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Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

硝子の眼 Ⅱ。

2005-10-18 | 物質偏愛
 僕は、朝から浮かれている。
長らく降り続いていた秋雨が嘘のように、雨に散らされた湿った落ち葉が風に片付けられて道の脇に整然と積もっている。ベランダで一服した僕はまだ乾ききらない道路を眺めてから、洗濯物を干し始める。ワイシャツ、シーツ、ハンカチ。今日の洗濯物は白ばっかりだ。その嘘臭い感じがことさら僕をご機嫌にさせる。

 よっこいしょ、と椅子を運んで、浮かれすぎて落っこちないように椅子の上に立って壁にかかるダルマ時計の捩子を巻く。そうこうしているうちに湯が沸いて、僕は御機嫌な朝にだけ飲むこととしている十年もののオールドコロンビアを淹れる。黒と白ばっかりの家具に囲まれたこの部屋で唯一の彩りを放つドームの花瓶を朝の光が斜めに貫いて、白いテーブルの上にぼわっとした黄色と桃色の曲線的な光を投げかける。そんなことないと頭では判っているけれど、その色のところだけテーブルが暖かく、そして柔らかくなっているような気がして、つい掌を滑らせてみる。だけれど思った通りで、僕の掌の僅かな温度さえもテーブルに吸い取られてしまうくらいに、朝の家具は冷え切っていた。

 今日は休日だけれど、多分これから僕の大事な人になるはずの人に初めて逢いにいくのだから、それなりにいい恰好をしていたい。この秋晴れに似合うような栗色のジャケットを引っ張り出して、それに見合うネクタイを探す。が、なかなか見つからない。思えば、休日に気取ったお洒落をしたことなど近年ではあまりないので、仕事着用のネクタイしか持っていないような気がする。代用として、ボルドー色をしたスカーフを首元に巻くことでなんとか形がついた。

 僕はお見合いをしたことがないけれど、多分こんな気分なのだろうか。写真でしか知らない相手と逢うというだけで、こんなにも緊張する。好きな人との初めてのデートとはまた違った独特の緊張感は、他人がその場に同席することを予期した上での感覚なのか。お目当ての相手のことだけに集中することができず、おろおろしている自分を上のほうから、後ろからじっと見られているような気がするからなのだろうか。
何はともあれ、粗相をしないようにせねばならない。

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 思っていた通りの人だった。
ちょっと時代遅れなボヘミアン調の洋服がまた清楚で美しく、生まれたままのような無垢な金髪はところどころ自然な感じでほつれていて、僕を捉える硝子の眼は、僕の大好きなとび色だ。その明るい部屋に入った途端、窓際にちょこんと座る人のこの眼の光の美しさに魅せられてしまった。それからの僕は、もうまっすぐにその人の眼を見ることすらできず、専らそこに同席する介添人のような役割の肉親の人々と実務的かつ他愛ない会話をするに終始してしまった。
ほんとうは、もっと傍でその美しい眼と白磁のような繊細な肌を見詰めていたかったけれど、きっと注視しすぎて家族の人々にはおかしな目で見られてしまうに決まっている。

いとま際に僕は、精一杯の勇気を出して、最大限にさりげない素振りを装いつつ、豊かな金髪を包む彼女の帽子に震える掌でそっと触れた。それがそのときの僕にできた唯一の伝達だった。顔から掌まできっと蒼白であっただろう僕の緊張と躊躇いと波打つ鼓動が、誰かに気付かれやしなかっただろうか。
それから、僕は張り付いた笑顔を残し、逃げるように家へと舞い戻った。


 来週の土曜日がきたら、この部屋にもうひとつの彩りが加えられる。
 白と黒の殺風景なこの部屋を一気に甘い香りで包んでしまうあの人がやってくる。
 窓際の白いテーブルを、とび色の眼をしたあの人は気に入ってくれるだろうか。



硝子の眼。

2005-10-17 | 物質偏愛
 真っ暗な部屋の中で日々を過ごしていると、時間の感覚がなくなってしまう。
今が昼なのか、夜なのか、てんで判らない。それでも、肌に触れる湿気であぁ今日は雨なのだなとか、今日は恐らく秋晴れなのだろうなとか、そのくらいのことはようやく最近判別できるようになってきた。

 あぁ、日が射してきた。
思っていた通り、今日は爽やかな秋晴れだ。黴臭い部屋の中を、一瞬のシャワーのように風が通り抜けてゆく。自分の洋服に移ってしまっているに違いない埃っぽくたまった空気までもすっかり吹き飛ばしてくれる風が肌に心地よい。
猫が挨拶にきた。今日のわたしはご機嫌だ。

今日の席は出窓の向こうが見渡せる絶好の場所。
多少ほつれた金色の髪も、丁寧に梳いて貰って秋の日を反射できるようになった。目の前に紅茶が置かれているけれど、紅茶は香りだけ愉しんでいれば満足だから、口をつけることはしない。飲み干してしまえば、もうそれきりで香りも愉しめなくなってしまうから、冷めてしまったとしてもそのままでいい。

今日は知らないお客さんが来た。
窓辺にいるわたしの近くでうろうろして、別段話し掛けてくるわけでもなく、ちらちらとこちらを観察している。眼鏡の向こうでよく見えないけれど、ちょっと細目でこちらを伺う目をわたしはどうも好きになれない。そのお客は、一時間もしないうちに帰って行ったが、去り際にわたしの帽子を軽くひと撫でしていった。男性のくせに妙にうすっぺらくて冷たい掌の感触が、わたしを更にぞっとさせた。だけれど、またいつかわたしはこの人に会うだろう。
こちらがどんなに会いたくないとしても、会うだろう。

その夜、わたしは家族と同じテーブルについていた。
家族はわたしを囲んで、難しい話をしていた。私の部屋の環境がよくないことや、私の自慢の金髪を更に綺麗にするための手入れが必要なこととか、新調して貰った今の帽子をやめて昔の帽子を探したほうがいいとか、あとはわたしには判らないカタカナの言葉や数字の話がそれに続いた。

その後、私はいつものようにまた真っ暗な部屋の中に戻された。
この一日で忘れたはずの黴の匂いが鼻をついた。そして、思い出したくもないのにあのチタンの眼鏡が頭に浮かんだ。彼はなにか嫌なものをわたしにプレゼントしにきたのだ。

このままうとうとするはずだったのに、突然ふたたび部屋の扉が開いて、猫とこの家の息子の顔が逆光の中に見えた。光のせいだろうか、華奢な息子の顔は蝋のように真っ白だった。埃にまみれた私の肌よりもずっと白く。

突然わたしの顔に冷たい滴が落ちてきて、驚いた。
いつもいつも、もう10年以上も私に笑顔を向け続けてきた彼が涙を流している。
彼の掌は、あのいけすかない眼鏡野郎のそれとは全く違って、とても柔らかくて暖かかった。彼の掌がわたしの髪を撫でる。この時間がわたしはすきだった。
だけども彼は泣いている。わたしは彼のそんな顔を見たくない。
できることなら目を閉じて、彼の暖かい掌に私の髪をずっと委ねていたい。

