もう一つ録画してあった憲法関連番組がありました。日本の行政と司法の危うい関係(行政による司法へのパワハラ)が浮かび上がるドキュメンタリーです。
□ 「平和に生きる権利を求めて〜恵庭・長沼事件と憲法〜」(2018.4.28:NHK)
<内容紹介>
自衛隊をめぐり注目された裁判の録音が公開された。北海道の恵庭事件。演習の騒音に抗議し自衛隊の通信線を切断した酪農家が起訴された。自衛隊が合憲か違憲か争われたが札幌地裁は憲法判断をせず無罪判決を下した。ここで提起された平和的生存権は長沼ナイキ基地訴訟の地裁判決で示され、その後イラク派遣差し止め訴訟の名古屋高裁判決で確定した。今沖縄の基地問題でよりどころとなる平和的生存権をめぐるスクープ・ドキュメント
憲法前文にある「平和的生存権」を巡る、裁判におけるやりとりを辿った内容。
憲法の文章をどう解釈するのか、喧々諤々の議論なのですが、総じて「政治が絡んだ言葉遊び」の域での争いに見えてしまいました。
平和な生活が脅かされる原告の住民は「平和的生存権の実現」を訴え、
軍事基地を作らなければならない政府側は「平和的生存権は概念であり実体はない」と不可解な答えで応酬。
そこに弁護士側は「憲法第9条に照らし合わせて自衛隊は違憲である」という主張を盛り込んだため、裁判の論点が複雑になってしまいました。
このドキュメンタリーでは3つの裁判を扱っていますが、最後の「自衛隊イラク派遣差し止め訴訟」における名古屋高裁の青山邦夫裁判長の確信犯的な判決が見事でした。
原告の訴えは「訴える内容がない」と棄却したものの、「自衛隊が米国の戦闘兵を移送することは、軍事行動を共にしていることであり、憲法9条に違反する」と申し添えたのです。
裁判に勝った国は、この内容に不満ですが、勝ったために控訴できず、判決は確定しました。
原告側は裁判には負けましたが「自衛隊は憲法第9条違反」という判決を勝ち取るという「負けて勝つ」戦法を実現したのでした。
インタビューに答えた青山邦夫元裁判長の言葉が心に残ります;
「平和主義と人権保障は表裏一体になっている。その中にあるのが平和的生存権である。そしてこれは不断に自ら守る努力をしなければ保持できない。」
国の意向に沿わない判決を下した裁判官は、その後左遷されて冷や飯を食ら日々、あるいは自ら依願退職している現実。
この辺から、日本における「三権分立」は脆弱であることが窺えます。
行政による司法へのパワハラです。
一度決めた憲法は、その一字一句が大切なのですね。
米国GHQが作った平和憲法の下で、日本国民が踊らされているような気がしないでもありません。
憲法が絶対であり、それをどう解釈するかの範囲でしか内容が進まないことに息苦しさを覚えました。
そこには憲法そのものが正しいのかどうかの議論が皆無なので、今ひとつ腑に落ちませんでした。
そういえば、昔読んだ本多勝一さんの著書の中に「弁護士を目指して司法の勉強をはじめたが、『六法全書』を暗記してその中であれこれ思考する訓練に過ぎないことを知り、意味がないのでやめた」という文章があり、へえ、そうなんだと意外に思ったことを覚えています。
<メモ>
□ 恵庭事件(1962年)
自衛隊の演習騒音被害(乳牛の乳量低下、流産など)に耐えかねて自衛隊の通信線をペンチで切断した酪農家兄弟が、器物損壊罪ではなく自衛隊法違反で訴えられた。
弁護側は被告の考えとは異なり、「自衛隊は憲法違反であるから、自衛隊法自体が無効である」と憲法第9条を争点にした。
この裁判に際して、公法学者187人に「自衛隊にかんする憲法解釈上の意見」をアンケート調査したところ、
・合憲:12%
・違憲:88%
と「自衛隊は違憲」との意見が多数を占めた。
弁護士の内藤功(ナイトウイサオ)は、「三矢研究」(朝鮮半島で武力紛争が発生し日本に波及した場合、自衛隊はどうすべきかの研究)を取りあげて、「自衛隊は軍隊である」と自衛官中枢が認識していることを答弁で引き出した。
