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チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

久しぶりの観劇 ミュージカル「グレイ・ガーデンズ」

2009年12月05日 22時10分51秒 | コンサート
日比谷のシアタークリエで「グレイ・ガーデンズ」を観てきた。

演出:宮本亜門、大竹しのぶ、草笛光子中心のミュージカル。2幕仕立てで間に25分の休憩がある。

 演劇門外漢の僕がなぜチケットを買ってしまったのかは自分でもなぞ。草笛光子も大竹しのぶも好きな俳優だからかもしれない。しかも落ちぶれて高齢になっての親娘のやり取りが面白そうだったし、草笛さんが高齢を押してミュージカルにチャレンジしたことを賞賛したかったから・・・。

 雨の日比谷、帝国ホテルに車を突っ込んで、チケットを見せてレストランで食事すれば駐車場代が無料になるという特典に誘われて1Fのレストランでちょっとコーヒーでもと思ったが、ついつい二人でクラブハウスサンドやらアップルパイやら頼んだら、やっぱり一枚を拠出するはめに。駐車代はらって、近くのタリーズでお茶すればよかったかも。

 さて、久しぶりの観劇の印象
1)第一幕は、ケネディー家に嫁ぐ当日に破談となるシーン。地位も富も名誉も美貌も持ち合わせているタカビの一家を演じているのだけど、なんだかアメリカ人の強気の感覚を日本人が演じることに「違和感」があってイマイチ乗れなかった。

2)ところが二幕に入り、まさに度肝を抜かれたのは、大竹しのぶの姿。セレブだった彼女が、30年を経て零落した姿は、まるでオバサン丸出し。贅肉のついた体を水着で包み(よくスポーツセンターでオバサンたちがプールを歩いている格好そのもの)、しかもよせばいいのに黒い網タイツの上にミニスカートを上下逆さまに履いて、頭はマフラーみたいなスカーフをかぶって・・まるでロシア人形(中から何個も出てくるこけし)のお化けみたいな格好で出てきたときだった。実はブロードウェイの原作でもこの格好だったらしいのだけど、あまりすざましいおばさん姿にのけぞってしまった。

3)しかしそのオバサンが可愛いくなってゆく。これは大竹しのぶさんそのものの可愛いさなのだど思うのだけど、歌っても、母子で言い合いをしていても、泣き言を言っていても彼女の可愛さが包み込んでゆくため、いつの間にかそのトンデモナイお化け姿に魅了されてゆくのだった。この気持ちは会場を埋め尽くした600名の観衆全員の思いだったろう。

4)だからカーテンコールに大竹さんが登場したとき(なんとカーテンコールもそのみっともない、噴飯もののオバサン姿なのだけど)拍手は鳴り止まなかった。その姿にプロの女優の凄さ、大竹さんの才能の素晴らしさを感じたし、素直に心から拍手を送った。

5)草笛さんがカーテンコールに登場した時は、大竹さんと全く違う感情が湧き出てきて、思わず涙がでそうになった。大スターの貫禄というのか、杖をついた老婆の役ながら、素晴らしい存在感を感じさせてくれた。大竹さんなしにはこのミュージカルの成功は無かったけど、草笛さんの演じた女の生き様がバックに無ければ大竹さんもあそこまでやれなかったと思う。

6)その他の印象
 ①休憩時間の女性トイレの混雑振りは過去最高だったかも。劇場の左右を2~3列の女性が列を成して埋め尽くしていた。さすが日比谷なのか、オバサンは誰一人男子トイレに進出してこなかったな~。女はなんであんなに時間がかかるんだろう
 ②日比谷地区は喫煙者絶滅状態。ホテルで、シアターで「どこかでタバコ吸えますか」と聞いて歩いたけど「バーなら・・」という答え。ホテルのバーだと一杯千円を越えるよな~タバコ一本1500円くらいの見当になるよなーと諦めた。(実はコーヒーショップが地上にあったのだが)
 ③ついでに、大変面白い舞台設定だったと思う。他は知らないんだけど、二階の部屋、一階の部屋、邸宅の外・・これらのシーンを、カーテンを下げたり、壁の一部を動かしたりするだけで、全く違った世界に連れてってくれる。こういうのも演出家が考えるのだろうか・・

