「最近は、よく電車が止まるよなぁ・・。」
眠いのを我慢して起きたというのに、会社に行く気は既にかなり失せている。
ぎゅうぎゅうに混雑した箱の中からようやく解放されて、やれやれとホームで軽い伸びをしながら僕は独りごちた。
あれだけぎっしりと詰まっていた人間が、どうしてこうも美しく再びばらけてあの狭い口から出ることができるのだろう。電車を箱ごと炙ってぱかっと屋根を開けたら、人間で出来た特大の雷おこしができるんじゃないかなぁ、なんてくだらないことを考える。ちょっとでも馬鹿馬鹿しい気分になるために。
改札を抜けて、ふわわ、と欠伸をひとつする。
・・・っく。 げほっ。
欠伸と一緒になって僕の喉の奥の陰鬱に暗い奥のほうへ飛び込んできた何やら小さなものがいる。ミクロの世界の何かが僕の肺でふわふわと迷子になって、そいつのゆうに1000倍以上も大きな僕をじたばたさせる。
時は五月。春の緩んだ陽気に誘われて、羽虫があたりを飛んでいる。
空はこんなにも高く澄んでいるのだから、もっと高いところを飛べばいいのにさ。
あぁ、でもいい気になってあまり高いところを飛んでしまったら、それより更にいい気分で空をしゅるしゅる飛び交う小鳥に喰われてしまうね。
だからといって、僕の口に飛び込んでしまうなんて、見事に裏目に出てしまったね。しかも、僕は鳥たちのように君らを美味しく喰ってあげることさえできやしないのにさ。
まさに喰われ損。おかしな顔して目に涙を浮かべている僕も充分に損だけどね。
・・げほっ。・・迂闊に笑うんじゃなかった。
電車は止まるし、肺は苦しいし、天気はすこぶるいいときている。
既に定刻に会社に着ける訳でもなし、今日の午前はゆっくりしよう。
会社から反対方向へ。殆ど流れてすらいない川のほとりで、肺と機嫌が直るまで。
川は歩いて15分もすれば着く。ところどころには草も生い茂り、若干人工的だけれど河原のような場所もある。まだ草の丈は寝転ぶ僕の身体を覆い隠すほどには育っておらず、うずうずするような柔らかさを伴い、だけれど僕を受け止めきれない。その頼りなさが、この季節のいちばんいいところだ。
目を閉じた僕の目蓋の裏に、オレンジ色の球体や黄色い房状のすじが流れては消え、折々に雲が掛かってそれらの閃光を覆い隠す。まるで、火照った頬に心地良い冷ややかな手で目隠しをされた気分だ。
けほ。ごふ。
咳は先程よりも幾分軽い。だけども肺の内部に揺らめく奴らのこの存在感はなんだ。
蒲公英の綿毛が肺一杯に増殖したような、細かい糸の切れ端が絶えずその身をうねらせて肺の中を余すところなく泳ぎ回っているような。
痛みを感じなくなってしまうと、それはむしろ心地良いような気がする。眠いし。肌に落ちる日差しが柔らかくて暖かいし、薄っすらと水の香りもする。
そして僕の肺の中ではこの季節に似合う何かが嬉しそうに泳いでいる。
このまま昼寝をしてしまえたら、どんなにかいいのにな。
だけどいくらなんでも、無断で欠勤するわけにも行かない。
渋々と駄々をこねる心を宥めて、仰向けに横たわったまま太陽に細目を開け、深い深い溜息をひとつ、臓腑の奥のほうからゆっくりと吐き出した。
ふうわりと、僕の肺の奥深くから、白いものが溢れ出した。
はたはたと、セロファンのような光沢と羽毛のような柔らかい気配を漂わせて。
何十、いや恐らく百を超える羽の生えたなにやら白く光る美しいものが、僕の中から嬉しそうに踊りつつ互いに螺旋と絡まりながら高い空へと昇る、昇る。
太陽を眩しがる僕の目の届かないところまで、昇る。
唄が聴こえてきそうだ。
眠いのを我慢して起きたというのに、会社に行く気は既にかなり失せている。
ぎゅうぎゅうに混雑した箱の中からようやく解放されて、やれやれとホームで軽い伸びをしながら僕は独りごちた。
あれだけぎっしりと詰まっていた人間が、どうしてこうも美しく再びばらけてあの狭い口から出ることができるのだろう。電車を箱ごと炙ってぱかっと屋根を開けたら、人間で出来た特大の雷おこしができるんじゃないかなぁ、なんてくだらないことを考える。ちょっとでも馬鹿馬鹿しい気分になるために。
改札を抜けて、ふわわ、と欠伸をひとつする。
