本以外の国にも神社が存在します。
それは、過去に日本人が住んでいた植民地や占領地で、
朝鮮半島、中国の一部(満州など)、台湾、南洋地域、樺太などです。
第二次世界大戦敗戦とともに日本人が去り、今ではほとんど消失していると思われます。
日本の闇歴史の一部ですね。

こちらの本に記載がありましたので、
引用・抜粋させていただきます。

<海外神社>
・昭和戦前の日本の植民地や占領地などに官主導で創建された。
・台湾以外は天照大神を祭神とするところが多い。
・社殿は伊勢神宮・靖国神社にならった神明(しんめい)造りが基本。
・居住民である日本人だけを対象にするものではなく、現地住民に「神道」を宣伝・弘布する役割を担い、結果的に住民達は参拝を強制された。海外神社は植民地・占領地の住民の「皇民化」政策の一環でもあった。
・1945年(昭和20年)の敗戦と共に海外神社はその存在意義を失い、ことごとく消滅した。

<台湾の神社>
日清戦争を経て清から台湾を割譲された。

▢ 台湾神社(台北市)
・1901年(明治34年)に官幣大社として創建され、鎮座式が行われた。
・祭神:オオクニタマノミコト、オオナムチノミコト、スクナヒコナノミコト、北白川宮能久(きたしらかわのみやよしひさ)親王の合わせて四神。
・北白川宮能久親王は、1895年(明治28年)、日清戦争を経て清から台湾を割譲されたことに伴い、近衛師団長として台湾に渡り、征夷軍を指揮したが、現地で病没した。すると、異国の地で非業の死を遂げた皇族を慰霊すべく台湾に神社を創建することが国会で建議され、創建に至った。
・それまでにも、日系人・在留邦人を中心に海外に神社が建てられることはあったが、官立の海外神社は台湾神社が史上初であった。
・以後、台湾に神社がいくつも建てられたが、そのほとんどが能久親王を祭神とした。
・台湾神社は1944年(昭和19年)、天照大神が祭神に加わり、台湾神宮と称している。

<朝鮮半島の神社>
日韓併合時代があった。

朝鮮神宮(ソウル市)
・1925年(大正14年)、ソウルの南山(なむさん)に朝鮮総督府の主導で創建され、官幣大社となった。
・南山は古来、王城鎮護の霊山とされていた地であり、当初は朝鮮の神話上の始祖である壇君(だんくん)を祭神にする意見があった。
・最終的には天照大神と明治天皇の二神が祀られ、例祭に勅使が派遣される勅祭社となった。

▢ その他の朝鮮半島の神社(50以上)
・京城(けいじょう)神社(祭神:天照大神・開拓三神、国幣小社)ソウルの総氏神。
・平壌(へいじょう)神社(祭神:天照大神・国魂大神、国幣小社)。
・総督府は神社に至らない小規模の神道の礼拝施設を「神祠」とした(1000以上)。

<満州の神社>
満州は日露戦争後、日本の租借地になった。満州事変(1931年)以後、神社創建が急増した。

安東神社(祭神:天照大神)
・1905年(明治38年)創建。

▢ (幻の)関東神宮
・1938年(昭和13年)、大陸鎮護の聖地として天照大神・明治天皇を祀る官幣大社を旅順に創立することが内閣告示により発表され、6年後の昭和19年に竣工・鎮座式が行われたが、創建から1年足らずで敗戦を迎え、消滅した。

<その他の海外神社>
樺太、南洋地域(パラオなど)にも社格を持った神社が創建された。

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