当時の鳩山一郎首相は「憲法第9条は自衛のための最小限度の防衛力の保持は禁止していない」と答弁した。
検察側は 「統治行為論」(政治が関わってくる微妙な憲法問題には、裁判所は関わらない、判断しないこと)で対抗した。
弁護側(深瀬忠一:フカセタダカズ)は、憲法前文の「平和的生存権」という理念を条文(第9条:戦争放棄、第13条:幸福追求権)で保障する関係と論じた。
この裁判は被告無罪で終了した。検察側はこれ以上の議論は自衛隊違憲論争になることを恐れ、無罪判決でも控訴しなかった。弁護側は無罪を勝ち取ったと認識。
□ 長沼ナイキ基地訴訟(1967〜1973年)
(住民側)基地建設に伴い、保安林が伐採されると水害リスクが増す
(国側)ミサイル基地建設には「公益上の理由」があるから保安林指定解除へ
弁護団に恵庭事件を担当した弁護士(内藤功)が参加協力し、自衛隊の違憲性を論点にして争った。
基地ができると水害だけでなく、紛争時の攻撃目標となり、平和的生存権が脅かされると主張した。
その結果、札幌地裁では「自衛隊は憲法第9条違反である」と初めて司法判断が下ったが、札幌高裁で逆転敗訴となった。1982年、最高裁は上告を棄却し、住民側敗訴確定。
□ 自衛隊イラク派遣差し止め訴訟(2004年)
「外交は血を流さない政治である」
「軍隊は血を流す政治である」
武力紛争の被害者にも加害者にもなりたくないと主張したが、地裁では棄却された。
名古屋高裁では、米国の戦闘兵を日本が輸送している事実が判明し、第9条違反と主張したところ、訴えは成立しないと棄却しながらも、自衛隊違憲を認める判決だった。
国は勝った立場なので控訴ができず、裁判所判断は確定した。
その時の青山邦夫裁判長の言葉;
「平和主義と人権保障は表裏一体になっている。その中にあるのが平和的生存権である。不断に自らで守る努力をしなければ保持できない」
□ 「平和に生きる権利を求めて〜恵庭・長沼事件と憲法〜」(2018.4.28:NHK)
<内容紹介>
自衛隊をめぐり注目された裁判の録音が公開された。北海道の恵庭事件。演習の騒音に抗議し自衛隊の通信線を切断した酪農家が起訴された。自衛隊が合憲か違憲か争われたが札幌地裁は憲法判断をせず無罪判決を下した。ここで提起された平和的生存権は長沼ナイキ基地訴訟の地裁判決で示され、その後イラク派遣差し止め訴訟の名古屋高裁判決で確定した。今沖縄の基地問題でよりどころとなる平和的生存権をめぐるスクープ・ドキュメント
憲法前文にある「平和的生存権」を巡る、裁判におけるやりとりを辿った内容。
憲法の文章をどう解釈するのか、喧々諤々の議論なのですが、総じて「政治が絡んだ言葉遊び」の域での争いに見えてしまいました。
平和な生活が脅かされる原告の住民は「平和的生存権の実現」を訴え、
軍事基地を作らなければならない政府側は「平和的生存権は概念であり実体はない」と不可解な答えで応酬。
そこに弁護士側は「憲法第9条に照らし合わせて自衛隊は違憲である」という主張を盛り込んだため、裁判の論点が複雑になってしまいました。
このドキュメンタリーでは3つの裁判を扱っていますが、最後の「自衛隊イラク派遣差し止め訴訟」における名古屋高裁の青山邦夫裁判長の確信犯的な判決が見事でした。
原告の訴えは「訴える内容がない」と棄却したものの、「自衛隊が米国の戦闘兵を移送することは、軍事行動を共にしていることであり、憲法9条に違反する」と申し添えたのです。
裁判に勝った国は、この内容に不満ですが、勝ったために控訴できず、判決は確定しました。
原告側は裁判には負けましたが「自衛隊は憲法第9条違反」という判決を勝ち取るという「負けて勝つ」戦法を実現したのでした。
