CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

淡路市の舟木遺跡で25年前に出土の青銅器は弥生時代の中国鏡と判明

2016年07月27日 17時01分55秒 | 神戸市以外の兵庫県
2016年7月27日、朝のNHKテレビで表題の報道があった。他に産経新聞
神戸新聞でも同様の報道がありましたので概要を紹介します。

淡路市教育委員会の淡路市国生み研究プロジェクトに関する記者発表は
2016-7-25の10時30分よりあった。さらに7月26日には淡路市の舟木遺跡で
25年前に出土の青銅器は弥生時代の中国鏡と判明したとの記者会見があった。


上の写真は平成3年(1991)に出土の青銅器(淡路市教育委員会提供)

奈良県立橿原考古学研究所が分析した結果、弥生後期の青銅器が中国鏡
(後漢鏡)の破片と判明した。(上の写真)


上の写真は舟木遺跡の遠景。舟木遺跡は標高約150メートルの丘陵部にあり、
弥生時代後期の1世紀中ごろから2世紀末ごろに存在したとされる。
面積は約40ha(南北約800m、東西500m)で、淡路島の同地域の
集落では最大規模。1990年代の調査では、竪穴住居跡や特殊な大型土器、
製塩土器などが出土している。
淡路市教育委員会は昨年から「国生み研究プロジェクト」として舟木遺跡の
重点調査を開始、これまでの出土物を整理する中で中国鏡の破片と判明した。




上の写真は出土の青銅器を組み合わせたもので青銅鏡の中央に位置するひもを
通す突起「鈕(ちゅう)」で穴が開いている。破片は長辺2.4cm、短辺1.7cm
高さ0.9cm。本体は直径10~15cmの小型の中国鏡と分析同定した。




上の写真は分析を担当した奈良県立橿原考古学研究所の森岡秀人共同研究員で 
「淡路市の舟木遺跡は新技術や文化が中国から九州に渡り近畿に伝わる玄関口
だった可能性がある」
と従来の位置づけを見直す必要があると語られた。

また「2世紀前半に製作された中国鏡と想定されるが、一緒に出土した土器の
年代をみると、生産されてから短い期間で淡路島に入ってきたと考えられる。
中国文物が九州以東に流入した時期や広がっていく過程を知る上でも貴重な発見」

とも述べられました。

淡路島では南あわじ市の「松帆銅鐸」(弥生時代前期末―中期前半)や、
淡路市の鉄器生産遺跡「五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡」(弥生時代後期)
などの注目度の高い遺物が出土しており今後の研究の進展によりより詳しい
事実が判明することを期待したい。


中国鏡の破片を組み合わせた「鈕(ちゅう)」は淡路市北淡歴史民俗資料館で
開催中の「海人(あま)の島 淡路の歴史」展(9月25日まで)で展示。


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ジェームス邸 on 2013-5-28

2016年07月27日 11時40分44秒 | 神戸情報
月刊 神戸っ子 2014年9月号(下の写真)を観ていてジェームス邸について
書く気分になったので2013年5月28日に撮った写真をベースに紹介します。



過去に紹介した小生のBlog記事は次のとおり
 (株)ノバレーゼの婚礼施設兼レストラン「ジェームス邸」の以前の呼び名を
  旧ジェームス邸 望淡閣としています。
 旧ジェームス邸 望淡閣

  旧ジェームス邸 望淡閣 on 2012-9-24

旧ジェームス邸 望淡閣の基本情報
住所:住所:神戸市垂水区塩屋町6丁目28-1
住宅の建築時期:昭和9年(1934)1月16日上棟 昭和32年頃改築
設計者:竹中工務店の早良俊夫氏   
所有者: 1934~1956 
      アーネスト・ウイリアムス・ジェームス氏(Ernest William James)
       戦時中に一時接収される。
      1952年にジェームス氏は死去 その後、遺族が所有
     1957~1969
      三洋電機 創業者の井植 歳男 氏が購入し自宅として使用
     1970~2005
      三洋電機迎賓館
     2006~
      塩屋土地開発(株)が管理
     
     2012年12月 
     (株)ノバレーゼが婚礼施設兼レストラン「ジェームス邸」として
      オープンの予定(所有者は三洋電機(パナソニック)

神戸市指定文化財:平成23年度に指定文化財に答申され2012年3月に指定
国土地理院の2万5000分の1の地図によるジェームス邸 望淡閣の場所を示す
中央の経緯度 北緯34度37分58.8秒  東経135度4分32.4秒
+印が旧ジェームス邸 望淡閣の位置


この家を建てた貿易商のアーネスト・ウイリアム・ジェームスは当時日本に
住む外国人の中で長者番付1位と言われていたとのこと。

関連サイト:https://www.proud-web.jp/kansai/house/shioyacho/james/




上の2枚の写真は芝生の庭側から観たジェームス邸






上の3枚の写真は玄関側からみたジェームス邸


上の写真は駐車場から撮ったジェームス邸の遠景。


上の写真は車庫兼運転手用住宅。一階がガレージ、二階が運転手の居住スペース。


上の写真は守衛の詰め所か?


上の写真は茶室?


上の写真は新たに建設された結婚式場関連の建物



上の写真は旧ジェームス邸 望淡閣の母屋を南側の庭園から観たもの。
(出典:塩屋百年百景 Page53)


上の写真は旧ジェームス邸 望淡閣の母屋で玄関正面側(北側)。
(出典:塩屋百年百景 Page53)



上の写真は三洋電機の迎賓館として使用されていた頃の望淡閣。
出典:井植記念館のパネル展示されていたもの


婚礼の待ち間として使用されている母屋の居間です。
出典:HOTERES 2012.7.6号 Page9 笹間聖子氏の取材文の写真


上の写真は同じく改修前の母屋の居間。
(出典:塩屋百年百景 Page54)



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夢レンズ内の明石海峡大橋 on 2015-10-22 

2016年07月27日 09時57分11秒 | 神戸情報
2015年10月22日に舞子公園にあるモニュメント 夢レンズ内に映る
明石海峡大橋の写真を撮りましたので紹介したいと思います。


上の写真が夢レンズ内の明石海峡大橋です。

明石海峡大橋のロープを支える支持塔んぼ高さは282.8mあります。
他の建造物との比較図(下の写真)



上の写真は2010年9月4日に撮影した夢レンズの遠景です。

明石海峡大橋開通(平成10年(1998)4月5日)から5周年を機に、架橋を
提唱した原口忠次郎元神戸市長を顕彰するため、夢レンズは平成15年(2003)
5月に原口忠次郎顕彰の会により建立されました。
明石海峡大橋建設の提唱者である原口忠次郎元神戸市長の言葉も記載されています。
「人生せべからく 夢なくしてはかないません」

モニュメントの作者は彫刻家の牛尾 啓三氏でこのモニュメントについて
下記のようにコメントされています。

「三種の異なった石肌によるメビウスの輪は人、自然、科学を、
 そして明石海峡大橋が結んだ本州と淡路、四国を表しています。
 この三つの相が調和し、円空から未来への発展を展望しています。」


夢レンズというネーミングもまたすばらしい響きがあります。
夢レンズを透した明石海峡大橋の眺めは違った風情があります。
是非ここを訪問された方は観てください。


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