・・・っく。 げほっ。
欠伸と一緒になって僕の喉の奥の陰鬱に暗い奥のほうへ飛び込んできた何やら小さなものがいる。ミクロの世界の何かが僕の肺でふわふわと迷子になって、そいつのゆうに1000倍以上も大きな僕をじたばたさせる。
時は五月。春の緩んだ陽気に誘われて、羽虫があたりを飛んでいる。
空はこんなにも高く澄んでいるのだから、もっと高いところを飛べばいいのにさ。
あぁ、でもいい気になってあまり高いところを飛んでしまったら、それより更にいい気分で空をしゅるしゅる飛び交う小鳥に喰われてしまうね。
だからといって、僕の口に飛び込んでしまうなんて、見事に裏目に出てしまったね。しかも、僕は鳥たちのように君らを美味しく喰ってあげることさえできやしないのにさ。
まさに喰われ損。おかしな顔して目に涙を浮かべている僕も充分に損だけどね。
・・げほっ。・・迂闊に笑うんじゃなかった。
電車は止まるし、肺は苦しいし、天気はすこぶるいいときている。
既に定刻に会社に着ける訳でもなし、今日の午前はゆっくりしよう。
会社から反対方向へ。殆ど流れてすらいない川のほとりで、肺と機嫌が直るまで。
川は歩いて15分もすれば着く。ところどころには草も生い茂り、若干人工的だけれど河原のような場所もある。まだ草の丈は寝転ぶ僕の身体を覆い隠すほどには育っておらず、うずうずするような柔らかさを伴い、だけれど僕を受け止めきれない。その頼りなさが、この季節のいちばんいいところだ。
目を閉じた僕の目蓋の裏に、オレンジ色の球体や黄色い房状のすじが流れては消え、折々に雲が掛かってそれらの閃光を覆い隠す。まるで、火照った頬に心地良い冷ややかな手で目隠しをされた気分だ。
けほ。ごふ。
咳は先程よりも幾分軽い。だけども肺の内部に揺らめく奴らのこの存在感はなんだ。
蒲公英の綿毛が肺一杯に増殖したような、細かい糸の切れ端が絶えずその身をうねらせて肺の中を余すところなく泳ぎ回っているような。
痛みを感じなくなってしまうと、それはむしろ心地良いような気がする。眠いし。肌に落ちる日差しが柔らかくて暖かいし、薄っすらと水の香りもする。
そして僕の肺の中ではこの季節に似合う何かが嬉しそうに泳いでいる。
このまま昼寝をしてしまえたら、どんなにかいいのにな。
だけどいくらなんでも、無断で欠勤するわけにも行かない。
渋々と駄々をこねる心を宥めて、仰向けに横たわったまま太陽に細目を開け、深い深い溜息をひとつ、臓腑の奥のほうからゆっくりと吐き出した。
ふうわりと、僕の肺の奥深くから、白いものが溢れ出した。
はたはたと、セロファンのような光沢と羽毛のような柔らかい気配を漂わせて。
何十、いや恐らく百を超える羽の生えたなにやら白く光る美しいものが、僕の中から嬉しそうに踊りつつ互いに螺旋と絡まりながら高い空へと昇る、昇る。
太陽を眩しがる僕の目の届かないところまで、昇る。
唄が聴こえてきそうだ。
「蒲公英の綿毛が肺一杯に増殖したような」というところを読んだとき、ゾワとしました。風邪気味で胸が苦しいだけに臨場感がありました。(苦笑)
鏡花の『酸漿』という短編では、女が血を吐くたびに、嬉しそうに「あゝ嬉しい、酸漿が出るんだねえ。」 と言う場面があります。何故かその場面を連想しました。
咳と一緒に出てくるものが、鏡花は酸漿で、マユさんは羽虫なのですね。
虫繋がりということで、昔書いた夢の記事をTBさせていただきますので、よろしくお願いいたします。
うふふ。
どう? この季節に相応しい不安定な感じになったでしょう?
>lapis さま
酸漿も矢張りシュールですね。
私のすきな「日々の泡」には、肺の中に咲いたおおきな芳しき睡蓮のお陰で命を落とす女性がいます。
「肺」という臓腑は、人間、いやケモノの卑しさの象徴とも云える(それはひいては生命の象徴なのだけれど)「喰らう」という行為や「生殖」という行為からは掛け離れた潔癖さと、それらの行為に立脚していないからこその危うさが同居しているように感じます。
だからこそ、蒲公英の綿毛やきらきらとした羽虫や、そんな非現実的なものが発生する幻想の余地があるのです。きっと。