 かくして、久しぶりの東京観劇ツアーは終了。結果は大満足、出演者、演出家の皆さんに感謝。

秋のファミリーコンサート、いい感じで終了できた

2009年10月05日 01時37分36秒 | コンサート
 前日の大雨が嘘のような好天のもと、秋のファミリーコンサートが楽しく終わった。今年の”ファミコン”のメインは「スターウォーズ組曲」。あのダースベーダーのテーマやらヨーダのテーマなど5曲編成。それからホルストの「火星」エルガー「威風堂々」チャイコ「眠りの森の・・」などなどのほか、アンコールには「天地人」のテーマまで登場するまさに「てんこ盛り」の状態。金管楽器にとっては地獄の苦しみだったと思う。

 でも僕はファミコンが好きだ。曲目がポピュラーでお客さんの受けが全然違うし、演奏していても馴染みの曲目は乗りが違う。指揮者もアドリブで曲や楽団の解説をしたり、子供向けにトトロのテーマを使って楽器紹介したり、赤ん坊の泣き声が混じりこんできたり、まさに「秋祭り」という興奮もある。

 比べちゃいけないのかもしれなけど、定期演奏会といえば、いかにもクラシックコンサートでございとばかりに、堅苦しい雰囲気になってしまう。曲の解説やナレーションもなく、指揮者も黙ったまま。普通の人が聞きに来るんだから、ちょっとくらい愛想良くしてもいいと思ったりするんだけどな・・

 それから今年のファミコンが特別なものになったのは、息子が嫁さんになるお嬢さんをつれてきたこと。それだけで気持ちは高ぶるし、爺(ジジイ)が汗だくでオケに食らいついている様を見てもらえるのも、なんだか面映くて普段のコンサートよりもっと汗びっしょりになってしまった。

 ところで肝心の演奏の方だけど、今回も合格点を自分にあげるわけにはゆかないなー。8割出来て100点とすると、やっぱり85%できるようになっていても、本番では70点しか取れていないと思う。なぜなのかだけど、最近全体との調和、ハーモニーやらタイミングやらが気になってきた。自分ひとりで練習している時は「90%クリアー」などと思っていても、いざ全体合奏してみると、ちょっとしたタイミングのずれが致命傷になる。

 こんなことはソロ楽器の管族にとっては当たり前なのだろうが、人数が多い弦族に紛れ込んでいた自分でははっきり気づいていなかったのだと思う。それが少しずつ技術が進んで、周りを気にし、アンサンブルに気を使えるようになってくると、いい加減をしていると自分自身がそれに気づいてしまい、容認できなくなってきたのだと思う。

 ま、これも一つの進歩だと思って、更なる前進に向けて技を磨いてゆこうと思う。そして、正味で80点を取れるように。

シベリウス第一番、いい結果で終わる

2009年05月25日 00時29分55秒 | コンサート
 定期演奏会が何とか終了。時間が無いという条件の中でよい結果だった。
というのは、参加されているプロ(だった)大先輩が「シベリウスは今日が一番の出来だった」と講評されたから、きっとそうなのだろうと思う。自分でも舞台の上から感じたのは、これまでになく気合の入った演奏が出来ていたと感じた。練習不足が続いていたので、ゲネプロ、リハ、本番という凝縮した演奏機会の中で「経験値」が積みあがったのではないかと思う。

 自分にとってはまだ2回に過ぎない定期演奏会だけど、楽団を創設以来20周年という節目を迎え、オケ全体のレベルが上がっているのだという。退団するベテラン、トレーナーやOBの方々の言葉の端々から、実力が伴ってきていることを聞き、自分が所属するオーケストラの評価がそれなりであると聞くことは嬉しいものだ。

 今回の定期演奏会では、打ち上げ委員という役割をいただき、ペアとなった女性と一緒にシナリオを作っていたが、数十名での打ち上げだと、結構気を使ってしまい演奏以上に大変だった気がする。
 つまり、大人(と言うか年配者)の感覚で見た時に、誰をどのような順番でスピーチに登場願ったらいいのか・・などマナー、エチケットの類の不得意分野なのだ。
 例えば団長と指揮者はどちらに先にお話いただくか。コンマスとトレーナーでは・・演奏会実行委員と主要な出演者ではどちらが先か。主要な演奏者と言っても、ソロを取った人が優先か、それとも重要な場面での出番が多かったひとなのか。 あるいはプロの音楽家だけど、おしゃべりは苦手な方(こういう人多いかも)から、どうやったら話を引き出せるかなどなど、手締めの挨拶まできが抜けない。

 まー、考え過ぎればいくらでもシガラミに付きまとわれるともいえるし、何も気にしなければ「どうせ気のいい趣味の世界、どうでもいいじゃない」というタグイの話なんだけどね。結果、正直なところ本番演奏以上に、打ち上げに使った「神経エネルギー」は格段に大きかったかもしれない.


