シルバーバーチを拠り所にして

スピリチュアリズムを学んでいます。

奉仕について

2015-02-12 16:01:33 | ボランティア
善のための努力が徒労に終わることは決してありません。人のためになろうとする試みが無駄に終わることはありません。善行に嫌気がさすようなことがあってはなりません。成果が表われないことに失望してはなりません。人のために役立とうとする志向は自動的にこちらの世界からの援助を呼び寄せます。決して一人であがいているのではありません。
『シルバーバーチの霊訓1』

愛とは摂理のことです。神の御心です。なぜなら、神そのものがすなわち愛だからです。したがって神の御心に適(かな)った生き方をしていれば、それは愛を表現していることになります。私のいう“愛”とは慈悲の心、奉仕の精神、犠牲的精神、要するに自分より恵まれない者のために自分の能力の範囲内で精いっぱい援助しようとする心を言います。自分のことをかえりみず、助けを必要とする人のためにできるかぎりのことをしてあげようとする心、それが愛なのです
『シルバーバーチの霊訓8』



アニータさんの本「喜びから人生を生きる!」には奉仕についてこのように記述されています。

「奉仕は心からの気持ちで行われる時、それは自分への愛の最も崇高な形となります。そのような場合、奉仕しながら、喜びや楽しさを感じるでしょう。それは、自分自身だけでなく、相手の気持ちも明るくし、相手の自尊心を高める助けにもなります。けれど、責任感や義務感から奉仕を行えば、深刻でつらい感じがし、エネルギーが吸い取られるかもしれません。<略>
私たちが心から何かを行う時、それはもはや行為ではなく、私たちという存在そのものになります。それについて考える必要も、そのために何かをする必要もありません。その時私たちは、地球で体現するという奉仕の道具になれるのです。これは`奉仕の存在あること`と`奉仕を行うこと`の違いです。」P262~P263


うーん。アニータさん
奉仕については、すでに悟った人の言葉というか、レベルが違う高次元の視点だなあ 
と、思います。

「奉仕は自分への愛の最も崇高な形である」というのは、
自分が神の一部であるということが分かった時、理解できるものです。
自分を好きになるということは、自分も大霊の一部だと悟ることで、
そうなると自ずと奉仕の心が湧き出てきます。

一般人がアニータさんの言葉をそのまま受け取って
自分が嫌いで、神との繋がりも知らず、
奉仕に責任感や義務感を感じて、奉仕しないのであれば・・・・・
いつまでたっても 奉仕によって自分の霊性を高めることなどできないと思うのですが。

私は自分が嫌いでも、善行に励むことで 神との距離を一歩ずつ近づけ、自分のことを大切に思うようになりました。
自分が嫌いだから、義務だから、といってやらないのは勿体無いです。

昔、占いの師匠に「一番嫌いな人に奉仕し、仲良くすること」と無茶ぶりな指示をされたことがあります。
四苦八苦しながら頑張ることで自分の霊性が向上しました。

空き缶などのゴミ拾いだって、汚いけど、気合で拾い続けることで今では平気です。

介護の仕事だって、拒否反応起こしそうな汚部屋を毎週通い続けることで
汚さ臭いにも慣れ、住人とも仲良くなります。

善行は実際、中々成果が現れないです。

偶然起こるようにな、簡単な善行は心が温まり充実感が味わえますが、
人のために恒久的な努力することは、嫌気との戦いです。

最初は辛いけど、そのうち慣れがきて、その分霊格が上がり、
益々霊界の援助を引き寄せ、自分が自分らしく、生きること前より楽になります。

やってみたら分かることっていっぱいあります。

とにかく、ウダウダ言わずに善行に励むべし!そう思う次第です。

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