Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

蟷螂(とうろう)。

2005-08-15 | 春夏秋冬
 僕はいつものように目黒の裏通り、会社に至る道を歩いていた。
東京の暦ではもう盆を過ぎてしまって、まだ朝の9時前だというのに既にためらいなく暑い。近所の住人しか通らないであろうこの静かな道で不似合いと思える程に哀しい顔をした自転車の男が僕とすれ違った。その理由に対する僕の疑問はすぐに解決された。
そこから数十メートル歩いた道の脇で、綺麗な体躯をした猫が眠っていた。いや、静かに、ごく自然なことのように美しい姿で死んでいた。
数匹の羽虫が飛んでいたことで、それと判った。

「しくじったんだな・・・」
 僕は思った。

そして僕の想いはその猫に連れられて懐かしい場所に連れていかれた。

子供の頃、動物の死体はそれだけで畏怖を感じる不吉なものとして僕等の内にあった。そして夏のそれはまた特別であった。

 僕等が「権現さん」と呼んでいた小さな神社がある。小山の斜面を削ってなんとか平らにしたと言わんばかりの申し訳程度の広さの公園がそこに付属していた。権現さんとその公園を管理していたのであろう神社の裏には木造の家屋があって、そこに8人兄弟とその両親が住んでいた。僕等にとって権現さんは現世と異界とを繋ぐ門のような気がしていたので、そんなところに住んでいる人々は一種尊敬に値し、また一種不気味であった。僕等は夏になるときまって、思い出したようにそこで遊んだ。

ある日、僕はいつものように仲間とそこへ遊びに行った。そしていつもであればあるはずのないものを見付けた。
今の僕の身長ではそこに座るしか役に立たない高さの鉄棒の根元に一匹の猫が死んでいた。僕等はなぜか黙った。そして何事もなかったかのように遊びはじめたのだがやはりそれは無理なことで、はっきりした理由は言わずしかしみんな同じ気持ちで神社の階段を降りめいめい家路についた。

他のことに気を取られていたので案の定と言えばそうなのだが、その日に限って僕は帽子を忘れてきてしまった。明日取りに行くから、と言っても聞き入れては貰えず僕は薄暗くなった夕餉の前に、それを取りに行かねばならなくなったのだった。

「お晩なりました・・・」
という「こんにちは」と「今晩は」の間のごくごく短い時間にのみ用いられる独特な挨拶を交わし、なんとか日が暮れてしまう前に、と権現さんへの道を急ぐ。権現さんの位置する同じ斜面には墓地があり、盆になると人々は毎日この時間に自分の家の墓石と並ぶ石灯籠に灯を点しに行く。
俯き加減の急ぎ足でその山の入り口に到着した僕は初めて顔を上げてその斜面を見上げた。

日暮れの早い山あいで、さらにその斜面が最期の日を遮ってぼんやりと山際がコロナのように紅く輝く。対蹠的に闇に近付く斜面では石灯籠の灯がぽつりぽつりと規則的な間隔を隔てて無数に揺らめく。
それは、幽玄。

立ち尽くしていた僕ははっと思い直し、権現さんへ続く長い長い登り階段のふもとへと駆けた。幅の狭い急勾配の階段は闇へと続いていて、今から僕はそこへ自ら吸い込まれに行かねばならなかった。

「1、2、3、4・・・」
息を殺し、声に出して段を数えながら自分の足元だけを見て、一定のピッチで階段を駈け登る。
完全に夕闇と木々に呑み込まれた権現さんの公園で僕の帽子は鉄棒にひっかかっていた。
視線を逸らそうとしてつい確認してしまった、先程猫が横たわっていた場所にはもうなにもなく、総てが跡形もなく消えていた。裏に住んでいる家族が「それ」をまるで物質のように処理したのであろうか。なんだか僕にはそのこともまたそら恐ろしく、来たときよりもさらに急ぎ足で階段を駆け降り、そのままの勢いで家へと逃げ帰った。

 高い空。陰と陽が濃く明確に共存するこの季節は僕等の心を等しく過去に返す。
不思議に大らかで、懐かしく、現在と過去との間を行き来しながら毎年僕はこの季節を過ごし、そして季節が通り過ぎた後にはまた当然のように現在の中を生きはじめる。

会社からの帰途、猫の亡骸はもうなかった。
あのときと同じく、消えるように。
その空白の場所を目で追った僕の視線を止めたのは、柔らかい緑色をして電柱にしがみつく2センチ程の蟷螂だった。

 今年の夏も、あと少し。




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9 コメント

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蟷螂 (lapis)
2005-08-15 22:43:35
マユさん版の『スタンド・バイ・ミー』でしょうか。子供時代の描写がとても素敵です。夏は、子供時代を思い起こさせるような、特別な魅力があります。しかも、生と死が交差するようなドラマチックな季節でもあります。

「猫の死骸の空白を埋めるのが、「蟷螂」であるという点がとてもユニークでした。

電柱ではありませんが、オニユリにしがみつく蟷螂の写真がありましたので、TBさせていただきます。

よろしくお願いします。
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4年前に (マユ)
2005-08-15 22:53:17
>lapis さま



TB有難うございました。

実は、これはちょっとラクして、4年前に書いたものを手直ししたものです。

場面は、鳥取県の日野郡のとある村です。

私の知らない言葉、知らない挨拶と、知らないお盆の習慣を持つこの地域は、幼心になんだか居空間というか、時間を過去に飛び越えたような感じがしました。



夏のじりじりと強い陽光と、それだからこそ余計に濃くなる影、そして濃密な湿気。生と死がもっとも近づく季節といったら、夏でしょうね。

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 (alice-room)
2005-08-15 23:33:32
私は動物を飼ったことが無い為(昆虫やカエル、お魚までは経験有り)、猫は特に小説の中の生き物だったりします。私にとって猫はポーの黒猫であり、魔女の使い魔の猫だったりします。どうやっても闇の住人なんですよね。



夕方以降に、猫の死骸が消えたら…間違いなく、闇のサバトに出掛けたんだと思いますね。今、現在でもそう信じてますもん、私。従って「君子あやうきに近寄らず」で、絶対に夜に行きません。神隠しにあってしまいそう…。何故か、それにジル・ド・レー公のかどわかしまでオーバーラップしてしまいました。すみません、私には怪談に思えました。



以上、感想にならない、感想でした。ちょっと、ぞわって怖いんですけど…夕暮れはまさにお化けの時間ですし…(ビクビク)。
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今となれば (マユ)
2005-08-15 23:44:01
>alice-room さま



今となればこうして書けるものでも、子供の頃はかなり怖かったことと思います。多少の記憶の操作が行われているだろうとはいえ、今回のは殆ど実話ですから。



犬の妖怪は一応いるけど存在感があまりなく、猫の妖怪のほうは大活躍していることを考えても、やはり猫のほうにより野生や、人智の及ばぬ要素を感じ取れるのでしょうね。



・・逢魔ヶ刻に、誰と出会いましょうか。
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黄昏時は (albireo)
2005-08-16 00:41:11
「誰そ彼時」「彼は誰時」・・・。

夕暮れ時の薄明は、暗闇よりも怖い時間ですね・・・。

しかも、神隠しに遭うには格好の舞台設定のようです。

猫の死骸が、代わりに神隠しに遭ってくれたのでしょうか・・・。

そして、最後の蟷螂は、何かを象徴するものでしょうか・・・。



僕には、素敵な怪談話のように思えました。
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晩夏のにおひ (seedsbook)
2005-08-16 01:05:15
。。。とざわめきが聞こえます。

”権現さん””猫の死骸””石灯篭”長い長い階段”を夕闇が急速に飲み込んでゆくのが見える。そして蟷螂



真夏はなんだか怖い雰囲気を持っていますよね。少なくとも私はそう思う。



素敵なお話でした。
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目論見以上に (マユ)
2005-08-16 11:53:36
夏の怪談の風情を皆さま感じ取ってくれたようで嬉しいです。



>albireo さま



蟷螂の「かま」は、時間や空間にスパッと切れ目を入れることができるような気がすることがあります。小さな子供の蟷螂がちょこっと切り裂いた時空の隙間から此方の世界に戻ってきたイメージ。

もしくは、その隙間からまた新たな世界に吸い込まれてゆくかもしれない黄昏どきのイメージ。

・・・なんてことを書いていたら4.5の地震。



>seedsbook さま



有難うございます。

あの権現さん、まだきっとあることと思います。

よく、お墓には黄昏どきに行ってはいけないといいますが、お盆のときに、お墓の燈篭に各家がそれぞれ灯を点しにいって、ほろほろと揺れる弱いあかりが逆光で真っ黒になっている山の斜面を彩る様子が、とても怖いのだけれど同時にそれはそれは綺麗で、あの光景が忘れられません。



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あのぅ~ (alice-room)
2005-08-23 20:44:30
きっとマユさんのカマキリが飛んできたのだと思います…。ですから、TBさせて頂きました。

八百比丘尼がいけなかったのかな? それとも三業地区がいけなかったのかな? 反省してますので、こういう脅しは許して下さいませ(半泣き)。



自分のブログを書いている時には、気付きませんでしたが、ようやく理由が分かったような気がします(笑)。
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飛ばした? (マユ)
2005-08-25 18:21:04
>alice-room さま

あら、飛んできましたか?(笑)

繁殖しないといいですね。うふふ。
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