なのに、悔しいけれどわたしは目を閉じることも、泣くこともできない。
もしもわたしが目を閉じることができて、わたしの掌で彼の髪を撫でることができたのなら、同じ明日がずっと続いていたのだろうか。

 人は、こういう気持ちを淋しいとか悲しいとか云うんだ。




革靴を愛する人は。

2005-07-09 | 物質偏愛
 前日の記事で、調査日程の長歩きの為にスニーカーを購入したことについて触れた。スニーカーを買ったのは実は6年ぶりくらいで、二十歳を超えてから3足目である。スニーカーを好まない私が敢えて購入するときは何らかの必要に迫られた結果であり相当に珍しいことで、折角なのでその歴史を記録しておく。

二十歳を過ぎて最初に購入したのは大学3年の時、コンバースのローカットスニーカーで、色はモスグリーンだった。その時も学科の研修旅行で台湾の故宮博物館に行くということで、スニーカーを一足も持っていない身としては何を買ってよいか判らず、無難なものを選んだつもりだった。しかし靴底が思いのほかに堅いうえ、インソールも足にフィットせず、おまけに脱ぎ履きが面倒で、あまり活躍してくれなかった。

2足目は、会社に勤め始めてすぐ、総合職とはいえ下っ端の仕事である添乗に赴く為にニューバランスの布製スニーカーを買った。ミドルヒールの高さに足が慣れていて、添乗前半は普段使っていない足の筋肉が痛いくらいだったし、若干の靴擦れもしたのであの選択が足によかったのかどうかは今となっては不明だ。雨の少ない地域の添乗が多かったので布でもいいやと思っていたのは大きな誤算で、砂漠や土漠(セミデザートのこと)では靴の中に砂がたんまり溜まってしまってえらいことになった。結局、添乗も6回目以降は4年物の頑固な皮のチャッカーブーツで済ませてしまうようになった。

そして今回、写真にあるものが3足目である。
BARCLAY ACCESSOIREのスリッポン風(靴の用語辞典参照)レザースニーカー。
今までの失敗から学習したことは以下の通り。

1)足の形に合わないと、ただ平らなだけでは余計に歩き疲れる
2)布製は雨だけでなく、砂や埃も入ってくる
3)カジュアルすぎると使い道がなさすぎて結局お蔵入りになる

黒皮に尖った靴先、紐なしのロングノーズ。サイドゴアにスパイス色の赤三角。スニーカー嫌いの私を惹き付ける諸要素の集合。加えて、日本のメーカーなので日本人の足には比較的合うはずだ。これを買わなければどれを買うというのか。はい、これください。
お店では念のために防水スプレーもかけて貰った。雨が多いところへゆく、という事情を伝えたら二度掛けしてくれたようだ。
本当は裸足で履くとかなりスッキリして似合うのだが、「裸足だと絶対に足に豆ができるからやめなさい」とのご忠告を受け、昨日生まれて初めてのスニーカーソックスなるものを購入した。スニーカーを履かなければ、スニーカー用ソックスだって履く機会がなくて当然だ。しかしくるぶしまでしかない丈というのが案外気持ちいいことを知る。珍しくユニクロ大活躍だ。

 【雨が多い地域+寺社にゆく=石段が滑るかもしれない】
という式が成立したため、更に、【入堂時にいちいちブーツのベルトを外すのも面倒なのよね】が加わって、靴底を3度も張り替えた馴染みのチャッカーブーツを卒業して新靴購入に至ることができた。
今回の行程における活躍次第では、日常生活でも活用機会が増えるに相違ない。
数少ない私のスニーカー遍歴を変える一足となってくれるか、否か。

夏のノミモノ。

2005-06-28 | 物質偏愛
 先週から、梅雨を通り越したように暑くなった。
 空は相変わらずどんよりと灰白色の梅雨空だっていうのに。

というわけで、そろそろ私の定番夏用ドリンク購入の時期となった。
写真にあるそれは今朝の8時半に届きたての、ウィルキンソンのジンジャエール。
主にカクテルを作るときなどの業務用で使用されることが多く、ストレートで飲む用として酒屋の店頭に並んでいることは非常に少ない。ましてや酒屋以外の店に置いてあるところなぞ殆ど見ない。
代わりに並んでいる可能性が高いのがシュウェップスカナダドライ。前者は、海外スペックはどうか知らないが、日本用のものはやけに甘ったるいし後者は嫌味のない単なる炭酸飲料で、スプライトや7upと大差ない気がして、その名に負っていたはずの「ジンジャー」はどこへやら。

ウィルキンソンのジンジャエールにはレギュラーとドライがある。「ドライ」はドライな味というのではなく、辛さを失くしたという意味のドライであって、所謂現在市場を席巻しているジンジャーエールとまぁ似たような感じの味。好みはレギュラーのガツンとくる味。ジンジャーの存在感もいうことなし。飲み終えた後に喉がカッと熱くなるのが堪らない。空腹時であれば胃までが熱くなって「うわぁ」という感じ。ポテンシャルが高いので、3つくらい氷を入れても大丈夫、というのも夏には嬉しい。これと比べてしまったら、他のジンジャエールなんて子供のジュースだ。
 なんて、酒の飲めない私がなにを言っているのかと自分でも思う。

商標については、カナダドライが「ジンジャーエール」、ウィルキンソンが「ジンジャエール」。詳しくはこちらを参照。

加えて、ウィルキンソン・ジンジャエール愛好会などというものも発見した。大の大人をハマらせてしまうアクの強さと強烈さ。最近の車のシェイプのような「なんとなく優しくまろやか」なるものへ反発を抱く者はどこにでもいる。
上等上等。


好きな庭木をただ並べてみた

2005-06-13 | 物質偏愛
 ご無沙汰でした。
熱を出している間は、思いがけない夢を見たりして目覚めたあとにおろおろしたり頭を抱えたり、その意味を問うたりすることも多い。この度の熱では、幼い頃の私の世界の全てであった家の裏庭で久々に遊ぶ夢を見た。目覚めたあと、泣きたい程の喪失感と幸せとが訪れた。木や草や虫をあんなに接写して見る機会は大人になると殆どない。今回の庭木リストは、幼い頃にひとときでも我が家の庭にあったものから選んでいる。それぞれの木と私との間には、密やかで長い物語があるのだが、それはまた別のおはなし。
失われてしまったあの距離感。暑い夏の夕暮れに勢いよく水を撒いたときの匂いをふたたび。


黒松
 盆栽でも有名な黒松。赤松よりも無骨な幹肌と、美しく剪定された枝が美しい日本庭園の定番植栽。もしいつか自分の庭を持つことができるなら、気に入りの形をした石たちとともに、最低でも3本は黒松がなければならない。蛇足だが、池は要らない。

白木蓮
 木蓮もコブシも両方とも好みであるが、片方を選べと云われればこちらになる。桜が散ってしまってまだ若葉も左程芽吹いていない、なんとなく心淋しくなっている折に華やかな白で喜ばせてくれる。冬にその大ぶりで堅い葉がごっそりと落葉するのだが、さすがにあのボリュームには溜息が出る。春の喜びのための我慢だ。

