な~んにもない

もう、わけわからんわ。

落ちた犬を棒でたたく

2020-06-18 08:01:53 | 日記

梅雨の中休みも終わり、今日からまた雨模様。

洗い流してしまいたいことが多すぎる、そんな思いのため息が朝から漏れる。

かっこよく活躍の道を進んでいく人たちを横目に、くじけながらもコツコツと続けていくより道はない。





「笑ってごまかせ自分の失敗、決して許すな他人の失敗」

これこそが処世術の極みかもしれない。

もちろん犯した過ちによっては、許されるものではないものもある。




有名人の関わる肉体関係についてはどうだろうか。

非常事態宣言解除後、要注意先として上位として上げられたのは、今やキャバクラよりもホストクラブ。

どっちもどっちの世の中になってきている、
などと言えば、タイミング次第で攻撃対象として手を挙げたに等しい行動となる。




そして、この手の話の厄介なところは小さな正義に酔っている自覚のない事。

「なんであんな奴の味方をするんだ」「なんでいい子ぶって一緒に叩かないんだ」的な、
いじめの構造が簡単に無自覚に出来上がってしまう。

それだけに今回の佐々木希さんのコメントに懐の深さと、視野の広さに感嘆してしまった。




けしかける側は、もう次の弾を込めているいることだろう。

私が針小棒大な陰に右往左往しているうちに、次の話へと移っているにちがいない。

「ウインウインの関係」等というけれど、バランスが崩れた飲食業・グルメ情報に関わる職業の方々の反応をもう少し注視したい。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

失なったとこに、何が生まれた?

2020-06-16 18:58:20 | 日記

マスクもつけずに公園を走り回っている子供たちがいた。

マスクをして公園の片隅に集まってゲームを楽しんでいる子供たちがいた。

どちらもいい。その姿にホッとさせられた。




マスクを外して歩く姿を通勤路で見かけるようになった。

マスクをした人が多く集まる通勤電車は、通常の込み具合に近づいている。

それぞれの事情を抱えて、それぞれの目的地へと急げるありがたさ。




震災で当たり前を失って、当たり前へ向かってもう一度進んでいった。

津波と放射能汚染の加わった被害で、また日常を奪われて、日常を取もどす為に再び歩き出した。

そして今、目に見えないウィルス感染に心がまた震えている。




正義ほどわかりやすく悪酔いし易いものはなく、報道ほど頼もしく当てにならないものはない。

ひとのこころほど強く暖かいものはなく、儚く移ろい易いものもない。

私が子供たちの姿に見たのは、過去の影であり未来への願いであったのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

看護師さんと兵隊さん

2020-06-14 10:44:03 | 日記

梅雨らしく、降っては止むを繰り返している。

自然の営みに感じる、リズムや波長や間に、
意味や解析を付けたくなることがある。

それが心に寄り添うこともあれば、
恨めしく思えるときがあるからなのだろう。




コロナ騒動も谷間へ入ってくると、
この国においては空騒ぎが過ぎたんじゃないのという話も出て来た

学者・政治家・報道と等の煽った方々は、まだ危機は終わっていないと、返す刀を磨いておられる。

店や会社や職場、大会や楽しみや居場所を失った人達には、
この高波が引くにつれてあらわになってくる姿はどのように映っているだろう。



大東亜戦争時、神国日本の不敗神話を錦の御旗に、
お国の為と様々な強制に進んで荷担し巻き込んだ
会社・組織・個人が多くいたと聞く。

戦後の焼け野原時はともかく、
高度成長期を迎えるにまで回復してから、
私も戦犯者だったと告白できた人はどれだけいたのだろう。

それを思うと、
世代変われど人々は繰り返しの歴史を
また刻むのだろう、と言う気持ちにもなる。




梅雨の晴れ間が顔をだし始めた。

まだ低いままの空に、レールの軋む音が渡っていく。

なかなか乾かない靴を前に、
苛立ちを脇へおいて「頑張ってくれているなぁ」
なんて思えない私が、やっぱり今日もくじけて苦笑いしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そうか、どうでもいいのかぁ

2020-06-11 19:23:28 | 日記

いよいよ梅雨入りした。

町のありかたも変わったように、雨の降り方もしとしとと降るケースは少なくなった。

だけど、私の中の季節感と気象庁の季節感が近かったようで、なんとなくうれしい。





ようやくコロナ騒動も一旦落ち着いたようで、

ワイドショーも不倫やスキャンダルを、時間を大きく割いて取り扱うようになってきた。

自粛によるストレスに向けられた格好のガス抜き材料に、バッシングの嵐は吹き荒れている。






地球環境を守るために、レジ袋をやめてエコバッグを使いましょうなんてのも、また始まった。

ただで配っていたものを販売するいい口実だなぁと思った。

確かに情報社会は消費サイクルが早いんだから、イメージがあればそれでいいのかぁ。





エコバッグ一つ作るのに費やすエネルギーで、レジ袋は一体何枚できるのかなんてイメージに収まりにくい。

エコバッグも広く使用されるようになり、安価になって店でただで配るようになる事なんてありえないだろうし、

たとえなったとしてもポイ捨てされるようになるかどうかはわからなければ、同じサイクルを経るとも限らない。




また、ポイ捨てはマナーの問題だと思うけれど、

掃除を生業としている人の仕事を提供してやっていると考える人もいるようで、

そもそもこんなもんがあるからいけないんだ、という発想の方がわかりやすく支持を集めているということか。





そんな事を友人にどう思うか聞いてみると

そんなことを深く考えている人なんてあまりいないと思う、と笑うじゃないか。

「えぇ?」と、いいながら心の中でしとしと降っていた雨は滑稽に思えて来た。

そして、それもそうかと便乗して私も笑うことにした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネガティブ100%

2020-06-09 10:27:17 | 日記


気温の上昇とともに、体力が吸い取られていくような、蒸発していくような季節が近づきつつある。

手の届かない遠い空は、抜けるような青空の日もあれば、春霞を思わせる白い空の日もある。

すぐそこまで注がれている日差しは、うららかな春を脱ぎ捨てて夏の日差しへと変わっている。




集・近・閉の三密を避けるべくして始められた自粛の影響で、受注も静かに吸い取られていっているような、蒸発していくような感じがしている。

持続化給付金の対象には届きそうで届かない。特別融資はまだ実行されないまま時は過ぎていく。

早く楽になりたい気持ちが、粘り抜こうとしている私をあざ笑う。




同じお日様の下、隣の畑ばかりが今日も青い。

日陰者の僻み・妬み・嫉みは、逞しく実に良く育つ。

そして複利で溜まっていき、手数料のようにその度に加算され、その重みに耐えかねてきて攻撃的になっていく。




そんな迷いが、もしも晴れるなら・・・。

何度も拭えど、どんなに払えど付きまとってくる不安から解放されるなら・・・。

この焦りに満ちたぬかるんだ深みから抜け出せるのなら・・・。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする