月の岩戸

世界はキラキラおもちゃ箱・別館
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ばらの”み” 12

2013-10-25 04:28:54 | 月夜の考古学

「うん、図書室に本返しに行ってたの」
 クモの巣みたいにつきまとう史佳の気配を、うっとおしく感じながらも、環は笑い返した。おかあさんとケンカして、勢いがついているせいだろうか、今日はなんだか、ウソんこ笑いが、うまくできる。
「あの、サンタクロースなんとかってやつ? まだ返してなかったの?」
「うん。忘れてたの。図書係の人に、ちゃんと期限内に返してくださいって言われちゃった。でもあれ、もともとおかあさんが借りて来いって言ったやつなんだよ」
 環が自分の席に座ると、史佳はさっと環の机の前に立った。まるで、環のすべてを囲いこんで、たとえ呼吸の一かけらでも外に出してやるまいとでもしてるみたいだ。環はかまわず話を続けた。
「弟がさ、サンタは絶対いるんだってゆずらないもんだから、うちのおかあさん、いろいろつじつま合わそうとして、苦労してるのよ」
 環は調子に乗って、例のサンタクロースにわざわざ会いに行ったことまで、史佳にしゃべった。すると驚いたことに、史佳は「ああ、あれね!」と、いかにも事情通のように何度もうなずいた。
「前からここらへんじゃ有名なんだよ。……あの人ね、昔、学校の先生だったんだ」
「へえ?」
 環は興味を持って、史佳の方に体を傾けた。環が自分から史佳の話に興味をもつのは珍しいことなので、史佳も喜んで、額をくっつけるように環に顔を近づけてきた。
「……学校の先生だったって、ほんと?」
「うん、昔からサンタの格好がすごく似合ったんで、幼稚園のクリスマスパーティなんかで、よくサンタ役やらされてたんだって。年とって先生を引退してからも、クリスマスになるとサンタ役で引っ張り出されるもんで、しまいにそれを職業にしちゃったらしいよ」
「職業? そんな職業ってあるの?」
「要するにサンタの出前よ。あちこちのクリスマスパーティとか商店街とかに、サンタのかっこうして出向くのよ。もっとも、半分以上はボランティアらしいんだけどね。真に迫ってるから、評判いいらしいよ。ここらへんの小さい子はほとんど、あの人が本物のサンタだって信じてるくらいだもん」
「へーえ」
 環は、納得顔でうなずきながら、窓の外に目をうつした。子どもたちでにぎわう運動場を見下ろしながら、プチ・ノーレで会ったサンタが、手もみをしつつ客にぺこぺこしている姿を想像して、環はフッと鼻で笑った。
(なんだ。そういうことか)
 環はほお杖をついて、どうしようもないわねとでも言いたげに首を振った。と、史佳が、不意に環の後ろ側に視線をずらして、声をひそめた。
「やだ、あの子、またこっち見てる」
「え?」
 環が振りむくと、窓際の一番後ろの席に座った子が、机の上に立てた本に、顔を半分隠すようにして、じっと環の方をうかがっていた。湯河さんだった。環がちょっとムッとしてにらみつけると、湯河さんは驚いたように一瞬目をゆらゆらとさせて、さっと顔を本のかげに隠した。
「ねえ、最近あの子、しょっちゅう砂田さんのこと見てるような気がしない? 何かあったの?」
「さあ……、あの本のことかな?」
 環は史佳の息が顔にかかるのを気にしながら、前に図書室で湯河さんが環と同じ本を借りようとしていたことを話した。
「ふうん。でもいやね。あの子と仲良くしてるんじゃないかって、ワキに思われたりしたら大変だよ。やめてほしいよね」
「うん、そうだね……」
 環は軽く受け答えた。いつもなら、こんなふうに話を持ちかけられると、考え過ぎて何も言えないことが多いのに、不思議と今日は、すいすいうまく言うことができる。なんだか、ちょっと風邪をひきかけて、熱が出始めた時のような気分だ。頭がふわふわしていて、ぼんやりとしてて、気持ちがいい。どこかに大事な忘れ物をしてるような気も、ちょっとするのだけれど、環は考えるのが面倒で、ふわふわのいい気もちの方をとった。
 今日の自分は、何事も、そつなくスムーズにできているような気がする。和希のことにもそんなに敏感になったりせず、自然に、目立たないように、クラスの中を泳いでいるように思う。
 環は目のすみで、和希たちのグループがかたまっている教室の一画をちらりと見やった。小西アキが和希の耳に口をあてて、湯河さんの方を指さしたりしながら、何かひそひそつぶやいている。でも、環はいつもみたいに気分が悪くなったりはしなかった。
(……そうか。『そつなく』ってのは、こんなふうにやればいいのか。何事も、深く考えずに、軽うく、過ごしていけばいいんだ)
 一瞬、すごいことを発見したような気分になって、環は胸をぐいとそらした。こんな簡単なこと、どうして今まで気づかなかったんだろう?
 環は、なんだかうれしくなって、鼻歌でも歌いたい気分になったけど、そこまですると和希の目を引いてしまいそうなので、やめた。