山茶花
 ごっそりと葉が落ち、目に見える色彩が日に日に減ってゆく冬。つい目線が下に落ちてしまいそうなこの季節に、私の顎をくいっと上へ向けさせてくれる鮮やかな冬の花。赤い山茶花に降り始めの雪が薄っすら降りかかっている際のあでやかさといったらない。

百日紅(さるすべり)
 ひきかえ、こちらは夏の花。現在の我が家にあるものは二代目だ。一代目の幹が虫にやられて、その根元から若木が伸び始めていたのが最早私の背を超えて育っている。すぐに乾燥してしまう、ふわふわしたお菓子のような花弁の感触がすきだった。

いろは紅葉
 我が家には紅葉が三種類あった。そのうちのひとつがこれ。本当は、年じゅう紅い色をした紅葉のほうが好きだ。枝垂れもいい。松と同じく、紅葉も庭には欠かせないと思う。大人になった今ではつい葉ばかりを見てしまうが、昔はその花も、実も、ここを宿にするカミキリムシもすきだった。

躑躅(つつじ)
 5月の楽しみは躑躅の花を狩ることだった。丸く刈られた木を埋め尽くすように沢山咲いてくれるから、みっつやよっつ花を頂戴したって大したダメージにはならない。しゅるっと伸びたしなるおしべが、そこが別の意思を持った生き物のようにずっと思えていたのは何故なのだろう。

皐(さつき)
 躑躅と並び、低木の花を少しでも長く愉しむために我が家では皐を混ぜて植えていた。躑躅よりも弾力と光沢のある花弁の質感が好きだったが、何故か花狩りの対象にはあまりならなかった。しかし小さなひと枝を拝借して陶器の一輪挿しに活けるには、その枝葉と花のサイズや量のバランスが丁度よくいい感じで、床の飾りに拝借させて貰っていた。

雪柳
 今ではその花の形ひとつひとつをきちんと見ることがなくなってしまった。風にふぁさふぁさと揺れる白い房は、勉強部屋の窓ごしにぼぅっと庭を眺める幼い私の目をよく引いた。花と同様に可憐で小さな葉と、それよりもっと小さな花を小さな陶器の盆に水を張って浮かべたりした。

南天(なんてん)
 その葉の色と形が美しく、枝は細く繊細で、枝分かれするところに不思議な形の節があり、手にするといとも簡単にぽっきりと折れてしまい、まるで木を虐めてしまったような申し訳なさに駆られたものだった。殆ど雪が降らない地域なので、赤い実とほんのり赤い葉を使って雪うさぎを作ることができたのは、たった一度きりだった。

蘇鉄(そてつ)
 たくさんあるとどうにもがさつに見えてしまうが、不思議と日本庭園にも収まりがよい。夏は鬱陶しいくらいに夏らしいが、冬場にこも巻きされてまるで別の生き物のようになってしまった蘇鉄も結構すきだ。大名庭園で好まれたのも頷ける、異国情緒と繊細さとが紙一重で共存している風情を持つ。

好きな珈琲屋をただ並べてみた

2005-06-07 | 物質偏愛
さて、今回は毛色を変えて、ちょっと営業チックではあるが私の大好きな珈琲屋リスト。
ご存知の方もおいでになるが、私は血統書付きの下戸である。手術をした親の見舞いに行った折、天井から「禁アルコール」の札が堂々と掛かっているのを見て、あぁ私もそういえばアルコール消毒で皮膚が真っ赤になるなぁ、と思った。そんな訳でいささか色気がないが、酒の飲めない人間が珈琲という嗜好品に掛ける情念はなかなか濃いものがあるに違いない。

【東京都内】

OLD TIME(渋谷店)
 このリスト内で最も長く通いつめている店。従業員の変遷を見てきた。一枚板のカウンタ席が気に入りで、贅沢な生花の香りと、バロック音楽が小さな音量で流れているのを目と耳で同時に愉しむ。合間にはマスターと話をする。特別な設計により19時からのバータイムに合わせてボタンひとつでカップ棚が収納され、床が下がってハイカウンタになる。長く通っていると、ちょっとした操作のミスで酒瓶が派手にひっくり返って割れる場面にも遭遇する。

猿楽珈琲
 店主の気紛れで店が開いたり閉まったりする。「用事で出ています。16時頃に戻る予定です」の張り紙が。時間も曖昧なら、戻るか否かも曖昧だ。こういうときは二度と開かない場合もあるので待たないほうがよい。「濃いめの珈琲」か「ふつうの珈琲」がすきだ。かつては、押さえた笑い声を上げただけでも叱られてしまう店だったが、最近は大分ソフトになったようだ。


 場所は繁華街真っ只中だが、ここだけ異空間。13mのカウンタのいちばん奥はクランクのようになっていて、手前の席からは死角になっている。この空間をゲットできればもうご満悦である。カップ&ソーサーのコレクション日本一とは恐れ入る。地震対策はしているのだろうか。他人事ながら大変気になる。

カフェ・ド・ランブル
 ここは2番目に長く通っている店だ。オリジナルの灰皿と一体化したテーブルにオリジナルのデミタスカップ。珈琲ゼリー以外の甘味を一切置いていない気骨は流石だ。10年もののオールドコロンビアが気に入りだが、豆のタイミングがよくないと頼んでも断られる。ここでは客は神様でなく、あくまで店が主導なので、そういうスタンスが苦手な人には向かないようだ。頑固職人ここにあり。

十一房珈琲店(銀座店)
 銀座でちょっと待ち合わせ、あるいは歩きつかれたらここで一服。私が通う珈琲屋の中では比較的明るい店内とジャズが流れる軽快さが、今日は銀座で遊んだわ!というテンションを否定しない。通常はカウンタ派だがここでは異例にもテーブルを選択する。ハワイコナとハイチをよく頼む。

ミロンガ・ヌォーバ
 神保町に数々立ち並ぶ珈琲屋のひとつ。ビール屋でもあるので珈琲を飲んでいる私の向かいで連れにビールを飲ませることが可能という稀有な店でもある。最近あまり行く機会がないが、今回のリストではイノダコーヒと並ぶ程度の淡いマイルドな味。気合の抜けた感じがビールを飲んでいる相手に合わせるには丁度いいのか。

プリマベーラ
 すりガラスとカーテンで店内が見えず、営業しているのかしていないのか判りにくい外装に、生い茂る植物。入口に猫もいたりする。中に入ってしまえば小さな可愛らしい喫茶店。数種のブレンドがなかなか秀逸で、気に入りはニレブレンド。実は、冬メニューのホワイトシチューが絶品だったりもする。
 
【その他地域】


 鎌倉に来たら必ずここに立ち寄る。毎回道に迷いそうになりながらもきちんと辿り着けるから不思議だ。カウンタに座ると、カップを選ぶことができる。黙々と無口なマスターが客を放ったらかしてくれているのがいい。カップが陶器中心であるのも、たまにはいい。

イノダコーヒ
 京都のお約束。味が好みというわけではないけれど、なんとなく昭和の味がする。難点をひとつ云えば、ミルクを入れるかどうかを最初に決めなければならなくて、途中でブラックに飽きたからミルクを入れたいなー、という際にはわざわざお願いをしなければいけないところ。

