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Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

民俗衣装とオリエンタリズム。

2005-01-14 | 異国憧憬
明日は広い地域で雪だそうですね。
皆様足元にお気をつけくださいませ。
 
 足元・・ということで、アオザイの裾上げを済ませて一段落しているところ。
アオザイは男性陣の好む民族衣装の第一位であると聞いたことがある。本当だろうか。
日頃、胸がどうとか足がどうとか云っている割には、アオザイは基本的に長袖なので露出も少ないうえ、足に至ってはワイドパンツでどこに足があるのか判らない。ウエストが絞れているように見えるだろうが実はうまいことできた錯覚で、本当はウエスト辺りまで裾~脇部分に切り込みが入っているので、少しばかり腹が出ていようが早々にはばれない、という都合のいい代物である。
そんな訳なので着るほうとしては着やすくて万々歳。美的観点から言えば、ごくごく個人的なマオカラー趣味を除いても、あの脆弱な素材感に、脇の切れ込みから若干除く脇腹辺りの素肌の覗き具合がなんとも微妙に抑制がきいていて、いい。

 民族衣装は大概どれもすきだ。
しかし表社会に着てゆけるものが少ない。
チャイナドレスは、赤坂見附や六本木あたりでお仕事の人と間違われそうだし、サリーは布の量が多くて重いうえ上半身は寒く下半身のみ暖かくて日本の気候に合わない。おまけに歩いているうちに着崩れたら想像するだに大変だ。エチオピアに至っては極厚ガーゼのような白コットンで、明らかに道を歩くのは憚られる。恥ずかしながら着物は自分じゃ着れないし、生地が繊細なので管理に手を抜けない。

 民族衣装を着るということ(※他民族の)は、突然人類学的な解釈をすると
「オリエンタリズムの眼差しに基づいて、自らがある異文化を表象するレプリカになること」
とでも云えようか。今思いついた(搾り出した)だけなので正確性に疑問があるため、フレーズ転用厳禁。
オリエンタリズムの解釈の幅によっても解釈が変わってしまうと思われるが、ひとまず「オリエンタリズムとは、異文化に対するイメージに基づく偏見」としておく。日本=サムライ、マオリ=勇敢、中国=商売上手、ニューギニア=裸族、みたいなものである。

 民俗衣装とは、とても判り易く手軽に異文化を象徴するアイコンとして機能する。イラン航空のアテンダントが頭にスカーフを巻いていたり、ベトナム航空ではアオザイ、マレーシア航空でもアジアンプリントの綺麗な衣装などそれぞれの国が、自らの文化をアイコン化して我々に見せてくれ、それを見る我々はまだ見ぬ何か神秘的なもの、美しいもの、エネルギッシュなもの・・を身勝手に想像して愉しみ、胸躍らせる。
オリエンタリズム的偏見のひとつに、ベトナムや中国の女性はスタイルの美しい美人さんが多い、というものがある。同じアジア人として、そんな彼らの衣装をお借りして異文化をレンタル体験してみること、彼らの文化に片足を踏み込ませた気分になること、それが民族衣装を着ることである。
 
 ・・例え、我々の想像する「異文化」が実際の彼らのもつ真の文化とイコールでなかったにせよ。
それはオリエンタリズムの眼差しからは無視される。
ニューギニアではもはやカニバリズムは存在しないのに、その痕跡を求めるツアーがある。
フィジーではもはや市場経済が確立しているのに、腰蓑を見るとカメラを構える。
それがレプリカであることを認識しながら、それを求める。

 自分がレプリカになる行為。それもまたよし。
自分が彼らの持つ「真の文化」のレプリカでさえないのだということ、
自らが勝手に彼らに押し付ける偏見による理想や想像の産物のレプリカでしかないことを、
自覚しているつもりであるのならば。


プラネタリウムと砂漠の夜。

2004-12-10 | 異国憧憬
 授業のあと、いい具合に暖かくなってきたので、ちょこっとチャリを走らせてプラネタリウムに行ってきた。
プラネタリウム。なんてノスタルジックな響き。リンク集などもあって、よくよく見ると全国各地にまだ結構な数で残ってはいるのだけれど、勝手な印象では絶滅危惧種?のようなものだと思っていた。
でも、ある意味、プラネタリウムは広大な宇宙への夢を与えてくれるその特殊なパワーのようなものを失いかけている。バーチャルな空間や3Dのアーカイブなどの台頭によって。
それ故か、私を含めた今回の客は、たったふたりだけだった。

