「榊八幡宮」 (さかきはちまんぐう) は関が原の戦いの後
由宇に移封された吉川氏の氏神としてきた駿河八幡宮を
合祀してほぼ現在の形になった。
江戸時代、岩国藩28社の筆頭の社格である。
楼門が有名であるが、2002年2月4日未明全焼しました。
楼門は木造桧皮葺二階建てで、江戸時代の元禄11年(1698)
に錦帯橋を建造した名工児玉九郎衛門が建築をしたと
伝えられている。
創建の年代ははっきりしていないが記録に残っているもので
建永年間(1207-)観寿坊覚善法印が由宇社坊職になり
両部神道をひろめたとあるのが一番古い。
写真は拝殿(2006-4-9撮影)
由宇に移封された吉川氏の氏神としてきた駿河八幡宮を
合祀してほぼ現在の形になった。
江戸時代、岩国藩28社の筆頭の社格である。
楼門が有名であるが、2002年2月4日未明全焼しました。
楼門は木造桧皮葺二階建てで、江戸時代の元禄11年(1698)
に錦帯橋を建造した名工児玉九郎衛門が建築をしたと
伝えられている。
創建の年代ははっきりしていないが記録に残っているもので
建永年間(1207-)観寿坊覚善法印が由宇社坊職になり
両部神道をひろめたとあるのが一番古い。
写真は拝殿(2006-4-9撮影)