六曜社珈琲店
 京都のもうひとつ。ここは何曜日の何時に行ってもスーツのサラリーマンや作業服のおじさまがたで賑わっている。混んでくると問答無用で相席となる。古めかしいまだらな赤のビニール椅子がところどころ破れているさまと、客の回転の良さがひと昔前の喫茶店のあり方を物語っている。友人とここで待ち合わせをした際、私は1階の席で友人を40分も待っていたが、同じ時間に彼女は呑気に地下席にいた。勘弁して。

友明堂
 ここの本業は老舗もいいとこ、大御所の骨董屋。何故だか知らないが骨董のガラスケースの並ぶ土間の周囲にぐるりと畳席を作って、珈琲や抹茶を出してくれる。東大寺や興福寺、奈良博に寄った際には必ず立ち寄る。「骨董」の暖簾が仰々しくて、なかなか客は入ってこない。夏の暑い盛りにどうにも我慢ができなくて逃げ込んでからのお付き合いだ。

好きな鉱物・金属をただ並べてみた

2005-06-04 | 物質偏愛
 当初、別々にいこうかと思っていた鉱物と金属なのだが、金属だと合金になったり化合物になったりもしてややこしいので、えぇい面倒だということで一緒くたにしてみた。こういうところにがさつさが出る。
つくば市に地質標本館というのがあって、無料で見学できる。昨年、足を骨折していた折にリハビリ代わりに内部を歩いたら、結構へとへとになった。鉱物標本のサンプル数が凄まじく、暗い部屋でガラスケースに取り囲まれている時間はなかなかに愉しかった。

【金属】
マグネシウム
 今はまずないけど、やっぱりフラッシュでしょう。マグネシウム爆発。マグネシウムリボンを発火させたあの一瞬の閃光は失明の恐怖さえ感じる程に鮮やかだった。くさくさしている今日この頃、手元にあってはいけない金属だ。

ナトリウム
 まず、カッターでナトリウムを切るときの感触がぞくっとする。とても肌理の細かい羊羹を切っているのに似た感覚。水面を走らせるとピンクの炎を尻尾のようにたなびかせる。短気な同級生がカッターにくっ付いたナトリウム片を振り落とそうとした為に、隣のテーブルから私の白衣にナトリウムが飛んできた。自分の腕からぼっと発火したあのビックリを忘れない。

【鉱物】
閃亜鉛鉱
 別名「べっこう亜鉛」というだけあって、誠に美味しそうではないか。硫黄化合物は大抵黄色系の色彩を帯びるが、こんなに透明度の高い結晶を見ていると、昔おばぁちゃんの家にあった甘露飴を思い出してしまう。

黄鉄鉱 
 鉄と硫黄という大層単純な組成だが、どうやら鉄化合物と銅化合物に弱いようなので、その代表としてこれとその次の2つを挙げてみた。色が魅力的な訳でなし、結晶が出易い訳でもなし、美的な観点からは程遠いが、多分その程遠さがほっとすることもあるのだろう。

黄銅鉱
 鉱物を「ミネラル」と呼んでしまうとこの鉱物の魅力は半減する。ギラギラした安っぽい金色の輝きと、手にしたときの予想を裏切るずしっとした重さがいい。金でないのに金を上回る不透明極まりない反射光。人間の感傷の入り込む余地なし。

鶏冠石
 いい名前を付けたものだねと思う。光にも当てられない繊細な鉱物は地中に居る間は安全なのだろうけれど、地中に居る限りはその鮮やかな色彩は漆黒も同然だ。
最近は鶏をアップで見た記憶がないが、若冲の鶏絵を思い出してならない。

蛍石
 フローライトという名でアクセサリーにもなっているが、その場合は黄色、緑、紫、ブルーなど多色の縞がよく出ている部分をカットして愉しむのが普通らしい。不思議なもので、カットされたアクセサリーになるとこの石には全く興味がなくなってしまう。存在感って恐るべきものだ。

瑪瑙
 縞の美しさといったらこれ以外にない。かつては、田舎のちょっと大きめな家に行ったりするとよく玄関に飾ってあったりもしたものだ。水と気泡が内部でちゃぷちゃぷしているのが見えるものもある。これも不思議なことに、縞が両方から見えるようにスライスされていると、色つきタマネギのような気がして浪漫が失せる。

孔雀石
 縞、もういっちょう。銅の化合物が持つ緑色は得意分野だ。化学室で銅の化合物を勝手に取り出しては眺めていたものだ。不透明だが艶があって、手にもしっとり馴染む。これもアクセサリーになると急にオバサン臭くなってしまうので難しい。

黒曜石
 古代人も槍先に用いていた天然のガラス。うっかり触ると簡単に指先がするっと切れてしまう。急速に冷えて固まったものには虹色の輝きが生まれる場合があり、虹色部分をうまく使ってアクセサリーにもなっている。トルコの度田舎の崖で拾ってきた石は、どっかいっちゃったかな。

杉石
 紫色の石は様々あるし、ぬめっとした絹糸光沢のあるチャロアイトのほうを好む人が多いが、杉石(スギライト)の結晶がハッキリしない無骨でかさかさした表面が妙に控えめで、京和紙のテクスチャを思い出させて気になるのだ。


好きな宝石をただ並べてみた

2005-06-04 | 物質偏愛
 今回は突然にもスケールの小さなものになった。女性陣は目を輝かせるだろうけれど男性陣には嘆息されるのがオチ、というジェムストーン(今回有機物は除外)。いずれジェム系ではない鉱物シリーズも取り上げるつもりではいるが、鉱物や岩石全般となると俄然男性陣のほうが詳しくなったりするから不思議だ。鉱物でもキラキラ光っているものが結構多いのに、女性は現金なものだ。
そういう私も実は宝石の目利きだったりする。騙されないように同伴でお店に連れてゆくにはいい人材だと我ながら思っているので、ご用命の方はいつでもどうぞ。


レッドスピネル
 ルビーの甘ったるい赤にはあまり興味がない。それよりも、スパッと指先が切れそうな赤、フェラーリの赤とも云えそうな切れ味鋭くインクルージョン(内包物)のないクリアーな煌きが、怨念のようではない綺麗な炎を思わせて好きだ。力を与えてくれそうな気がする。

タンザナイト
 強いて云うなら群青色。青ともつかず、紫ともつかず、そして深い深い透明感を伴うものが好きだ。色の薄いものなら沢山流通しているがそれらには魅力を感じない。なんとも上品で、セクシーで、アイシャドウとお揃いにでもしたくなるような色だ。

アレキサンドライト
 個人的にはブラジル産を押す。スリランカ産は全般的に色が淡く、赤は茶系で緑は抹茶系。ブラジル産の高品質なものは赤はワイン色に、緑は深い常緑樹の色にまでなる。色目は地味だが、昼間と夜の室内で別の顔を見せる石なんて、存在自体がミステリアス。

ツァボライト・ガーネット
 ガーネットの仲間には沢山あって、同じ緑でもより深い通称クロム・ガーネットと呼ばれるものもある。ツァボライトはその若草のような緑色と、照りのある石質ならではのキラキラが皐月のそよ風に揺れる下草や木の葉を思わせる爽やかさだ。

パライバトルマリン
 ネオンカラーの刺激。南国の海のエメラルドグリーンから生命を排除して、そこに火花を加えたらこんな風になるだろうか。青がかったもの、緑がかったものもあるが、丁度中間の色を私は愛する。産出量が少なくて、お気に入りの色は最早底をつきかけているらしいが。

翡翠
 ご存知カワセミの色、翡翠。硬玉と軟玉があるが、ここでは硬玉に限定する。因みに翡翠にはラベンダー色という珍しいものもあるが、「ろうかん」と呼ばれる最上級の緑のとろっとして魅力的なこと。光を半分反射し、半分は吸い込んで、繊細な藻が繁茂した清い池を彷彿とさせる。

スフェーン
 またも緑系。そういえば、幼い頃12色色鉛筆の緑色だけ半分程度にちびていたな。それだけ緑に執着があるのだろう。これは高価ではないが稀少な石。抹茶の色の内部に陽光を反射すると何故、深いオレンジ色に瞬くのか?誰もいないはずの石の中をつい覗いてしまう。

クリソベリルキャッツアイ
 結晶の向きで、ルビーやサファイアならスターが出るし、ベリルやアレキサンドライトにはキャッツが浮かぶ。最もベーシックなものを挙げてみた。本来ベリルなので色は様々で、赤系や高価とされるグリーンアップルなど様々だが、ベーシックなハチミツ色が好きだ。まぁ、ハチミツと呼べるくらいに透明度が高いものは稀少この上ない訳だが。

ダイヤモンド
 誕生石なので最後に載せてみた。淡いピンクダイヤやコニャック色をしたダイヤが好きだ。この屈折率には勝てる石はないし、美しいことに異論はないだろう。
だけども私は色石派。


好きな橋をただ並べてみた

2005-05-30 | 物質偏愛
 好きな~シリーズは予想に反してなんだか続いている。ネタをメールや電話で提供してくださる知人友人などもいる。多種多様なオタク衆が様々に「こんなのはどう?」と云ってくれるのだが、その度に自らの苦手ジャンルがこれまた結構多いものだと嘆息する羽目になる。
まぁそれはさておき、建造物繋がりで次は橋。残念ながら海外のものはどれも未踏。「渡ってみたいなよその橋」てな感じで。

【日本の橋】
日本橋
 東京を愛する者としては日本橋を外す訳にはゆかない。現在は高速道路の高架の下に埋もれるようになってしまい、その全景はよく判らない。とはいえここはまごうことなく日本の交通の拠点[ゼロ地点]であった。並ぶもののない欄干飾りの豪奢さよ。

錦帯橋
 日本三大名橋かつ日本三大奇橋・・とは誇らしいのかなんなのか。肩書きなぞなくとも、美しいものは美しい。木造ならではの重厚なのに繊細な構造は、かつて岩国の城下を結び、国の美しいシンボルとなっていたことだろう。江戸期のそれを見てみたいものだ。

猿橋
 奇橋と云われても仕方のない肘木の積みあがったスタイル。トラスを和物にするとこういうふうになるものだろうか。橋幅の細さと周囲を覆う雑木のさやけさとが相まって、自然に決して溶け込めないはずの構造物が、不思議と自然と仲良く寄り添っているように見える。だから建造物でなくて名勝指定なのか?と妙に納得。

吾妻橋
 維新以後最初の鉄橋として,明治20年鉄トラス橋として架け替えられ、大阪の天神橋・天満橋と並ぶ長大な支間を誇っていたが、震災で焼失。昭和6年再建。夜のライトに映える赤いトラスが美しい。両国本所という立地もグー。

白鬚橋
 名にし負はば・・の業平の歌にある通り、今でも昼間には隅田川を都鳥が舞っている。乱歩の小説ではこの橋の丁度真下に死体が流れてくる。夜のライトを照り返す白々とした無機質な感じが美しい橋だ。

瀬田の唐橋
 地味である。云われはあるが、近くで見ると本当に地味である。
お勧めなのは、石山寺の上のほうまで登ったところにある茶屋の外縁からはるか眼下に見下ろす瀬田の唐橋だ。このアングルを一押ししたい。

河津ループ橋
 湯河原から天城に向かう山道がぱっと開けると、どこかにワープしたいのか?という風体の二重ループ橋が現れる。山を断ち切り全景が一望できるループ橋は珍しいらしい。45mの高低差も圧倒的だし、眼下にはひなびた露天風呂を覗き見ることもできる(今はどうか知らない)。小さすぎて何がなんだか見えないけどね。

横浜ベイブリッジ
 夜に限る。ライトアップされたベイブリッジを見るのもよし。ベイブリッジ越しに赤く彩られた東京のビル群を見るのもよし。港で休息する船や横浜みなとみらいの高層ビルと観覧車を眺めるもよし。海外からしんどい思いをして帰国したその足でこの夜景を見ると、涙が出るのだ。

【海外の橋】
カレル橋
 プラハ最古の石橋。宗教戦争時代には処刑された人々の首晒し場ともなった場所だが、今では大道芸人の集う歩行者天国であり、欄干に立ち並ぶ数々の聖人像が道行く人々を見下ろしている。聖人ではないがサブキャラとしてちょんまげ日本人の像もあるので訪れた際は是非探してみて欲しい。

ポンテ・ヴェッキオ
 迷うことなく私の橋リストナンバーワン。小学生の頃にフィレンツェに憧れたことが私の美術屋人生のはじまりとなった。ヴァザーリの廊下の映像は幼い私の心を掻き乱したのだ。

好きな塔(tower)をただ並べてみた

2005-05-27 | 物質偏愛
 建築には含めなかったので建築パートⅡとして塔を単独で取り上げる。
友人には塔好きが2名いる。友人Aは高層ビル好きで、その「天にそびえる建築」の一種として塔が好きだという。友人Yは鉄塔フェチで、五重塔や高層ビルに興味がない。友人Y曰く「何もない平坦な地に立つのがいい」「無骨な形状と垂直性」。心理学的に読み解くと ごにょごにょ・・ という感じだが、どうすることもできない。
例に漏れず地域の偏っている今回のセレクトは、そんな彼女たちへのオマージュだ。

【国内・近代以前】

三重塔(東塔)(薬師寺)(奈良)
 美術史家フェノロサが「凍れる音楽」と評したことで有名な三重塔。そのエピソードが有名なのは、まさに塔というひとつの建築がリズムを感じさせるものであるから。美術史家にこんなうまいことを言われたら、文筆家の立場がないではないか。

五重塔・東寺(京都)
 何度も火災に遭っていて現存するものは17世紀の塔であるが、重厚な趣がすきだ。特に、新幹線の高架から眺める軒の低い住宅街がひしめく中からにゅっと黒々とした塔が立ち現れている風情が好きだ。東寺の建築はどれもこれも好きなのだが。

五重小塔・海竜王寺(奈良)
 国宝ミニアチュア。火災や台風、地震に遭ったり経年で風化する建築と違って、その精巧な細部まで彩色も鮮やかに残っているが故に美術的価値のみならず史料的価値が評価される。化粧屋根の蔵にちんまりと収まっている姿が微笑ましい。平城宮の鬼門に位置するこの草ボウボウの寺は、夏場の私のお昼寝スポットなのだ。