 それでも、たったふたりの客を前にして、プラネタリウムはいつも通りの熱心さで、お兄さんとお姉さんの掛け合い(馴れ合い?)台詞で進んでいった。中央より少し後ろの列に陣取り、上着を毛布のように首から掛けてくつろぎ度も満点、リクライニングシートを倒すと同時にドームは真っ暗になる。

オリオン座の「巨人の脇の下」ベテルギウス、「巨人の左足」リゲル。低い空に一際白く明るいエジプトの洪水星、おおいぬ座のシリウス。「涙を流す瞳」鹿に変えられた主人を探す子犬座のプロキオン。
星が見にくい東京に慣れてしまって夜空を見上げることが減り、星たちのそれぞれが名前を持っていたことを忘れていた。子供の頃、一生懸命覚えたというのに。 

 記憶に蘇ったのはサハラ砂漠
リビア国土の9割を占めるサハラの奥のそのまた奥へ、旧式ランドクルーザーを駆ってゆく。道もなければ明かりもない。建物もなければ人も居ない。ひたすら、闇の中へ。厳しい自然のふところへ。

夜になり、月が昇る。
月明かりだけで、砂地に影が落ちる。光は淡く冷たく、柔らかい。
ここまで連れてきてくれた運転手である砂漠の民とともに、砂地でチャイを沸かして飲みながら、車のボンネットやポリタンク、果てはサンダルまで、音の出るものなんでも叩いて歌い、そして踊る。疲れきるまで。
私たちのくるくる廻る影が、砂地に伸びていた。

日が出るよりも前に月は沈み、徐々に私たちは闇に溶けてゆく。

度近眼の私の目に、こんなにたくさんの星が見えるだなんて、只事じゃない。
プラネタリウムを凌ぐ、地平線ぎりぎりまで続く星空。空に散りばめられているのではなくて、空を隙間なく侵食するかのように埋め尽くす星明かり。明るい星を選んで星座に繋げてみる試みなんてことごとく失敗するほどの星空。
柔らかい砂のベッドに寝転んで、朝日が昇るのを悔しく思いながらいつまでも眺めた。空までの距離も判らなくなり、地面の感触も判らなくなり、時間を悠久のゆったりさに錯覚する。ただ、広い中空に自分が浮かんで溶けて漂い、願わくはこのままこの輝かしい闇に消えてなくなってくれと望む程の充足。

 あぁ、サハラに還りたい。
地球上でもっとも美しく、もっとも厳しいあの光景の中へ。


厳島と紅葉谷。

2004-11-20 | 異国憧憬
 今回の広島ゆきの最たる目的は都市計画学会のはずだったけれど、個人的には厳島神社の台風被害と修復状況を早いうちに見ておきたいほうが勝っていた。学会は、いわばおまけのようなものである。とはいえ、授業を休んで行くのだから、学会にでも引っ掛けて行かないと教授陣への言い訳が難しい。実際、厳島神社を見にゆきます、と云っただけでも笑顔で送り出してくれる心優しい方々ばかりであることを知った上で、敢えて名目を立てたい気持ち、判って頂きたい。

厳島神社は日本三景かつ国宝かつ世界遺産ということで、紅葉の美しく、また牡蠣も美味しいこの季節には多くの観光客が訪れる。海から拝む形式の稀有な神社は、海に大鳥居がすっくと立ち、鳥居の向こうには神の山と崇められる弥山が、島全体を覆うようにかぶさっているように見える。
神社本殿の見取り図はかなり複雑なので、ご参照頂きたい。

上の写真は、東回廊から入り口の祓殿を見たところである。今年の台風18号の豪雨と強風は海側から吹き付ける為、祓殿の向こうに見える回廊の床板や欄干が無残に外れていた痕跡が見られる。基礎柱もやられていて、木の部分は全て白木で美しく継いである。
鳥居側から正面に見える祓殿と火焼前、客神社、西回廊脇にある能舞台は壊滅的にやられていた。
西側の楽房は消滅しており、そこへ至る回廊の床板は全てはがれて、石の基礎のみが居並んでいる。部材の殆どは、関係者が必死になって雨風の中なんとか守りぬいたお陰で無事なものが多く、シートを掛けられて今後の修復を待っている。

杮葺の屋根については、正面拝殿の手前にある祓殿が海と直接相対峙しているため、強風をまともに受けてしまったようで、屋根のこけらが半分近く飛んでしまって下地のトタンがむき出しになっている。その姿は、拝殿を身を呈して守った武士のように見える。平清盛伝説が残るこの地ならではの想像か。

テレビで見る部分しか想像するしかできなかったが、台風の被害は想像よりも凄まじいものであった。白木で継いである部分や、部材が部分的に白木に変わっているところも多く、全身に縫い目を包帯や絆創膏で補修してある人体と同じだ。そして、まだ手を付けられていない部分も半分くらいある。海と接している為に、通常でも部材の劣化は激しい。毎年どこかしらの修理をコンスタントにしていて、修理が建物を一周する頃には、最初に修理した部分はもう弱ってきているという訳だ。