 さて本日打ち上げなどで様々に語られた内容で一番印象に残ったことは、複数のプロの演奏家から「シベリウスなんてできるのかな」「いったいどうなることやら」という不安を、本心では感じていたということだ。さすがにその言葉が出たときは一同大笑いとなったが、それがかえって自分たちがギリギリの努力をしたことを誇らしくも感じた瞬間だった。

 それから近隣のオーケストラの主席の方々で構成されているチェロのエキストラの皆さんが、演奏終了したあと「はー、きつかったー」「シベ1はシベ2よりかなり難しいですよ」などと口々に言われていたこと。確かにトラさんにしてはたまにつっかえていたり、コンバスやら管楽器に惑わされてか、入り口で惑ったり(プロの先生もリハ段階でミスってた!)。
 シベリウスはたまたま選曲過程で決まってしまったことらしいが、指揮者の先生ですら「本当にやれるのか、今回は団始まって以来どの曲よりも難しいぞ」とはじめからおっしゃっていたっけ。

つまりシベリウスって超難しいんだということが終わってからようやくわかった。みんな決して弱音ははかないんだ!
 いずれにせよ、大変ロマンチックで美しいシベリウス交響曲第一番は、好評のうちに終演することができてよかったと思う。
 
 今日は自分のことに触れるのは止めとこ。だって80%越えの演奏目標なのに、今回は6掛け程度の演奏率だったから。
 これからは練習あるのみ。初心者はきっと費やした時間に比例して力は付くと思う。

ベルディー「レクイエム」本番終了

2009年02月22日 22時58分36秒 | コンサート
半年間に渡って練習を繰り返してきた大曲レクイエムが無事終了した。

終わっての感じ方がいつものコンサートとちょっと違う。何だろうと思っていたら、そうだお正月みたいだ、と思い至った。一年間仕事に追われ、最後は倒れこむように年末年始のお休みに入り、年が明けてほっこりしている・・あのお正月気分なのだ。 
 別にクリスチャンでもないけどクリスマスにはなぜかクリスマスキャロルなど聞いて敬虔な気持ちになって、すぐ初詣して、なんとも不思議な国民なんだけど、これらの行事がないと年が越せないというのは愉快でもある。ベルディーの「レクイエム」との格闘はそんな体験が凝縮していたような気がする。

 さて演奏会そのものだけど、今日ははるばる東京方面から数名の同僚が聞きに来てくれた(しかもチケットを購入してくれた)。そのことは嬉しく楽しいはずなんだけど、舞台裏からステージに出る前から手に汗をかいていた。舞台から見ると同僚たちは前のほうに席を取って笑いかけたりしてくれる。いつの間にか気合が入りすぎていたのか「DIES IRAE(怒りの日)」のフォルテシモのキザミのところで弓を取り落としそうになってしまった。この2年一度もこんなことなかったのだから、やっぱ緊張していいとこ見せようとしていたのに違いない。ひょっとしたら皆に気付かれたかもしれない。

 そんな小さなハプニングがあったものの、演奏会そのものは順調に進み、1時間40分のレクイエムは大成功だったと思う。
 自分はといえば、いつものとおり、本番というのは普段の8掛けの実力発揮がいいところなのだろう。今回は弾けないところははっきり自覚し、自分なりに姿勢・態度を決めての参加を志していたにもかかわらず、軽い飛び出し、音外し、見失い(今どこ?状態)が散発してしまった。でも一方で、自分の実力と「等身大」の演奏を積み重ねる境地にだんだん近づいてきているのは前進だと思おう。

 そんなこんなの中で幾つか発見を書いておこう

1)優れた演奏者の音は客席から識別できるのだ・・・これは家内が明言していることなのだが、チェロ席に座っていたプロの先生の音は(トップではない)圧倒的に客席に届いていたらしい。そして「第二バイオリンの女の子の音がきれいだった」。これだけで僕にはその女性が誰なのか分かったのだ。つまり家内のような音楽素人の人にも、美しい音色を出す演奏家ははっきり識別されているといいうことだ。格好だけではだめ、本当に美しい、遠くに届く音色を出せなければ通用しないんだ!