【国内・近代以降】

東京タワー
 云わずと知れた東京名所。どうやら私は塔のトラス構造がむき出しなのにそそられるようだ。最近内部の店などを改修し、土産物屋などに色濃く見られた昭和の香りが失われてしまったのが悔しい。東京タワーは故里みたいなものだ。それは遠くにありて眺めるもの。心が内に向かいがちな夜であれば尚更。

京都タワー
 京都タワーは夜がいい。ホテル部分の何故だか色とりどりのネオンの安っぽさが、海洋動物の腹を思わせるぬめっとしたタワーの腹の曲線をぼんやりと照らす。決して華やかにはなり得ず、かといってキッチュにもなれない正直な構造の美しさがそこにはある。

マリンタワー(横浜)
 魅力は2つ。トラスの繊細な美しさと、細身な胴体だから映える繊細な色のグラデーション。タワーにありがちな内部のテナントの性格も好ましい。最近、横浜の人出は桜木町や本町に移動しつつあるが、近代遺産にスポットを当てて努力している横浜市にあってはタワーの未来も明るい。

牛久大仏(牛久/茨城)
 異論があるのは判っている。しかし私の頭の中でのカテゴリーでは「超高層ビル」もしくは「タワー」なのだから仕方ない。異論がある方は一度実物を見てくれればいい。畑や藪の続く古い街道のはるか向こうにぬっと聳える阿弥陀立像。勿論、夜には飛行機がぶつからないように赤いランプで彩られる。・・だからビルだって。

【海外】

沈黙の塔(ヤズド/イラン)
 形状としては塔ではない。石と土を積み上げた小山のようなものである。ゾロアスター教の聖地でもあり、鳥葬を行うための儀式の場であった。女性用と男性用で2基ある。尚、現在イランでは法律で鳥葬は禁止されている。

エッフェル塔(パリ/フランス)
 トラス構造万歳。貴婦人かどうかは疑わしい逞しさと、その名に相応しい繊細な細工やカーブとを持ち合わせている。「無用の長物」議論が有名であるが、無用なものをこよなく愛する私にとってはその議論があった歴史さえご馳走だ。

ルクソール・オベリスク(ルクソール/エジプト)
 オベリスクは厳密な意味で塔ではない。記念物である。だがその先端を鋭く尖らせ太陽を指し示した優美なオベリスクが我々に与える印象は、柱状列石とは明らかに異なるではないか。

好きな建築をただ並べてみた

2005-05-23 | 物質偏愛
 「好きな~をただ並べてみた」シリーズは、人々の助けを借りてもう少し続く。
今回は建築である。ここでのリストアップ基準は、建築年代を問わず「サービスや立地などの付加価値のためでなく、建築そのものの魅力によって自らが再訪した建築」に限る。よって都内を中心とした近代建築ラインナップがメインとなるが、精度を均一に保つためには仕方がない、としよう。

【東京】
東京カテドラル;聖マリア大聖堂
 代々木体育館とほぼ同時期に建てられた丹下建築。東京都庁や東京ドームホテルなど、キラキラ眩しい宇宙ステーションみたいなものいいけれど、丹下作品の中で最も美しい建築はこれだと思う。ゆるやかに飛翔するようなゆったりとした吊りのカーブ、縦に裂かれた採光窓から教会内部に差し込む光。お勧めは、夜のミサに行くことだ。

赤坂プリンスホテル
 旧館の近代建築が持つちょっとした不安定さと品格、そして外堀の水面の煌きと陽光とを反射する近未来的な丹下の新館とのコラボレーション。近所に勤めていたので思い入れもひとしおな、ホテルらしいホテル。

ソフィテル東京
 本郷から弥生門を抜けて根津に向かうと、住宅街を入り乱れる電線の間からこのツリー状をした迷建築が視界を邪魔する。邪魔をされて見上げてもついニヤリとしてしまうのはどうにも憎めない菊竹センスの所以か。上野の不忍池周辺に、大規模な高層マンションができるという。あのエリアには菊竹ツリーホテルより高い建築なんて似合わない。

東京国際フォーラム;ガラスホール
 役立たず建築筆頭。空間は無駄に広いし、掃除の費用は想像したくもない。下から見上げても、上から見下ろしても、細部を切り取っても「絵になる」建築だ。特に内部からの視線の設計が素晴らしい。夜には空中廊下がオレンジの光で満たされ、まるで光の廊下を歩んでいるかのようだ。銀座から足を伸ばして、夜の空中散歩に行ってみよう。

東京オペラシティコンサートホール;タケミツメモリアル
 この一点だけは、建築の外皮ではなく内臓部分の紹介となる。一度聴きに行って即惚れてしまったホールだ。木の素材を厳選した音響設計と豪奢なパイプオルガン。ステージに向かって右側の二階、前から1/4~1/3辺りが私の指定席。

東京駅
 云わずと知れた辰野金吾の東京駅。用途やデザインなどの詳細については以前の記事をご参照願いたい。奈良ホテルと並び、帝冠様式とも呼ばれるこのタイプの建築に私はめっぽう弱い。

東京大学赤門
 吾が青春の一頁。赤門の赤にキャンパスを埋める戦後建築の古びたタイルの色、総合図書館の赤絨毯の色とふかふかした感触、さやさやとそよぐ木々の音と瞬く緑。赤門を潜って左脇にある、まだ若い八重桜は今も元気に若い緑の葉を茂らせているだろうか。

【横浜】
横浜ランドマークタワー
 ザ・高層ビル。ドックヤードガーデンの復元保存プロジェクトとともに設計され、オフィスと商業施設、ホテル、ガーデンが一体化する、奇妙にバランスのよい開放的な空間に仕上がっている。用事がなくともなんとなくわくわくしてしまう場所だ。

【京都】
TIMES; Ⅰ,Ⅱ
 高瀬川のせせらぎを取り込んだ安藤忠雄の商業施設。初めて訪れたときにはもうTIMESブームは去っていて、閑散としたビルになっていた。本来ならスタイリッシュなテナントが入ることを予定していたのだろうが、今は淋しい有様だ。それでも京都を訪れたら必ずこのテラスを訪れる。判りにくい動線と無駄な空間を。

好きな役立たず本をただ並べてみた

2005-05-21 | 物質偏愛
 勝手にシリーズ化してしまった。
 好きな本・・を挙げれば数知れず。だから、くだらなかったりただ眺めて愉しむだけだったり、ナンセンスだったり、そういう「何の役に立つのさ?」という本に光を当ててあげたいわけだ。

【写真集】
解剖百科
 AMAZONで調べたら売り切れていてびっくり。ラスペコーラコレクションの初写真集がタッシェンから廉価で登場。一般庶民にも公開された初の博物館として名高い、芸術の域に達する医療蝋人形のエロスと当時の技術と・・全てに驚かされる。
BACK
 女性の後姿のみにこだわったモノクロ写真集。FETISHな感性が満ち満ちている。断じてエロではない。現代に失われかけた正しいエロス。

【海外文学】
泥棒日記
 ジュネを始めて読むのなら、最初にこの門をくぐるのかな。訳がフランス語の余韻を残す美しいリズム。澁澤龍彦の名訳「ブレストの乱暴者」は二番目に、訳がいまひとつの「葬儀」をラストに読むとよいのかも。

眼球譚
 反人間主義と憎悪に溢れた小説。正直、疲れた。「退廃」を通り越しちゃうとこんな危険な世界に行ってしまうので、自分はよくよく注意しよう。と思いました、はい。

1万1千の鞭
 アポリネール万歳。サディズムとマゾヒズムと倒錯が絢爛と織り交ぜられた一冊。大学の2年の頃、最初に読んだ際には驚いて読み終えた後捨ててしまったくらいだ。その後、あの衝撃がどうしても忘れられず改めて買いなおした。もう手放すことはないだろう。

【妖怪】
画図百鬼夜行
 妖怪絵の基本中の基本といえばこの方、石燕!水木しげるをはじめ、現代に受け継がれている妖怪フォルムの機軸をなしているのは彼の絵と云われている。勿論、海洋堂の食玩も。眺めているだけでわくわくする一冊。
 
【ナンセンス】
ブタをけっとばした少年
 どうしようもない馬鹿げたシュールな物語。極悪非道な少年ロバート・カリガリの諸悪としっぺがえし。後味の悪いイギリス的ファンタジー満開。

【コレクション】
魅惑のフェロモンレコード
 バカレコ(下らないレコード)をジャケ買いして、みうらじゅんが勝手な妄想のもとにそれらを分類、コメントを加えている。やくみつる氏を筆頭に、収集癖を持つ人独特のエネルギーと尖ったアンテナが大好きだ。大学の頃「笑わせ本競争」で私が先輩に勝利したのはこの本のお陰だ。先輩、文化庁で元気にやっていますか。

【木下直之】
ぬっとあったものと、ぬっとあるもの -近代ニッポンの遺跡
 人の名前でひとつジャンルを作ってしまった。木下ワールドがそれくらい好きだ。
「ぬっ」という音が持つどこか妖怪的な響き。牛久大仏や大船観音など、日常の世界の一角にまるでそれを打ち砕くゴジラの如くぬっと立ち現れる近代の産物を検証する。なんにせよ、木下先生の関わる本は表題がキャッチーで堪らない。ツボが同じすぎる。

世の途中から隠されていること -近代日本の記憶
 最近読んだ本の中で最も面白かった本。木下直之ファンとしては欠かすことのできない一冊。
実は、数年前の自分が写ってる写真が勝手に使われたりしていることでも記念的一品。先生、あの頃は自転車の後ろによく乗せてくれて本当に有難うございます。


好きな映画をただ並べてみた

2005-05-20 | 物質偏愛
 借り物競争ならぬレンタタイトルリレー。
同じタイトルのTB記事の連鎖を続けるべく追加参戦。チェーンメール宜しく誰か後を引き継いで下さい。お願い(脅迫でも可)します。

但し、私は映画をあまり観ません。今の家ではビデオも録画・再生できず、DVDはPCで観るよりほかない。研究に打ち込むべく余計な娯楽を揃えなかった訳なのだが、かえって無駄にテレビを付けている時間が長くなった。お陰で妙に昨今の若手お笑いブームに詳しくなってしまった。
さておき、上記のような訳で私の映画ジャンルは非常に偏っていることを予め付記しておく。誰かの参考になるものではなかなかない。

【恋愛】
ブエノスアイレス
 同性愛がテーマでありながら、れっきとした恋愛映画。今は亡きレスリー・チャンのやんちゃぶりと、それに引きずり回されるトニー・レオンの関係は普遍的に微笑ましい。暗い部屋の中でのスローダンスシーンが美しくて堪らない。深い深い蒼色が散りばめられている。

【レジスタンス(戦争)】
砂漠のライオン
 ムッソリーニ率いるイタリア統治下におけるリビアのレジスタンスを描いた映画。アンソニー・クイン演ずるリビアの指導者オマル・モクタールが素晴らしい。しかも似ている。因みにモクタール氏は今でもリビアの父と讃えられる英雄で、紙幣にはその横顔が印刷されている。カダフィ大佐は決して自分の顔をモクタール氏よりも高額の紙幣に印刷することはない。老モクタール氏の騎馬姿が凛々しく、切ない。

【アクション】
LEON
 これは有名なので説明はしない。ナタリー・ポートマン演ずるマチルダの可愛さったら、もう。

【サスペンス】
薔薇の名前
 高校の世界史の授業の際、「アリストテレス議論」の参照のため、授業を2コマ費やして部分的に観たのが最初。その後リピートした。ストーリーは原作を知っていると若干物足りないように感じる人が多いと思うが、修道院付属のビブリオテカの美しさに魅せられた。最近、ヨーロッパ各地に現代まで残っている修道院ビブリオテカがまさに映画の通りの美しさであることを聞き及び、涎を垂らしているところだ。

【青春】
トレインスポッティング
 スコットランドのちょっと暗い社会背景を折々に主張しつつ、麻薬と女と無気力に溺れる若者の、それでも溢れ出して止まらない熱情が、選りすぐりのサントラに載せて描かれる。「1000年後には性別もなくなるだろう、大歓迎だ」

【ホラー】
鉄男
 ホラーは各国に多々あれど(あまり観れないが)日本人の湿った感覚を伴うSF概念、幽霊や残忍な凶行を含まない恐怖、モノクロの押し殺した感じ・・誰がなんと言っても鉄男。朝目覚めたら自分が醜悪な虫になっているというのも恐ろしいが、自分の肉体が徐々に、しかし確実に鉄化してゆく恐怖もなかなか。愛する女性の死体の髪を小さな白い(多分)花で静かに飾り続けるシーンが堪らない。

【音楽】
doors
 ジム・モリソンがただのネジが切れたヤツのように描かれているのがちょっとアレだが、主演のバル・キルマーがよくもあそこまでジムに似たものだ。骨格が似ると声も似る。リアルタイムでのDOORSの活動を知らないので何とも云えないが、DOORSファンの人にもある程度は受け入れられる作品であるはず。

【漫画の映画化】
ねじ式
 つげ義春原作の「ねじ式」「もっきり屋の少女」「別離」「やなぎ屋主人」がオムニバス形式で原作のコマ割りに忠実に再現されている。つげの作品は別のもので豊川悦司が主演するものもあるが、本作の浅野忠信に軍配を上げたい。「ねじ式」に清川虹子が出演しているのにも度肝を抜かれた。オープニングの妄想シーンの強烈さと、「ねじ式」での眼科の看板が立ち並ぶセットが印象深い。加えるなら「網走番外地」シリーズの監督作品という意味でも面白い。
 
【アニメ】
となりのトトロ
 こんなにも邪気や暗さのないアニメはない。人生や世界における負の側面は題材にするのが容易いが、メッセージ性はきちんとある。日本人ならではの妖怪概念をこれほど肯定的に暖かく捉えた作品はないと思っている。全ての子供に観て欲しい。


