私のオフィスがあるビルの1階はカフェになっており、春めいてくるこんな季節にはオープンテラスの席がにぎわいを見せ始める。あの男と始めて遭ったのは、たしか2年ほど前の、ちょうど今くらいの季節のことだったと思う。
平日のオフィス街のカフェにはよくあるように、そのカフェの「常連」と呼べる人の顔を瞬時にいくつも思い出せるし、なぜかテラス席にそれは顕著だった。通常のサラリーマンが退社する時間には少し早い17時くらいにきまって座っているロマンスグレーの長身の白人や、犬の散歩途中の一休みポイントに利用しているらしい中年の女性。最初は知らない大勢のうちのひとりが、「あ、またいる」と認識するひとりになる。そうして、たまには会釈をする間柄になったりもする。美しくもなく冴えないでもない、どうにも「平均的」なスーツを着たその男も、そうした中のひとりだった。
最初は気に留めていなかった。そのうちわかったことだが、彼がそこに座っているのは必ず水曜日の日暮れどきだった。水曜日に限って、定例の業務がこの近所のどこかで行われているのだろうな、と思った。私は煙草を吸いに屋外に出たときや、お使いに出掛けた帰りに彼と会釈を交わすようになった。
ある日、私が会釈をしてビルに戻ろうとすると、彼は真面目な表情のままでちょいちょいと片手で私に手招きした。なにかと思って近づくと、彼は店のスタッフにもう1杯の珈琲と灰皿を私のために注文した。まったくもって一方的にセッティングされたお茶会に、私は特に嫌悪感を抱くわけでもなく、ただ呆れて苦笑した。その顔を見上げて初めて彼はにっと歯を見せて笑い、私に座るように促した。
それからほぼ毎週のペースで、水曜日の夕方にはそこでお茶会をすることになった。私は彼の連絡先を知らないので、急な外出や出張などの突発的な用事が入る水曜日には、彼は私のことを一定程度の時間、待っているに違いなかった。とはいえ、彼はもともと水曜日にきまってそこに来るのがならいだったのだから、特段私が謝るべきことでもなかろう。私がいようがいまいが、彼は水曜日にはそこに居るのだから。
暫くそんな状態であったのだが、乱暴に云うと、そしてひどく勝手なことに、私は彼のことが鬱陶しくなった。彼は私のためにここに来てるのではないのだけれど、そして何の約束もしていないし互いの連絡先すらも知らないはずなのに、「水曜日」という目に見えない拘束感を覚えるようになった。
そして、「申し訳ないけど、もうここに来ないでほしいの。」と告げた。
その次の週から、私の生活から水曜日が綺麗さっぱり消え去った。
火曜日に眠ると、起きた日は木曜日になっている。
スケジュール帳にも水曜日の欄があって、その日のアポイントもあったりするのに、私の生活からはばっさり抜け落ちている。不審がりながら木曜日に出社すると、どうやら私はきちんと昨日のアポイントをこなしたことになっており、ノートをめくると自分の字でなにやら書いてある。なのに、自宅の洗濯籠には水曜日が私にあったのならば当然あってしかるべきの洗濯物がない。
「わかりました。もう私はあなたの前には現れません。」
残念そうな、しかし毅然とした水曜日の男の言葉が、脳裏をかすめていく。
平日のオフィス街のカフェにはよくあるように、そのカフェの「常連」と呼べる人の顔を瞬時にいくつも思い出せるし、なぜかテラス席にそれは顕著だった。通常のサラリーマンが退社する時間には少し早い17時くらいにきまって座っているロマンスグレーの長身の白人や、犬の散歩途中の一休みポイントに利用しているらしい中年の女性。最初は知らない大勢のうちのひとりが、「あ、またいる」と認識するひとりになる。そうして、たまには会釈をする間柄になったりもする。美しくもなく冴えないでもない、どうにも「平均的」なスーツを着たその男も、そうした中のひとりだった。
最初は気に留めていなかった。そのうちわかったことだが、彼がそこに座っているのは必ず水曜日の日暮れどきだった。水曜日に限って、定例の業務がこの近所のどこかで行われているのだろうな、と思った。私は煙草を吸いに屋外に出たときや、お使いに出掛けた帰りに彼と会釈を交わすようになった。
ある日、私が会釈をしてビルに戻ろうとすると、彼は真面目な表情のままでちょいちょいと片手で私に手招きした。なにかと思って近づくと、彼は店のスタッフにもう1杯の珈琲と灰皿を私のために注文した。まったくもって一方的にセッティングされたお茶会に、私は特に嫌悪感を抱くわけでもなく、ただ呆れて苦笑した。その顔を見上げて初めて彼はにっと歯を見せて笑い、私に座るように促した。
それからほぼ毎週のペースで、水曜日の夕方にはそこでお茶会をすることになった。私は彼の連絡先を知らないので、急な外出や出張などの突発的な用事が入る水曜日には、彼は私のことを一定程度の時間、待っているに違いなかった。とはいえ、彼はもともと水曜日にきまってそこに来るのがならいだったのだから、特段私が謝るべきことでもなかろう。私がいようがいまいが、彼は水曜日にはそこに居るのだから。
暫くそんな状態であったのだが、乱暴に云うと、そしてひどく勝手なことに、私は彼のことが鬱陶しくなった。彼は私のためにここに来てるのではないのだけれど、そして何の約束もしていないし互いの連絡先すらも知らないはずなのに、「水曜日」という目に見えない拘束感を覚えるようになった。
そして、「申し訳ないけど、もうここに来ないでほしいの。」と告げた。
その次の週から、私の生活から水曜日が綺麗さっぱり消え去った。
火曜日に眠ると、起きた日は木曜日になっている。
スケジュール帳にも水曜日の欄があって、その日のアポイントもあったりするのに、私の生活からはばっさり抜け落ちている。不審がりながら木曜日に出社すると、どうやら私はきちんと昨日のアポイントをこなしたことになっており、ノートをめくると自分の字でなにやら書いてある。なのに、自宅の洗濯籠には水曜日が私にあったのならば当然あってしかるべきの洗濯物がない。
「わかりました。もう私はあなたの前には現れません。」
残念そうな、しかし毅然とした水曜日の男の言葉が、脳裏をかすめていく。
でも多分それは"この世のもの"に対する反応です。
リストの中に正解が無いのに時として迫られる選択。
正否は望まぬ、願わくば自らの意志でありさえしてくれれば。
それを疑似体験したような居心地の悪さを存分に味わいました(笑
”毎週”ということでなければ、こんなことは時たま起こっているような気もするし、ただそれに気付いていないだけなのかもしれない・・・
たまにはコントも書きたくなるのです。
でも、時間とパワーがいるので(ネタも要る)頻繁には書けないのです。ざんねん。
春の怪談はいかがでしたか。
自分が「みどり」と呼ぶ色を、ほかの10名が「紫」と呼んでいる場面に遭遇したようなぞっとする感を違うかたちで書いてみたくてこうなりました。
>hokuto77さま
お返事が遅れてしまってすみませんでした。
本業のほうでばたついていました。
えへ。
喜んでいただきありがとうございます。
来月はもっと更新がんばります。
もしかしたらこれまでに何日か、どこかに落としてきてるかもしれませんよ。