きっと来年になったら、台風18号で崩れた部分は跡形もなく修理されて元の形を晒していることだろう。白木の柱も床板も、10年もすれば潮に洗われて他の部分と見分けがつかなくなるだろう。
そうやって、平安時代からずっと今まで美しい朱塗りの赤と屋根の雅な曲線とを守ってきたのだ。荒々しい海と山とに対峙して。

廃墟、それは街の骸骨。

2004-10-21 | 異国憧憬
 近頃、廃墟ブームである。

 リビアの首都トリポリからほど近い、地中海に面したレプティスマグナ遺跡の半円形劇場は、舞台の後ろがすぐ海である。今は、舞台背後の楽屋の壁が全て崩れ落ちてしまっているので、客席の高いところに座ると柱だけが立ち並ぶ間から海を見渡すことができる。

私の本棚には大きく引き伸ばされたこの劇場の写真がある。よくよく見ると、客席の片隅に後姿の私が小さくぽつねんと座っている。だから近付いてしっかり見ないと、この写真が美しい遺跡を写した既成写真ではなくて、ぽつんと居る私を含んだスナップ風景写真であることに気付かない。

 私はこの写真がとても好きだ。
その根拠は、廃墟が持つ「骸骨感」に加え「包容力」「懐かしい暖かさ」「無常観」を余すところ無く伝えてくれるからだ。
それぞれの要素について私なりに感じたことを連ねてみたい。だけれども、廃墟はもっともっと多くの何かを私たちに伝えてくれると知っている。しかし言葉にしたり分析するのはとても難しく、上質&低俗な廃墟論が巷に溢れていることでもそれは見て取れる。
これを読んで他に思いついた要素があったら、いくつでも知らせておくれ。

「骸骨感」
古代遺跡の廃墟を見たとき、かつてあったはずの美麗なモザイクや乱立する彫刻群、二階建ての壁や布製のテント状天井などが全て奪われ、基幹部だけをあられもなくむきだしにされて、当時の完成形から程遠いはずなのに何故か理想的で完成されたフォルムを感じさせはしまいか。
それは、人間や動物の骨格標本を見たときに感じる不思議な充実感、完成形や本質を感じるそれに似てはいないだろうか。

「包容力」
古代の街には、現在の我々が実際的に必要とするものは何もない。我々は部外者として遠い過去の街に入ることになる。それなのに、動物園を見るような、劇場で舞台を見るような、美術館で作品を見るような・・・それらに共通する一種の疎外感や距離を感じさせないのは何故だろうか。何故、時代を超え人種を超えた我々を拒絶しないのだろうか。

「懐かしい暖かさ」
廃墟には、それが古代の街並みであれ、廃屋であれ遊園地であれ、人間の生きた痕跡があり時を越えた息吹が残っている。今現在我々が生活している、数え切れない人間の意思や動きが交錯する密集した空間においてよりもずっと色鮮やかに生き生きと、今は居ずかつては居た人々の生活や想いが香り立つ。それはまるで距離と時間を経たあとになってはじめて、かつて愛した男の香りや癖や言葉が鮮やかな色を持ちはじめるように。
そして同じ口癖や仕草を持つ全くの他人から、かつて愛した男を連想してしまうように、廃墟はかつてそこに居た人々の何らかの痕跡を通じて我々と廃墟自身とを結びつけようとしてくる。我々はその甘く懐かしい感覚を享受し、デジャヴに似た不思議に泣きたくなる感情に囚われる。

「無常観」
廃墟は我々に見せ付ける。
時間というものの強さを、それを乗り越える何か別の目に見えないものの力とを同時に。
廃墟は我々に教えてくれる。
数限りない廃墟がこの世にあることを、あったことを。我々も等しく廃墟になることを。
そしてそのことは、決して哀しいことではないのだよということを。


 (※添付の写真は、私の本棚にあるものとは別のものです)


異国へゆく。

2004-08-27 | 異国憧憬
『観光』:国の光を見ること。また、国の光を示すこと。(易経)

 昨夜、知人の所属する合唱団が、ニュージーランドへ旅立った。
隔年で行っている、三週間の長きに渡るニュージーランドとオーストラリアでの演奏旅行のためである。

アテネオリンピックから戻ってくる選手団で到着ロビーは大賑わい。
はたまた、Tシャツにサンダルにサングラスのビーチスタイルの若者で出発ロビーも大賑わい。
そんな中、今回の訪豪の為に特注した揃いのTシャツを着てロビーの隅に数十人と固まっている老若男(※女、はいないのだ)は異様な存在感を示している。メロンパンにかぶりつく者、緊張でじっとしていることができずにうろうろしている者、手持ち無沙汰でウクレレを奏でだす者。そしてその周囲をなんとなく取り囲んで雑談に耽る者・者・者。

