残像モノクローム

遠い記憶の彼方にある故郷。
そして今、こころに渦巻く断片の想いを。
と、思い始めたのですが・・・。

いろいろなことが頭の中をよぎる一日。

2010年03月23日 14時16分05秒 | Weblog
3/20土曜
ラムサール条約登録地の宮島沼へマガンを見ようと出かけた。

まだちょっと時期が早いだろうとは思っていたので
半分は下見をかね、他の渡り鳥が見れたらラッキーとクルマを走らせた。





残念なことに湖面は雪解けが進んでおらず
マガンはおろかコハクチョウにもあえなかった。
望遠鏡で数日前に飛来したというアオサギが6羽見ることができただけ。

来月再訪する予定だけれど
5-6万羽の群れが飛び交う風景を想像するだけでワクワクする。

次はケンミンショーで取り上げられた焼きそばを探しに美唄の街中へ。





意外と中心部へは距離があり、雪景色の中を走り
Aコープ「コア美唄」に到着。

目的の「角屋のやきそば」を6個購入。

フライパンであたためてお召し上がり下さい、とパッケージに書いてありますが
TVと同じように、袋からそのままガブリといただきます。
味はよくあるコンビニの焼きそばパンに挟んである焼きそばとまったく同じ感じ。

そして、昼食に予定していた「元祖 塩そば」のお店を探し
住所の辺りを探したのですが見つけることができず
ピパの湯にあるレストランへ。



山の上にあるので美唄の街がよく見えます。



ここで、なつかしい塊炭飴も入手です。

腹ごしらえもすませ
雨が降り始め靄がかかりはじめてきましたが
三菱美唄炭鉱、現在炭鉱メモリアル公園をめざします。



我路を過ぎた美唄川。
鉄道の跡であろう鉄橋も。



露炭を掘っているようです。
三美炭鉱と言うらしいですがあっているのかどうか。



我がふるさと夕張も露炭が採掘できたら財政も多少潤うのでしょうが
二次的問題もありなかなか簡単にはいかないのでしょう。




この立て抗は1923年(大正12年)完成。
高さ20メートル、櫓の内径5.45メートル、深さ175メートル、築壁レンガ巻。
道内で2番目に古いリベット打ちの中型立て抗で、
九州地方の炭鉱に多く見られた形式だそうです。





この朱色に塗られた立て坑、この雨のなか哀愁が漂います。



我路のバス停終点。
この朽ち果てた建物は映画館の映写室らしい。



こちらは旧三井美唄炭鉱第二坑選炭場。

途中、雪の重みに耐えかねてつぶれかけた建物が何軒かありました。
そして美唄方面からこの我路の町へ向かい
長ネギなど荷物をつんではしる自転車のじいちゃんの姿を二人みかけました。

ほんとに買い物ができる商店もない我路。
でも、まだここで、このヤマのあった場所で暮らしている。
きっとこの町がこのヤマが好きだからなのだろう。




思うことはたくさんあるなぁと
岩見沢の北村を周り帰路へついた。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