2)女性演奏者の見る目は怖いのだ?!・・・ゲネプロでの出来事。プロの声楽家と合わせ練習をしたのだが、指揮者から声が♭になりがちとの指摘を受け、何度かその場で演奏を繰り返した場面のこと。それを楽器を休めて見ている女性団員たちの表情の変化が凄い。特に管楽器の団員はちょっとでも声が揺れたり♭あるいは♯に偏ると顔をくしゃくしゃにしてまるで「抗議している」みたいになっている。同じ呼吸を使う楽器だからなのか、感性が鋭いからなのか、単に同姓に厳しいだけなのか・・・でもその厳しさこそが管楽器奏者を独り立ちさせているのだよな。でもオッカネーっ!

3)伴奏音楽も面白い・・・このことはチェロの師匠から「結構面白いものだよ」と聞かされていたのだけど、レクイエムは始めなかなか好きになれなかったなー。それがソリストや合唱と合同演奏してみると、彼ら彼女らの呼吸と一体となって演奏しないと音楽にならないことが感じられ、練習を続けるうちに、指揮者・声楽家・オケ全体に目配りをして「合わせてゆく」楽しさが感じられるようになった。 思えば、いろいろなソナタでピアノ伴奏をしている人がいるけど、きっと合わせること、ともに音楽することの楽しさを感じているのだと思う。それがオーケストラ全体で出来たら凄いのだが・・・

4)プロの方々も楽しんでいたんだ・・・演奏会終了後にソリスト4人から講評があった。講評と言えばオケの演奏会のあといつも指揮者やトレーナーの先生から辛口の講評があるので、覚悟していたら、むしろ演奏会に参加でき嬉しかったことを率直に語ってくれていたのが新鮮だった。ベルディーのレクイエムは初めてというソプラノ、テノールの方も「難しい曲」で挑戦的であったとの趣旨をおっしゃっていた。アルトの方はイタリア留学以来10年の夢がかなったと喜ばれていた。こんな「講評」は何回聞いても楽しいだろうなーなんて思った。

 さて、お正月気分はあっという間に過ぎることだろう。さ来週から定期演奏会の練習が始まる。今回のような大規模な演奏会ではないけど、一歩一歩何かをつかみとって前進したいものだ。

秋のコンサート無事終了。少し寂しい気持ち

2008年09月29日 21時39分28秒 | コンサート
 秋の「ファミリーコンサート」が無事終了した。思えば、チェロを始めて半年でデビューしたのが昨年の「ファミリーコンサート」だった。去年は「白鳥の湖」「ゴジラのテーマ」などなどだったが、ただただ夢中でチェロにしがみついているような状態だった。まるで頭のてっぺんからバケツで大量の水をぶっ掛けられたように汗だくで、半分も弾けぬままコンサートが突き抜けていったっけ・・

 それに比べて今年はちょっとだけ違った。自分でも不思議と「楽しい」気持ちが大半で、合間に指揮者がマイクを持って家族連れに「カルメン物語」を解説したり、「ウェストサイド物語」を語っている姿を微笑ましく見守ることができた。(思えば二つとも主人公が死ぬんだよね)。春の「定期演奏会」も経験しているだけあって、ステージには慣れというものもあるのだろう。

 ところが変わらないことが2点ある。

 一つは手に汗をかいて止まらないこと。左手の弦の押さえがべたつくのも問題だけど、もっと困ったのは、弓を持つ右手全体が汗だくで何だか気持ち悪いし弓に力が入らない感じがすること。ハンカチを出して何度も手を拭いてみたり、本番直前の休憩時間に石鹸で手を洗ったりしたけれど、全身の暑苦しさと手の汗は去年の初舞台に味わった感覚だ。緊張しているのか、高揚しているのか自分ではコントロール不能なのが悔しい。

 もう一つは「本番では練習の時の七掛けしか実力は発揮できない」ということ。これは自分の原則として覚えておくべきだと、はっきり自覚できた。人によっては九掛けも八掛けもあるかもしれないが、僕の場合は良くて七掛け、悪くすると六掛けしか本番では実力が出せないと思う。

 この比率は、我が人生においては「異例」のこと。進学時の入試でも、仕事の場面でもいつでも自分は「本番に強いから」と高をくくってきたものだが、オーケストラのステージではそうは行かない。何故なのだろうか?

