Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

恐怖がなくならないわけ

2008-09-15 | 徒然雑記
 お月見も過ぎ、夏は仕方なく過ぎ去ろうとしている。
 ホラーは一年を通じて開店中だが怪談は暫くお預けだ。


 -- あなたにとって、怖いものとはなんですか。
 -- 恐怖って、なんですか。


 例えば、私は二度も被害に遭っているせいもあって、交通事故がとても怖い。
 幽霊とかそれに類するものを見たことがあるわけではないが、幽霊がとても怖い。
 もともとが美術屋だから、なにかのはずみで視力を失うことを想像すると大層怖い。
 もっと大雑把な括りの中で云うと、幸せになりすぎるのも不幸になりすぎるのも非常に怖い。
 もっと小さな事柄で云うと、お化け屋敷が怖い。


 -- なぜ、あなたはその怖いものたちを怖いのですか。

 交通事故の場合、過去の事例を振り返ってみても、避け方がわからないから。
 幽霊の場合、どんなものか全くわからないから。
 視力の場合、それを失ったあとの芸術への接し方がわからないから。
 幸不幸の場合、その環境の中での自分の生き方がわからないから。
 お化け屋敷の場合、どこからどんな異形のものが出てくるかわからないから。


 -- 恐怖をなくすことはできますか。

 「わからない」ことの手前には、それをわかろうとする努力と想像がある。更に、できるなら自分にとってデメリットを被らないようにという本能があり、多分に人は知識や経験を駆使して、それを分析したり対策を立てたりすることを試みる。
想像はすべからく既出、既知のなにかの次の次元や時間帯にある。だから、全ての想像の向こうには期待があって(たとえそれがどれだけ消極的な青写真であろうとも)、期待の裏側には等しく「未知数」なるものが存在する。
恐怖とは恐らく、その未知数のすべてだ。だから日本ではその恐怖に妖怪という名前を付け、且つキャラクターとしての姿を与え、表層的にもせよ既知とできるよう試みた。
その意味において恐怖とスリルは全く異なり、我々が「怖い」という言葉で指し示すものを決定的に分割する。

人が想像をし、期待をする生き物である以上、恐怖を失くして生きることは多分できない。