今年も三か月が過ぎようとしている。
家を出るときにはまだ暗闇であった空模様の移り変わりに過ぎゆく時を感じる。
公園では、今日もラジオ体操を日課としている人達がいる。
私もほぼ決まったルーティンで日常を過ごし始めるけれど、
日常生活というものは文化であり、人間とは切り離せない一部なんだなぁと思う。
ちょうど、
お正月とかお盆と言われる時節を、誰とどこでどのように過ごすのかの様に。
そう考えると、
「いのちを守る」という大義名分はどこまで本当の事なのだろうと思えてくる。
ひとの命だけを取り出して、ひととして捉え理解しましょうということに、
新聞や辞書に載せる為の屁理屈のような無味乾燥感を覚える。
いろんなリーダー達が武漢ウィルス対策を戦争だと読んでいるけれど、
経済・文化・精神の破壊活動を正当化するツールの一つなんじゃないだろうか。
ともあれ命あっての物種とも言う。
たとえ一時、魂を抜かれたり売ったりした人達ばかりが生き残ったとしても・・・。
それはそれで、その人たちが新たな人間像を創造していくのだろう。
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