インタビューに答えた青山邦夫元裁判長の言葉が心に残ります;
「平和主義と人権保障は表裏一体になっている。その中にあるのが平和的生存権である。そしてこれは不断に自ら守る努力をしなければ保持できない。」
国の意向に沿わない判決を下した裁判官は、その後左遷されて冷や飯を食ら日々、あるいは自ら依願退職している現実。
この辺から、日本における「三権分立」は脆弱であることが窺えます。
行政による司法へのパワハラです。
一度決めた憲法は、その一字一句が大切なのですね。
米国GHQが作った平和憲法の下で、日本国民が踊らされているような気がしないでもありません。
憲法が絶対であり、それをどう解釈するかの範囲でしか内容が進まないことに息苦しさを覚えました。
そこには憲法そのものが正しいのかどうかの議論が皆無なので、今ひとつ腑に落ちませんでした。
そういえば、昔読んだ本多勝一さんの著書の中に「弁護士を目指して司法の勉強をはじめたが、『六法全書』を暗記してその中であれこれ思考する訓練に過ぎないことを知り、意味がないのでやめた」という文章があり、へえ、そうなんだと意外に思ったことを覚えています。
<メモ>
□ 恵庭事件(1962年)
自衛隊の演習騒音被害(乳牛の乳量低下、流産など)に耐えかねて自衛隊の通信線をペンチで切断した酪農家兄弟が、器物損壊罪ではなく自衛隊法違反で訴えられた。
弁護側は被告の考えとは異なり、「自衛隊は憲法違反であるから、自衛隊法自体が無効である」と憲法第9条を争点にした。
この裁判に際して、公法学者187人に「自衛隊にかんする憲法解釈上の意見」をアンケート調査したところ、
・合憲:12%
・違憲:88%
と「自衛隊は違憲」との意見が多数を占めた。
弁護士の内藤功(ナイトウイサオ)は、「三矢研究」(朝鮮半島で武力紛争が発生し日本に波及した場合、自衛隊はどうすべきかの研究)を取りあげて、「自衛隊は軍隊である」と自衛官中枢が認識していることを答弁で引き出した。
当時の鳩山一郎首相は「憲法第9条は自衛のための最小限度の防衛力の保持は禁止していない」と答弁した。
検察側は 「統治行為論」(政治が関わってくる微妙な憲法問題には、裁判所は関わらない、判断しないこと)で対抗した。
弁護側(深瀬忠一:フカセタダカズ)は、憲法前文の「平和的生存権」という理念を条文(第9条:戦争放棄、第13条:幸福追求権)で保障する関係と論じた。
この裁判は被告無罪で終了した。検察側はこれ以上の議論は自衛隊違憲論争になることを恐れ、無罪判決でも控訴しなかった。弁護側は無罪を勝ち取ったと認識。
□ 長沼ナイキ基地訴訟(1967〜1973年)
(住民側)基地建設に伴い、保安林が伐採されると水害リスクが増す
(国側)ミサイル基地建設には「公益上の理由」があるから保安林指定解除へ
弁護団に恵庭事件を担当した弁護士(内藤功)が参加協力し、自衛隊の違憲性を論点にして争った。
基地ができると水害だけでなく、紛争時の攻撃目標となり、平和的生存権が脅かされると主張した。
その結果、札幌地裁では「自衛隊は憲法第9条違反である」と初めて司法判断が下ったが、札幌高裁で逆転敗訴となった。1982年、最高裁は上告を棄却し、住民側敗訴確定。
□ 自衛隊イラク派遣差し止め訴訟(2004年)
「外交は血を流さない政治である」
「軍隊は血を流す政治である」
武力紛争の被害者にも加害者にもなりたくないと主張したが、地裁では棄却された。
名古屋高裁では、米国の戦闘兵を日本が輸送している事実が判明し、第9条違反と主張したところ、訴えは成立しないと棄却しながらも、自衛隊違憲を認める判決だった。
国は勝った立場なので控訴ができず、裁判所判断は確定した。
その時の青山邦夫裁判長の言葉;
「平和主義と人権保障は表裏一体になっている。その中にあるのが平和的生存権である。不断に自らで守る努力をしなければ保持できない」