初めてその店の扉を開いたのは二十歳の頃だった。
木の看板一枚で鼠色の階段を地下へと誘導され、ステンドグラスで遮断された重い木の扉はよりにもよって引き扉で、入りにくさを倍増させる。
街なかの雑踏が掻き消えたように一瞬しんとして、薄暗い店内にはバッハが聞こえるかどうかぎりぎりの音量で流れている。ぶ厚い一枚板のカウンターに恐る恐る座った。カウンターの向こうには、今にもグループサウンズでも始めそうな壮年の男性が三人、ひとりはカップを磨き、ひとりは珈琲豆をひとつひとつ選り分け、もうひとりは珈琲を今まさにドリップしていた。その向こうには、色も形もとりどりのカップがずらりと綺麗に陳列された棚があった。
それから、大學の行き帰りの折々に独りで訪れるようになった。三人いた店員は、いつしか二人になっていた。眼鏡の似合うマスターが差し出してくれるカップは、いつも繊細な、オリエンタルな図柄のものたちであった。一方、猫背のマスターが差し出してくれるそれは、背が低くかっちりとした形に、花束やリボンが図柄として上品にあしらわれているものだった。彼らが私のために毎回選んでくれるカップはその日の髪型や洋服に合わせて違っていた。それが嬉しく、そして静かな愉しみだった。
カウンターの手元だけに当たるかすかなスポットを頼りに、辞書を持ち込んで英語やフランス語の文献をせっせと訳していた。ここならば、嫌いな言語に向き合うことが苦ではなかった。
店は、開店10周年を迎えた。
記念の日に招待され、珍しく常連が一同に集って賑わうさまを眺めた。決して酔えない琥珀色の液体に魅せられた人々の目と語りは、それぞれに穏やかだった。今日は、ショパンが流れている。
就職したあとも、時間を見つけてはよく通った。
マスターはやがて独りきりになってしまい、リボンの柄のカップはもう私に差し出されることがなくなった。私は、煙草を吸うようになった。
今では、私の注文を待たずに、マットな黒い灰皿と濃い目のイエメンモカが綺麗なカップに満たされて差し出される。珈琲以外の相手と一緒に食されることなぞ全く予期されていない、珈琲のためだけに作られたチーズケーキをねだれば、酒漬けチェリーを乗せずに出してくれる。
私は、仕事で訪れた外国の土産話や写真、買ってきた土産などを気紛れに渡した。
仕事で付き合いの深かった初老の男性と、ある日珈琲談義になった。
お互いに、東京でいちばん旨いと思う珈琲屋を教えあおう、という話になった。
最初に口火を切ったのは彼だった。嬉しそうに、珈琲屋の場所を説明する。笑顔で聞いていた私は彼の話に相槌を打ちながら、「一枚板のカウンタと古時計とショパンが似合いそうですねぇ。ステンドグラスなんかも。」と云った。
彼は目を丸くして、すぐに笑顔になり、高く笑った。
「今度は、あそこで逢うかね。」
ここを私が「還る場所」としてから九年目になる。
おどおどしたコドモだった私もそれなりに年をとり、そして、再び学生に戻った。
環境や所属が変わって年を重ねても、同じ安らぎを与え優しく穏やかな心境に戻してくれる稀有な空間は、掛け替えがない。
明日何ヶ月かぶりに、訪れてみる。
数年ぶりに顔を見る友人と逢うために。
竜宮城のように時間の隔たりが判らなくなってしまう場所だから、こんな逢瀬にはぴったりだ。
木の看板一枚で鼠色の階段を地下へと誘導され、ステンドグラスで遮断された重い木の扉はよりにもよって引き扉で、入りにくさを倍増させる。
街なかの雑踏が掻き消えたように一瞬しんとして、薄暗い店内にはバッハが聞こえるかどうかぎりぎりの音量で流れている。ぶ厚い一枚板のカウンターに恐る恐る座った。カウンターの向こうには、今にもグループサウンズでも始めそうな壮年の男性が三人、ひとりはカップを磨き、ひとりは珈琲豆をひとつひとつ選り分け、もうひとりは珈琲を今まさにドリップしていた。その向こうには、色も形もとりどりのカップがずらりと綺麗に陳列された棚があった。
それから、大學の行き帰りの折々に独りで訪れるようになった。三人いた店員は、いつしか二人になっていた。眼鏡の似合うマスターが差し出してくれるカップは、いつも繊細な、オリエンタルな図柄のものたちであった。一方、猫背のマスターが差し出してくれるそれは、背が低くかっちりとした形に、花束やリボンが図柄として上品にあしらわれているものだった。彼らが私のために毎回選んでくれるカップはその日の髪型や洋服に合わせて違っていた。それが嬉しく、そして静かな愉しみだった。
カウンターの手元だけに当たるかすかなスポットを頼りに、辞書を持ち込んで英語やフランス語の文献をせっせと訳していた。ここならば、嫌いな言語に向き合うことが苦ではなかった。
店は、開店10周年を迎えた。
記念の日に招待され、珍しく常連が一同に集って賑わうさまを眺めた。決して酔えない琥珀色の液体に魅せられた人々の目と語りは、それぞれに穏やかだった。今日は、ショパンが流れている。
就職したあとも、時間を見つけてはよく通った。
マスターはやがて独りきりになってしまい、リボンの柄のカップはもう私に差し出されることがなくなった。私は、煙草を吸うようになった。
今では、私の注文を待たずに、マットな黒い灰皿と濃い目のイエメンモカが綺麗なカップに満たされて差し出される。珈琲以外の相手と一緒に食されることなぞ全く予期されていない、珈琲のためだけに作られたチーズケーキをねだれば、酒漬けチェリーを乗せずに出してくれる。
私は、仕事で訪れた外国の土産話や写真、買ってきた土産などを気紛れに渡した。
仕事で付き合いの深かった初老の男性と、ある日珈琲談義になった。
お互いに、東京でいちばん旨いと思う珈琲屋を教えあおう、という話になった。
最初に口火を切ったのは彼だった。嬉しそうに、珈琲屋の場所を説明する。笑顔で聞いていた私は彼の話に相槌を打ちながら、「一枚板のカウンタと古時計とショパンが似合いそうですねぇ。ステンドグラスなんかも。」と云った。
彼は目を丸くして、すぐに笑顔になり、高く笑った。
「今度は、あそこで逢うかね。」
ここを私が「還る場所」としてから九年目になる。
おどおどしたコドモだった私もそれなりに年をとり、そして、再び学生に戻った。
環境や所属が変わって年を重ねても、同じ安らぎを与え優しく穏やかな心境に戻してくれる稀有な空間は、掛け替えがない。
明日何ヶ月かぶりに、訪れてみる。
数年ぶりに顔を見る友人と逢うために。
竜宮城のように時間の隔たりが判らなくなってしまう場所だから、こんな逢瀬にはぴったりだ。
友人は劇団員で、ダンディならぬ「キワモノ道」を究めんとしているので
この日は薔薇柄のシャツで現れました(笑)
ここは、夜にはバーになります。
機械仕掛けで、時間になるとカップ棚が天井に収納され、床がゆっくり下がってハイカウンターになります。
昭和のイメージとは云いがたいですが、ハイソであることにかわりはありません。
機会仕掛けしかり、スポット照明の贅沢さしかり。
今度お連れします。一人で先に行っちゃ駄目よ~
http://www.oldtime.jp/html/sby.html