月の岩戸

世界はキラキラおもちゃ箱・別館
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ばらの”み” 23

2013-12-24 04:42:01 | 月夜の考古学

12 冬の終わり

 その日の朝、環は着替えを終えると、さっと窓のカーテンを開けた。
 澄んだ明るい青空が、広がっている。環は外気に触れたくなり、窓を開いた。新しい朝のぴんとはった空気が、体の中にじわじわと満ちてくる。環は手でほおをぱちんとたたくと、思い切り伸びをした。
「よおし……!」
 年も明けて、冬休みが終わり、今日からまた学校が始まる。
 ふり向くと、机の上に、明るい窓の影がくっきりと伸びているのが見えた。日の光は、机の上に開いたスケッチ帳の一角を、白々と照らし、そしてその隣では、真新しいドイツ製の色鉛筆のケースが、ほこらしげに光を反射している。
 環はスケッチ帳をとりあげて、まだ描きかけの絵をしげしげと見た。パイプをくわえたサンタクロースが、ソファーに座って笑いながらくつろいでいる。まだ半分も色を塗っていないけど、ソファーには、あのばらの実の模様を、細かく描きこむつもりだった。
 この絵は、今おかあさんが作っている手作り絵本の表紙として、使われる予定になっている。題名は「サンタ・ノート」。砂田ファミリー探偵団による、サンタクロース・レポートだ。光がもってきた小さなきっかけや、香名子のハマナスの夢の話、環が見た不思議な夢の話、要の見つけた音の秘密など探偵団員が集めてきた情報を、おかあさんは今一生懸命文章にまとめている。絵を描くのは、環の役目。きっと、すてきな手作りの絵本が何冊かできあがるはずだ。そうしてできた本の一冊は、四月の初めだという、あのサンタの誕生日の贈り物になるのだ。サンタの誕生日は、探偵団長であるおかあさんが入念に聞き込み調査(?)をして、つきとめた。
(おかあさんて、いきあたりばったりだと思ってたけど、けっこうやるもんだね)
 環は、絵本を受け取った時の、うれしそうなサンタの顔を想像すると、なんだか自分までうれしくなってくるようで、一人でに笑いがこみあげてきた。
「タマキぃ! ごはんよ!」
 階下からおかあさんの声が聞こえた。環はスケッチ帳を閉じると、「はあい」と答えて、部屋を出た。
 台所のテーブルにつき、トーストをかじって一息つくと、それまでなんとなく聞きそびれていたことを、環はおかあさんに聞いてみたくなった。要も光も、みんなそれぞれテーブルの所定の位置に座って、ゆでたまごやサラダをぱくついている。
「ねえ、おかあさん……」
「なあに?」
 おかあさんは、みんなのマグにホットミルクを注ぎながら、背中で答えた。
「……ううん。なんでもない」
 環はトーストを口につっこみながら、もぐもぐと言葉をにごした。おかあさんはそんな環を振り返ると、少しほほえんで、またマグの方に向き直った。
 テーブルにひじをついて、日の光で明るい居間の方をなんとはなしに見ながら、環は、去年のクリスマスの朝のことを、思い出していた。
 その朝、何だかとても幸せな気持ちで目覚めて、何げなくまくら元を見ると、赤いリボンのついた小さな包みが、おいてあった。夢と現実がごっちゃになって、環は急いで包み紙をやぶった。そして、その中から現れたものを見たとき、環は一瞬、息がとまった。
「……うそ、あの色鉛筆だ!」
 デパートの画材売り場で、飽きもせずにながめていたものが、今、自分の手の中にある!
 あわてて跳び起きて、台所に降りると、要も光もまだ起きていなくて、パジャマのままのおかあさんが、テーブルの上を片付けていた。汚れた灰皿と、台所にただよう、かすかなたばこの匂い。環の頭に昨夜のおぼろげな記憶がよみがえった。夢じゃなかったんだ。やっぱり、おとうさんは帰ってきてたんだ。
 でも、おとうさんたちには、どうして環がずっと欲しいと思っていたものが、わかったんだろう? 環は、今まで一度も、あれが欲しいなんて言ったことはなかったのに。
 環は、おかあさんが入れてくれたミルクのマグに手を伸ばしながら、ふと思いついて、おかあさんの顔を見あげた。
(おかあさんて、もしかしたら、ほんとに魔法が使えるのかな?)
 そんな環の思いを知ってか知らずか、おかあさんは環の視線をやさしくとらえて、にっこりとほほ笑みで答えた。環は、知らず、ほおを染めて、目をそらした。
(……まさかね)
 あわてて飲んだミルクが舌を焼いて、環は、あちっ、と声をあげた。するとおかあさんがいつもの調子で「ほらほら、ゆっくり飲みなさい。赤ちゃんみたいにこぼさないでね」と言った。環は、うるさいな、とは思ったけれど、表向きはしおらしくして、はあい、と答えた。
「さてと、要、そろそろ行こうか」
 朝食が終わって、身支度を整えると、環はカバンを背負いながら要に言った。いつもは手提げにして使うカバンだけど、今日からはリュックにして使う事にしたのだ。
「うん! カナコちゃん、待ってるね!」
 要が大きな声で答えた。
 去年、仕事がみんな片付いておとうさんが家に帰って来たのは、暮れもおしつまった二十九日のことだった。他にもいろいろあって、結局できなかったクリスマスパーティーのかわりに、おかあさんはお正月パーティーを開いた。そのパーティーに、絵本をずっと持っていてくれたお礼だと言って、おかあさんが香名子を招いてから、香名子と環たち姉妹は急速に親しくなり、冬休み明けからいっしょに登校することを約束したのだった。
 香名子は、クロの道の入り口に立って、待っていた。環たちの姿を見かけると、はずかしそうに笑って、小さく手をふった。環が小声で、「香名子ちゃん、手をふってるよ」と要にささやいた。すると要は大きく手をふって言った。
「カナコちゃあん! おはよう!」
「おはよう、要ちゃん」
 香名子は、環たちと肩を並べながら、おずおずと言った。
「ねえ、ほんとに、わたしと登校してもいいの?」
「もう、今さら何言ってるのよ」
 環が少し怒ったように言うと、香名子はしゅんと肩をすぼめた。
「だって、わたしといっしょにいるところを見られたら……」
「平気だよ、そんなの」
 環はフン然と言った。
「わたし、もう決めたの。正面から立ち向かってやるって。これからは、もう二度と、自分の心がいやだっていうことは、しないって」
「……」
 環はきっぱりと言ったけど、香名子は少し不安そうにもじもじしながら、環の横顔をうかがった。環はちょっとこわい顔をして、前をぎっとにらんだ。環だって、和希たちの仕返しがこわくないと言えば、うそになる。でも。
「大丈夫だよ。見てて」
 環は、自分も元気づけるように、にっこりと笑って香名子を振り返った。と、ちょうどその時、わきからクロが激しくほえたててきた。
「このバカ犬!」
 環と要が、ほとんど同時に叫んだ。次に、空気をたたくような笑い声が起こった。要が、環とつないだ手を振り上げながら、笑っていた。それを見て香名子は突然胸がすうっと明るくなったような気がした。
 クロは思わぬ反撃に怖じ気づいたのか、奥にひっこんだままもう何も言わなかった。三人は微笑みをかわし、手をつないで、ゆっくりと道を歩きだした。

 要を送り、自分の教室の前に来ると、環の心臓は高鳴った。後ろで縮こまっている香名子の気配が、背中に熱い。けれど環は、もう二度とは逃げたくないと思っていた。あんなふうに、誰かを見捨てて自分だけ逃げて行くなんて、そんな自分になるのはもういや。今度こそは、絶対に、香名子を守るんだ。
 環は口をかみ、思い切るように、扉をガラリと開けた。
「あ、砂田さんが来た!」
 史佳の声が聞こえたかと思うと、いきなり二、三人の女生徒ががやがやとやって来て、環たちを取り囲んだ。思わず足が退きかけたが、環はぐっとこらえた。何を言われるのかと、皆をにらみかえしていたら、女生徒たちはうれしそうに笑って、環の手をにぎってきた。
「きいたよ、砂田さん、ワキをやっつけたんだって!?」
「え……?」
 環は一瞬、わけがわからず、香名子と顔を見合わせた。史佳がさも自慢そうに、環の肩に手をやりながら言った。
「そうよ、すごかったんだから! 何よ、このカエル女!」
「気持ちよかったあ! 私も胸がすうっとしちゃった!」
 環はあっけにとられて、しばしあんぐりと口をあけた。女生徒たちは、招きいれるように環の手を引っ張って、彼女を席に座らせた。環は戸惑いを隠せず、周囲を囲む女生徒たちの顔の列をけげんな顔で見渡した。女生徒たちは、そんな環の方はあまり気にせず、口々に好きなことを言った。
「そうだよね。考えてみれば、あんなやつのキゲンとる必要なんて、ないよね」
「あーあ、プレゼントなんて、あげて損しちゃった」
「……ほら見てよ、ワキのやつ、しょぼくれてる」
 皆にうながされて、環もふり向くと、高倉和希は、一人ぽつんと自分の席に座って、うつむいていた。いつも大勢の取り巻きに囲まれていたのに、この有り様はどうしたことだろう? 環は周りを見回してみたが、教室のみんなは、意識的に和希を無視しているようで、だれも声をかけようとしない。
「いい気味だよね。ちょっと調子に乗りすぎたのよ」
 和希を見て、にくにくしげに言う尾崎史佳に、環はなかばアッケにとられながら、たずねた。
「いったいどうしたの? なんだか、前とゼンゼン違うみたいだけど……」
 史佳は声をひそめることもせず、聞こえよがしに言った。
「……あれからさ、取り巻き連中がみいんなシラケちゃって、和希から離れていっちゃったのよ。みんな、よく考えてみれば砂田さんの言う通りだってわかったんじゃない? かっわいそうに、タニシコンビなんかほら、どっちにもつけなくて、あんなところで二人かたまって、びくびくしてるわよ」
 史佳の指さす方向を見ると、和希の金魚のフンだったタニシコンビが、教室の隅で周囲をおどおどと見回しながら、何かをこそこそ言い合っていた。
「考えてみれば、ワキもかわいそうよね。結局、単にまわりに遊ばれてただけなんじゃない?」
「そうね、のせられていい気になってただけなのよ。それでみんな、おもしろくなくなったら、ポイだもんね」
「まあ、お遊びが終わってよかったじゃない」
「これも砂田さんのおかげね」
 史佳たちは教室中に響き渡るような声で、笑った。環は今一つピンと来ない様子で、もう一度和希の方を見た。和希は机に額をつけるようにうつむいて、みじめなくらい小さくなっていた。あれが、本当に、あのいばりくさっていた、和希なのだろうか?
 史佳たちが離れていくと、環はカバンを片付けて、窓ぎわの香名子のところに行った。香名子も、何が何だかわからないという様子で、首をかしげながら、環をむかえた。
「なんか、拍子抜けしちゃったよ、わたし」
 環が言うと、香名子は小さく息をついて、言った。
「またひとりぼっちの子が、できちゃったね」
「それ、和希のこと?」
「うん」
「自業自得って気もするけど」
「でも……、つらいんだよ、ひとりぼっちって」
 香名子は、瞳をきっとあげて、環を見た。
「そうだね……」
 環は、ちょっとつらそうに目を伏せて、また和希の方を見た。和希は、一人机に座って、通信簿なんかを一心に読むふりをしながら、懸命に屈辱に耐えているように見えた。
 環は目をそらした。かわいそうだとは思うけど、今はどうしても、嫌悪感の方を強く感じてしまう。正直に言って環は、あの和希のことを今すぐに許す気には、とてもなれない。でも、一人だけをのけ者にして、自分たちはつるんで安楽の中に逃げる、史佳たちのようなやり方にも、環はなじめないと思った。
 環は香名子の方を見た。香名子も、多分同じ気持ちなんだろう。くちびるをかみしめて、少し複雑な顔で、瞳をゆらしている。
 環は、ふと、サンタさんの顔を、思い出した。……大事なときに、大事なことを、思い出す力。あの時サンタさんがくれたもの。それはまだ、環の中にあるだろうか? 環は考えた。そして、胸の奥から、一つの不思議な響きが、はね返ってくるのを、感じた。それは、まるで何かの呪文のように、繰り返しこう言っていた。

