僕は、朝から浮かれている。
長らく降り続いていた秋雨が嘘のように、雨に散らされた湿った落ち葉が風に片付けられて道の脇に整然と積もっている。ベランダで一服した僕はまだ乾ききらない道路を眺めてから、洗濯物を干し始める。ワイシャツ、シーツ、ハンカチ。今日の洗濯物は白ばっかりだ。その嘘臭い感じがことさら僕をご機嫌にさせる。
よっこいしょ、と椅子を運んで、浮かれすぎて落っこちないように椅子の上に立って壁にかかるダルマ時計の捩子を巻く。そうこうしているうちに湯が沸いて、僕は御機嫌な朝にだけ飲むこととしている十年もののオールドコロンビアを淹れる。黒と白ばっかりの家具に囲まれたこの部屋で唯一の彩りを放つドームの花瓶を朝の光が斜めに貫いて、白いテーブルの上にぼわっとした黄色と桃色の曲線的な光を投げかける。そんなことないと頭では判っているけれど、その色のところだけテーブルが暖かく、そして柔らかくなっているような気がして、つい掌を滑らせてみる。だけれど思った通りで、僕の掌の僅かな温度さえもテーブルに吸い取られてしまうくらいに、朝の家具は冷え切っていた。
今日は休日だけれど、多分これから僕の大事な人になるはずの人に初めて逢いにいくのだから、それなりにいい恰好をしていたい。この秋晴れに似合うような栗色のジャケットを引っ張り出して、それに見合うネクタイを探す。が、なかなか見つからない。思えば、休日に気取ったお洒落をしたことなど近年ではあまりないので、仕事着用のネクタイしか持っていないような気がする。代用として、ボルドー色をしたスカーフを首元に巻くことでなんとか形がついた。
僕はお見合いをしたことがないけれど、多分こんな気分なのだろうか。写真でしか知らない相手と逢うというだけで、こんなにも緊張する。好きな人との初めてのデートとはまた違った独特の緊張感は、他人がその場に同席することを予期した上での感覚なのか。お目当ての相手のことだけに集中することができず、おろおろしている自分を上のほうから、後ろからじっと見られているような気がするからなのだろうか。
何はともあれ、粗相をしないようにせねばならない。
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思っていた通りの人だった。
ちょっと時代遅れなボヘミアン調の洋服がまた清楚で美しく、生まれたままのような無垢な金髪はところどころ自然な感じでほつれていて、僕を捉える硝子の眼は、僕の大好きなとび色だ。その明るい部屋に入った途端、窓際にちょこんと座る人のこの眼の光の美しさに魅せられてしまった。それからの僕は、もうまっすぐにその人の眼を見ることすらできず、専らそこに同席する介添人のような役割の肉親の人々と実務的かつ他愛ない会話をするに終始してしまった。
ほんとうは、もっと傍でその美しい眼と白磁のような繊細な肌を見詰めていたかったけれど、きっと注視しすぎて家族の人々にはおかしな目で見られてしまうに決まっている。
いとま際に僕は、精一杯の勇気を出して、最大限にさりげない素振りを装いつつ、豊かな金髪を包む彼女の帽子に震える掌でそっと触れた。それがそのときの僕にできた唯一の伝達だった。顔から掌まできっと蒼白であっただろう僕の緊張と躊躇いと波打つ鼓動が、誰かに気付かれやしなかっただろうか。
それから、僕は張り付いた笑顔を残し、逃げるように家へと舞い戻った。
来週の土曜日がきたら、この部屋にもうひとつの彩りが加えられる。
白と黒の殺風景なこの部屋を一気に甘い香りで包んでしまうあの人がやってくる。
窓際の白いテーブルを、とび色の眼をしたあの人は気に入ってくれるだろうか。
長らく降り続いていた秋雨が嘘のように、雨に散らされた湿った落ち葉が風に片付けられて道の脇に整然と積もっている。ベランダで一服した僕はまだ乾ききらない道路を眺めてから、洗濯物を干し始める。ワイシャツ、シーツ、ハンカチ。今日の洗濯物は白ばっかりだ。その嘘臭い感じがことさら僕をご機嫌にさせる。
よっこいしょ、と椅子を運んで、浮かれすぎて落っこちないように椅子の上に立って壁にかかるダルマ時計の捩子を巻く。そうこうしているうちに湯が沸いて、僕は御機嫌な朝にだけ飲むこととしている十年もののオールドコロンビアを淹れる。黒と白ばっかりの家具に囲まれたこの部屋で唯一の彩りを放つドームの花瓶を朝の光が斜めに貫いて、白いテーブルの上にぼわっとした黄色と桃色の曲線的な光を投げかける。そんなことないと頭では判っているけれど、その色のところだけテーブルが暖かく、そして柔らかくなっているような気がして、つい掌を滑らせてみる。だけれど思った通りで、僕の掌の僅かな温度さえもテーブルに吸い取られてしまうくらいに、朝の家具は冷え切っていた。
今日は休日だけれど、多分これから僕の大事な人になるはずの人に初めて逢いにいくのだから、それなりにいい恰好をしていたい。この秋晴れに似合うような栗色のジャケットを引っ張り出して、それに見合うネクタイを探す。が、なかなか見つからない。思えば、休日に気取ったお洒落をしたことなど近年ではあまりないので、仕事着用のネクタイしか持っていないような気がする。代用として、ボルドー色をしたスカーフを首元に巻くことでなんとか形がついた。
僕はお見合いをしたことがないけれど、多分こんな気分なのだろうか。写真でしか知らない相手と逢うというだけで、こんなにも緊張する。好きな人との初めてのデートとはまた違った独特の緊張感は、他人がその場に同席することを予期した上での感覚なのか。お目当ての相手のことだけに集中することができず、おろおろしている自分を上のほうから、後ろからじっと見られているような気がするからなのだろうか。
何はともあれ、粗相をしないようにせねばならない。
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思っていた通りの人だった。
ちょっと時代遅れなボヘミアン調の洋服がまた清楚で美しく、生まれたままのような無垢な金髪はところどころ自然な感じでほつれていて、僕を捉える硝子の眼は、僕の大好きなとび色だ。その明るい部屋に入った途端、窓際にちょこんと座る人のこの眼の光の美しさに魅せられてしまった。それからの僕は、もうまっすぐにその人の眼を見ることすらできず、専らそこに同席する介添人のような役割の肉親の人々と実務的かつ他愛ない会話をするに終始してしまった。
ほんとうは、もっと傍でその美しい眼と白磁のような繊細な肌を見詰めていたかったけれど、きっと注視しすぎて家族の人々にはおかしな目で見られてしまうに決まっている。
いとま際に僕は、精一杯の勇気を出して、最大限にさりげない素振りを装いつつ、豊かな金髪を包む彼女の帽子に震える掌でそっと触れた。それがそのときの僕にできた唯一の伝達だった。顔から掌まできっと蒼白であっただろう僕の緊張と躊躇いと波打つ鼓動が、誰かに気付かれやしなかっただろうか。
それから、僕は張り付いた笑顔を残し、逃げるように家へと舞い戻った。
来週の土曜日がきたら、この部屋にもうひとつの彩りが加えられる。
白と黒の殺風景なこの部屋を一気に甘い香りで包んでしまうあの人がやってくる。
窓際の白いテーブルを、とび色の眼をしたあの人は気に入ってくれるだろうか。