チラホラと家が建て替わっている
梅の木は減ったけれど、バラが今年も葉を茂らせ始めているし
椿はすべての花を落とし、何事もなかった様子で佇んでいる
4月を迎えて通勤路上の顔ぶれにも変化が起こっている
良さそうな人というのは、何処か既製的に見えるケースが多い
きっと、距離感程よく脳へ残り易い、微かな印象作りと関係があるのだろう
時計を見ていると時間というのは、過去から未来へと進んでいるように思える
けれども今という一点の感触としては、未来から過去へ向かってやって来る感じの方が近い
どちらも本当の事だけれど、社会システムとなると統一した方が効率的なので、一方は無視される
ちょくちょく、本当の自分は何を望んでいるのか、あるいはどちらを選びたいと認識しているんだろう、なんて思う事がある
これも時間の流れをどう捉えるかと関わっている気がしている
生まれた時、既に何者かと言う存在で流れ出しているのか、
五感で捉えられない未来の自分自身が、確率変動を繰り返し絶えず脱皮しながら近づいて来ているのか