 ばらの、み。ばぁらぁのぉみ……

「ねえ、とにかく、どうすればいいか、二人で考えない?」
 突然、環は言った。香名子は、驚いたように目をはっと上げて、真っすぐに環の目を見つめた。環も、香名子の目を見た。やがて、香名子は、力強くうなずくと、言った。
「うん。考えよう。二人でなら、きっといい考えが浮かぶわ」
 どちらともなく、二人は笑いあった。すると、急に、周囲の日の光が、輝きを増した。目を窓の外にやると、薄い雲にかくれていた太陽が、青空に顔を出したところだった。

 終業式と同じように、退屈な始業式が終わると、環たちは待ってましたとばかりに解き放たれた。香名子と話しながら階段を下りて行くと、前を歩いていた広田くんが、ふとふり向いて、環に言った。
「よう! 今日も要ちゃんと帰るのか?」
「うん!」
 環はにっこりと笑い返して、元気よく答えた。
「早く行かなきゃ! 要ちゃん、待ってるね!」
 香名子も笑って言った。
 階段を下り、大急ぎで靴をはきかえながら、環の胸の中では、あの呪文が、まだ、リズムを打っていた。

 ばらの、み。ばぁ、らぁ、のぉ、み!

 一つ一つの、音の中に、やさしいものが、かくれていて、それはほんの小さな、羽のように、くすぐったく震えながら、ともしびのように、たしかに、たしかに、燃えているのだ。
 環はもうそのことを知っている。
 環は出口の向こうの空を見た。光が、まぶしい。黄色い点字ブロックをけって、環は光の中に飛び出した。鈴が勢いよく、風の中でおどった。
「あ、おねえちゃん!」
 日だまりの中で、光る要の笑顔が、声といっしょにふり向いた。

(おわり)



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