Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

大町雑感。

2008-09-08 | 異国憧憬
 一週間のうちに二度も信州に行ってきた。これまで信州という土地は故郷と中途半端に近いからこそ逆に馴染みがなく、齢30を超えるまで足を踏み入れたことが殆どなかったと思う。通り抜けたことくらいはあったかもしれないが。


 坊やよいこだ・・・の歌で知られる日本むかしばなしのオープニング、龍の子太郎の民話の舞台は黒部ダムのふもとにある。恥ずかしながら、ここを訪れるまで私は「龍の子、太郎」だと思っていたのだが、大町では「小太郎」とのみ呼ばれている。区切り方を間違ったまま数十年きていたようだ。

 大町周辺にはダムが多いのだが、そのひとつ「七倉ダム」でできた湖はいまでも竜神湖と呼ばれている。このあたりは広葉樹が多く、初夏にはさまざまに輝くみどりと、秋には赤に橙に黄色にと色を変える木々が眼を楽しませる。とくに、夏にも秋にもひと色違った色目をみせるななかまどの木は、その枝の華奢さにまさる華やかさを備えていて、性別を与えるならばきっと女性に違いない。

 黒部ダムまで登るふもとの扇沢駅に、ここらの土地でもっとも早くに色づいたというななかまどがぽつんと一本ある。トンネルからの冷気によって、山肌にある木々よりも一足先に秋とみとめたのであろう。多少の勘違いといえなくも無いが、最初の一木とか最後の一枝というのは、それ自体が取り立てて美しい形状でなくとも、どうしてこう特別な存在感を得ること能うのだろう。
数ある山肌の一本であるときには決して凝視することのない葉脈の流れや枝ぶりの流れにまで人は眼を遣る。きっと、山肌が紅葉で燃えているときにはこの一本は既に枯れ落ちて、その禿げた枝に誰も見向きをしない。

 車に乗っていると、満開の蕎麦の白い花が風に揺れてさわさわと音をたてる。その脇にはりんご畑があって、紅く色づく寸前の濁りかけた薄緑色をした重たげな実がたくさんぶら下がっている。こちらは、少しばかり風が吹こうがびくともしない。
約2メートルの空間を挟んで地面に吸引される重たい実が食べごろになる頃には、蕎麦の白い花が茶色く枯れて、さわさわという爽やかな音もカサカサという貧しい音になっているはずだ。

そしてその頃にはきっと、遠くに見える日本アルプスは白い冠をかぶって、高い空を見上げる人の肩をぶるっとすくませるのに違いない。