眼鏡とビザール。

2005-05-18 | 物質偏愛
 メイストームでクリーニングに出していたスーツを取りにいけません。
 お菓子も買いにいけません。やれやれ。

家に籠っていると身体の活動が制限されるため、妄想でその暇を補うらしい。今日のテーマは眼鏡。

 さて、私は天晴れなくらいの度近眼である。若干先端恐怖症なのでコンタクトなんて怖くてできない。目を開いたまま目薬を点せないくらいなのだから本人が思うより重症かもしれない。だから私の日常は常に眼鏡とともにある。
写真手前のノー芯セルロイド、実は薄っすら向こうが透けて見える黒い眼鏡は佐々木與市のT-408。この中では最も新参者だがもう一年以上のお付き合いである。眼鏡のつるに金属の芯が入っていないだけでこんなにも無骨でなくなるものなのか。黒なのにクリアであるところがちょっと隙があって素敵だ。
奥の柔らかいクリアグレーは泰八郎謹製のT-105。ノー芯の良さを押し出せるフレームの色に一目惚れしたものだ。高品質な昔ながらのセルロイドは日頃のケアをきちんとすれば、通常のポリエチレン製と比較し褪色を遅らせることができる。それでも3年目に突入して艶が失われてきたので、磨きをかけてきたばかりだ。
フレームがワイン色にゴールドパールが艶っぽい度付きサングラスはシャネル。レンズの色も極力フレームの色に近づけて貰った。80年代風グラデーションである。残念ながら日本人顔なので、眼鏡を頬で支えざるを得ない。

 男性フェティシストの世界では、スーツ、靴、時計の次くらいに眼鏡フェチがいる。それだけ眼鏡に掛ける思い入れが強く、裏を返せば男の眼鏡はそれだけの価値を伴って他者から見られているということだ。
女性である私の場合、今までに何百回「コンタクトにすればいいのに(しなさいよ)。」と云われたことか。その後に続く言葉は7割方「眼鏡なければそこそこ綺麗なんだからモテるわよ。」
あーやれやれ。
女は眼鏡を外せというのは、化粧をばっちりした顔を常時むき出しにすることだ。それはミニスカートを履いたり胸元をはだけたりという露出万歳の思考と共通する、甚だ艶も色もない短絡的な嗜好。

 また、アキバ系などの間では「眼鏡っ娘」というフェチジャンルもあるらしい。これは昔ながらの「眼鏡を取って髪を下ろしたら、あら大変。とっても可愛い娘だったのね~」という願望を引きずりつつ、眼鏡=どんくさい。華がない。ださい。でもそこが可愛い・・という屈折したコンプレックスの裏返し趣向であるにすぎない。まぁ確かに少々どんくさい娘は可愛らしいが、そのアイコンが眼鏡であって貰っては困る。個人的に非常にやりきれない。

 無理に定義すれば、私にとっての眼鏡はビザールアイコン。
ビザールの世界では、身体は拘束され絞られ、その結果得られる美しいラインと身体を飾る衣装そのものが美しいとされる。人体の皮膚が表面に現れている必要は毛頭なく、ひたすら美しい人体表現を追求するために衣装に財を投じて最高の素材を投入する。そして衣装そのものが美しく進化する。

 スーツという、明らかに働きにくい戦闘服やネクタイも同じだ。スニーカーでなく、至上の艶を見せてくれる革靴を選ぶ気持ちも同じだ。それらを纏うことによって男性は凛々しくなることを自らも知っているし、女性たちも知っている。

 化粧と衣服と一緒で、眼鏡だって外す時間がある。
それを外す悦びと、それを身に着ける緊張感を知らないで生きている人は少なからず不幸だ。

三種の神葉。

2005-05-14 | 物質偏愛
 ここのところなんだか木の芽ずわりどころではない肌寒い日が続いていて、ちょっと自転車に乗っては気管支炎の発作を起こして自転車を止めて道路端で三角座りしたかと思えば、雨が降りそうで降らないじりじりした時間帯には頭が膨張してパァンと破裂して中身がぶち撒かれるのではないかと疑いたくなる程の偏頭痛。この季節は目にとても優しくて視覚的には大好きな季節なのだけれど、イキモノとして出来損ないである私の身体がなかなか気候の変動に付いていってくれない。人間でなかったらとうの昔に淘汰されて死んでいるに決まっている性能だ。生まれてきたのが人間でよかったのだと思う。

そんな情けない日々だったので当然のことながら思考もぼうっとして、大したことが考えられない。痛いとか眠いとかスケジュールの確認したりとか、そんな程度のこと。もう一歩頑張れば廃人になれそうだ。
というわけで、今日は常に机上にある日々の友についてちょっとだけ記して退却する。

私は、常に手の届くところに飲み物がスタンバイされていないと駄目である。保温されたお湯があるだけでは駄目で、机上には必ずコップとティーサーバーあるいは珈琲カップ、ペットボトルなど既に完成された状態で何かがなければどうにも落ち着かない。夜中に目を覚ました場合などは、眼鏡もなく電気も付けずにサーバーからお茶をコップに注いで飲むことができるよう、それぞれの低位置を定めてある。

体質上、酒を飲むとこれまた救急車の騒ぎになるので最上の嗜好飲料は珈琲なのだが、これはちょっと置いただけですぐに酸化してへんてこな味に変わってしまうので、家では客人でも来ない限り殆ど珈琲を淹れることはない。因みに、淹れるときにはネルドリップであるが。

すると消去法で茶類になる訳だが、茶処で生まれた割には緑茶はあまり淹れない。もう間もなく送られてくるであろう新茶の季節には嬉しくてがぶがぶ飲むけれど、食事と一緒の緑茶ならともかく、珈琲のように緑茶のみで何時間も過ごすわけにはどうもいかない。そして新茶は翌年まで持ち越されてしまうこともしばしばだ。
そこで現在ローテーションしている茶葉が3種類ある。

1) ジャンナッツアールグレイ
2) ルイボスティー
3) 白毫銀針(はくごうぎんしん)

お茶好きな方の中では、上記セレクトを見て「うえっ」と思う方も多いはずだ。
どれもこれも香りが強いうえに存在感があり、癖があり、強烈に官能的だ。そのくせ上品だったりもする。
どれも冷めても味が大きく変質してしまう訳でないので1リットルのティーサーバーに作ったまま机上に放置し、半日~1日の間に消費する(夏場注意)。

アールグレイは夏場のアイスが格別なのだが、ジャンナッツのそれに勝る芳醇で貴族的でデカダンな香りを私はまだ知らない。それほど多く試している訳でもないが。
ルイボスは、南アフリカを訪れた際に適当な土産として余り金で買ったものでそれが初体験だったのだが、茶とは異なる渋みのない丸い香りと、その紅い液体の余りの美しさに惚れた。
白毫銀針は、北京の空港で名前に惹かれて買っただけのもので、中国語を一切知らない私はその名に「白毫」とあっただけで仏像のおでこにあるアレを思い出し、可笑しくなって購入決定。後にして思えば白毫とは単に白い毛の意味であった。その名の通り白い産毛が品の良い白茶で、清涼な初夏の香りがする。

仕事や勉強のお供に、このうえなく優雅で官能的なお茶たちは欠かせない。
例えるなら、アングロサクソンと黒人と中国人のそれぞれ極上ないい女を日替わりで秘書にしているようなものか。
上記のセレクトから類推して私の琴線に響きそうな一品があったら是非ご教示願いたい。