 見送りという立場は退屈だ。
思い思いに緊張している(無自覚であれ)ハレの日を迎えた彼らのそばで、干してきた洗濯物と雨模様の心配や、今夜作るご飯の心配などをしているケの日真っ盛りの自分。彼らとテンションが一致するはずもない。
揃いのTシャツを着てはしゃいでいるのも今のうち。向こうは真冬で今ごろ雪が降ってるんだもんね~・・などとかなり意地悪なことを考えてみたりもする。

 なぜ、わざわざ知人の見送りにきてまで、そんな意地悪を思うのか。
答えは簡単。「羨ましい」のだ。

 海外に仕事ではよく行っていた。しかしそれは仕事をするためだった。
 旅をするために国内を巡ることがある。しかしそれは旅をするためだった。

彼らには、向こうで彼らを待っているホストファミリーや、コンサートのスポンサーがいる。
彼らの娘息子の成長した写真を見せて貰うのを待っている人もいれば、晴れて結婚した者の奥さまの写真やお話を待っている人もいるだろう。それになにより、彼ら自身が待ち望まれている。
変わりなく彼らがその地を訪れることを。そして、音楽という形のない美しいものを通じて、自らと彼らとを結びつける海を越えた絆を再確認できるひとときを。空白の2年間を、空白でなく埋めることができるその声を、実感を、体温を。
彼らは旅をするために行くのではなく、何かを成すために行くのであり、それを望まれている。
そんな彼らに私が少しばかり嫉妬することは、醜いことなのだろうか。

そして思う。
ツーリストでもビジネスマンでもない形で異国へゆく彼らを指し示す言葉は、何なのだろう。
彼らは、何者なのだろう。
何者であることを、望まれているのだろう。

廃墟の唄

2004-07-26 | 異国憧憬
 雄々しい音を轟かせながら地中海から吹き上げる海風は日本海さながらに厳しく、短い私の髪はそれに呼応して火炎のように逆立ちなびく。白と灰色の微妙に交錯した空の色は、立ち尽くす私を囲む崩れかけたマーブルの色とまるで変わらず、うねりながら流れてゆく。
風に舞う霧雨を全身に纏いながら私はこの大地の一点に身動きも許されずに縛り付けられ、周囲の廃墟とともに凍り付く。
雨は私の身体を冷たく暖かく包み「そのまま、そのまま・・・」と催眠のように私の耳に語り掛ける。
私の周りだけ早回しになった時間軸とともに、私の心を置いてけぼりに身体のみ化石にするが如く空が勝ち誇ったように、ごうごうとただ流れてゆく。
ギリシア・ローマの栄華を知ろしめす海辺の半円形劇場は廃墟と言ってしまうにはあまりにも華麗で私はただいつもの冷ややかな目で通り過ぎることを許されなかった。芸術が人びとの心にこんなにもあでやかだった時代の情念がここにある。そしてその時代はこの空に、海に、それを操る無常なる時間軸にさらりと、跡形もなく呑み込まれてしまった。
それを惜しむのもまた陳腐な程に鮮やかに。

 湿気て不味い煙草を片手に静かにステージに登り中央のエコーポイントを探って立つ。水滴の流れ落ちる眼鏡を透かして、客席の遥か高い所にイタリア人とおぼしき数人の人間が居るのが見える。
構わず私は海風の煽りを伴奏にして、ともすれば短調に傾いてしまいがちな賛美歌を唄った。髪にも閉じた睫毛にも霧雨が落ち掛かり、私をきらきらと包んでゆくのがわかる。発せられた声は大理石のあちこちに反響して再び私を迎えんとする。
目を閉じて私の思い描く幾人かの生命ある者、そして多くの生命なき者たちの耳にも心にも決して聞こえやしない、哀しく力強い私のアルトは客席最上段の者の身体をこちらに振り向かせた。
「Brabo!」の声と予期せぬアンコールを浴び、トレンチコートの裾を軽くからげながら軽く片手を挙げて観客に挨拶する。
そして余韻を愉しむかのように踵で軽いステップを刻んでステージを降り、既に崩れ落ちた退場門から二度と訪れることはないであろう今日の舞台、古代の大劇場を後にした。

芸術に耽溺する心と生命を私は賛美する。

芸術が枯れ果てた骸を私は愛する。