「おねえちゃん、ちょっと待って」
 その日の帰り、環があんまり速く歩くので、要は怖くなって何度となく環の手を引っ張った。
「あ、ごめん、速かった?」
 環が歩調をゆるめたので、要はほっとして、抱え持っていた杖の先を地面に立てた。
「おねえちゃん、どうしたの? 今日はなんだかいつもと違うみたい」
「そうかな。そんなことないよ」
 環はそっけなく答えた。要がけげんな顔をしたが、環は気にせずそのまま歩いた。やがて、問題のクロの道を無事に通り過ぎると、少し安心したのか、要が言った。
「あのねえ、おねえちゃん。要ね、担任の渋谷先生に、鳥のこときいてみたんだよ」
「鳥?」
「今朝、庭にきた鳥のこと。灰色で、ほっぺのところに茶色い模様があるって、おかあさんの言ったとおり先生に説明したの。そしたら先生が、それはヒヨドリだって」
「へえ、ヒヨドリ?」
「うん、ヒヨドリは、ひーよひーよって鳴くから、ヒヨドリっていうんだよ」
「ふうん」
 環はなんとなく、電線にとまって寂しい鳴き声をあげる鳥の影を思い出した。そういえば、今朝そんな夢を見たような気がする。環は、一瞬、胸のふちっこを、ちかっとねじられるような不安を感じた。罪悪感に似たものが、胸におしよせてきて、苦しくなった。環は不快なものをふりはらうように、息を大きくはいて、首を振った。すると環の心は、まるでねじがはじけとぶみたいに、すぐに違う方向へ飛んだ。といって、何かを考えているというわけではなく、綿にでもすっぽりつつみこまれるように、頭の中が真っ白になるだけなのだが。
 また環の歩調が速くなった。それだけでなく、何度か要の手を離そうとさえした。要は不安になり、環の手をぎゅっとにぎると、後ろに体を倒しこんでブレーキのように環を引っ張り戻した。
「あいたた。どうしたのよ、要」
 環は思わず腕を振りもどしながら、後ろの要の方を見た。と、その時背後から、「おい!」と呼びかける声がした。環がびっくりして振り向くと、自転車に乗った広田くんが、笑ってこっちを見ている。
「もっとゆっくり歩けよ。要ちゃん、こわがってるぞ」
「あ……、うん」
 環は顔に血が上るのを感じて、おどおどと視線をゆらしてうつむいた。もっとも、すばやく周囲を見回して、ワキたちグループの気配がないかを確かめることは、忘れなかった。住宅街の静かな道には、環たちのほかに人影はない。環はほっとした。学校から、ずいぶん離れたから、もう大丈夫みたいだ。
 広田くんは自転車から下りると、環の方は見ずに、要の方に近寄って声をかけた。
「要ちゃん、サンタに会ったんだって? どうだった?」
 すると要の顔がぱっと明るくなった。
「うん! すごかったよ。やさしくて、大きくて、とってもきれいな声なの!」
「へーえ」
 環は、広田くんの自転車に、大きなスポーツバッグがくくりつけられているのに気づいて、言った。
「今日、野球の練習なの?」
「ああ、もうじき練習試合があるんだ」
 広田くんは環の方にちょっと目を向けて、言った。
 環は、今自分がしたことが、一瞬信じられなかった。こんなにさりげなく、広田くんに話しかけることが、自分にできるなんて……! 今日は、ほんとに調子がいい。何だってできそうな気がする。
 環はウキウキして、もう一度何か気のきいたことを言おうと考えた。でも広田くんは、環の方は気にせず、要とばかり話している。
「おにいちゃん、野球するの?」
「うん、アサギリタイフーンっていうチームなんだ。強いんだぜ。大会で優勝したこともあるんだ」
「タイフーン? それってどういう意味?」
「英語で台風のことだよ。この名前、おもしろいか?」
「おもしろい!」
「じゃあ、要ちゃんのテープに、今度吹きこんでやろうか?」
「うん! じゃあ要もね、おにいちゃんにテープきかせてあげる。サンタさんの声が入ってるんだよ!」
 環は、要がうれしそうに広田くんと話をしているのを見て、少しいらいらしてきた。どうにかして広田くんの注意を自分の方にひきたい。環は頭の中であれこれと話のきっかけを探した。そうだ。広田くんに、自分が大人っぽくてちょっと気のきく女の子だってことを、もっとアピールしよう。そう思った次の瞬間、環の口から、思いもしなかった言葉が出てきた。
「要ったら、あれはほんとのサンタさんじゃないよ」
 環は、特に意識している訳でもないのに、いつも和希がしている、こくびを曲げて斜めから見下ろすような姿勢で、要を見た。それは傍から見ると、ひどく人をバカにしているように見えた。
「え?」
 広田くんの声がする方に顔を受けていた要が、ふと宙に視線を上げた。首が傾いて、耳が環の方に向いた。環は、まるで紙くずを投げるように、無造作にその耳に声を放りこんだ。
「尾崎さんが言ってたもん。あれは、元学校の先生で、サンタの格好をしてるだけの、ただの普通のおじいさんだって」
「だ、だって、だって……」
要が泣きそうな顔になった。環は頭のすみで少し、しまったと思ったが、もう口の方がとまらなかった。
「サンタなんて、いつまでも信じてるから、要は幼稚だって言われるのよ。もっとゲンジツを見なきゃ……」
 瞬間、違う、こんなことを言いたいんじゃない、と思ったが、もう遅かった。環は、苦しげに言葉を区切ると、今言った言葉を吸いとろうとするかのように、大きく息を吸い込んだ。
 凍りついたような静けさが、まわりを囲んだ。環は、おそるおそる、広田くんの方を見た。広田くんは、針のような視線で、環をにらみつけていた。環は、息をつめたまま、さっと目をそらした。
 突然、要が、それまでにぎりしめていた環の手を放した。宙を向いた要の視線が、ゆっくり環を振り向いた。あめ玉のようなうるみ気味の瞳に、環の顔が映りこんだ。環は、今になって、頭の中がじわじわとさえてくるのを、感じた。まるで、朝からずっと夢を見ていて、今ようやく、目を覚ましたかのように。
「……おまえって、バカじゃないのか!」
 広田くんが、最初に沈黙を破った。環は、びくりと肩を動かした。広田くんは環からさっと目をそらすと要の方にかがんで、声を低めて言った。
「要ちゃん、こんなやつの言うことなんか気にするなよ。おれはちゃんと知ってるよ。あのサンタは本物だって」
 要は、うつむいて、あごをこくりとひいた。広田くんは安心したように、背筋を伸ばしかけたけど、すぐに要の顔がくしゃくしゃになって、涙がぽろぽろ流れはじめた。要がなかなか泣きやまないので、広田くんはおろおろしながら、言った。
「……じゃ、要ちゃん、今日はおれが送ってってやろうか?」
 要は、ふと黙りこんだ。そしてしゃくりあげながら、しばし考えているように、持っていた杖をさすった。広田くんは心配そうに要の顔をのぞき込んだ。けれど、やがて要は、ゆっくりとかぶりを振って、小さな声で言った。
「……ううん、おねえちゃんと、帰る……」
「そうか? 大丈夫か?」
「うん……」
 広田くんは、まだ不安がありそうに、環の方をちらりと見た。そして何かを言いそうになったけれど、また口をつぐんだ。環が、うつむいたままくちびるをかみしめて、声も出さずに泣いていたからだ。涙は次々とほおを伝って、足元のアスファルトにぽたぽた落ちていた。広田くんは、気まずそうに顔をそむけた。
「じゃ、おれ……、練習あるから……要ちゃん、本当に気にするなよ」
 それだけ言うと、広田くんは自転車に飛び乗って、逃げるように去っていった。
 人気のない通りに、要と環は、二人だけになった。環も、要も、道の真ん中にクイのように立ち尽くしたまま、動かなかった。
 やがて環は、何も言わずに、涙をふくと、遠慮がちに、そっと手を要の方に伸ばした。でも、要は環の手の気配を感じると、さっと手をひっこめた。環は胸がくっとしめ付けられたような気がして、空っぽの自分の手を、にぎりしめた。
 その時。
 切り裂くように、どこからか、甲高い鳥の声が、聞こえた。
 目をあげると、遠い電線の上で、小さな鳥の影がとまっているのが見えた。環は、今朝夢に見た光景が、突然、くっきりとした映像になって蘇るのを見た。
 これはまだ、あの夢の続きだろうか?
 遠い鳥の影が、今にも石のように自分の方に落ちてくるような気がして、環はくらくらと、めまいがした。

 (つづく)



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