 理由1 以前も経験したが、本番になると譜面までの距離が遠くなり、暗譜状態でない限りその場で譜面を読みながら演奏することはできないのだ。隣に座るエキストラの方と共有する譜面なのだから。そのため「覚えていたはずのフレーズ」からちょっとでも意識がずれると「落ち」ざるを得ない。そのあと譜面を見て探して復帰するまで8小節くらいは吹っ飛んでしまう。ひどい場合は例の「エアー」でしのぐしかない。

 理由2 やはり入試や仕事に比べると「慣れ」「熟練度」そのものに違いがある。例えば問題集を解く、暗記した内容を思い出す・・・これらの動作は単純だ。仕事でも結局はある決まったレパートリーの繰り返しだし、問題解決も経験からの勘もはたらくというもの。ところがオケのコンサートは年に3回はある。すると曲目の練習時間は長くて5ヶ月程度しかない。しかもレパートリーは古典から今回のように現代のジャズを取り入れた感覚まで幅広い。アマチュアとはいえこの幅に対応することの難しさを感じる

 理由3 これは恥ずかしい話なのだが・・・この半年ほど、音程を少しでも上手に取ろうと考えてチェロの指板横に、小さなシールマークを貼って練習をしてきた。だからハイトーンでも大外しはしないで済んでいた。自分ではそんなマークに頼って演奏しているつもりは無かったほど、無意識化していたのだと思う。
 ところが、本場直前のリハーサルから例の「手に汗握る」状態となり、はっと気付くとシールが剥がれ落ちてない。いつの間にか指の表側に張り付いていたり、肝心の1ポジションも4ポジションもみんな無くなっているではないか。
無意識化し、シールに頼り切っていた自分に本番直前に気付き、あとは自分の手の覚えた感覚で勝負する覚悟をするしかなかった。そうは言っても、静かな出だしやppのメロディーラインでは自分の音に不安を覚え「エアー」の誘惑に・・・

  まー恥ずかしい話、やはりこれからはシールなど貼らず、目ではなく、指の感覚でのポジションの取り方でしっかりと音が出せるようにならないと駄目だなーと痛切に感じた。
 子供のころ補助輪を取り外して自転車を乗るのに時間が掛かったのは、補助輪に頼った走行と、補助なしの走行では体のバランスの取り方が全く違っていたからだった。それと同様にのことだろう。これからはシール無しの本当の演奏に進むのだ。

 ともあれ、全ては自分の未熟さ、練習不足がたたって自分の演奏は不十分ではあったが、演奏会そのものは多くのお客さんから賞賛されて終わり、ほっとしている。 人生初めて、演奏会に来てくれたご家族から花束をいただき、嬉しくも面映い思いも味わえた。
 実行委員として充実感も感じながら打ち上げにも参加し、1年前の打ち上げよりリラックスして懇親を深めることもできた。

 そして全てが終わって今感じているのは、半年近く打ち込んできた曲目ともお別れすること、これがなんとも言えず寂しい。もう1回、いやもう2回同じ曲目をみんなで演奏したい。自分たちの創り出した音楽の「場」をもっと共有し、もっと味わいたい・・・

 でも演奏会は1回勝負なのだ。ちょうど大輪の花を咲かせ、その夜のうちに枯れてしまう「月下美人」のような、強い残り香をあとに、それぞれが家路に向かった秋の夜だった。

コンサート実行委員でてんてこ舞いの日々

2008年09月04日 00時08分34秒 | コンサート
 心と体がバラバラというのはこのことだろうか。頭に血が上る、額のあたりが暑い感じ。横になっても眠れない、目が冴えて朝を迎え、夜が明け切ってもまだ眠れない。こんな状態、仕事では経験したことは久しく無かったなー。しかしオケの実行委員と仕事と家庭の些事が重なると、途端にこうなってしまった。自分はこんなにも脆い奴だったのか!と驚きあきれる。一方、心の底では「まだまだ人生いろいろあるなー」と舌を出している自分もいたりして・・・

 さて、実行委員というものをやってみると、今まで目に見えなかった様々な事柄が見えるし、気になってしかたがないものだ。コンサートを実行するとは、ただ演奏者の1人として参加するのとはまるで世界が違ってしまう。何と大変なことなんだろうと思う。

例えば・・・
・何気なく配布されているプログラムだけど、誰がデザインして、何を盛り込むの?
・曲目を決めて、演奏会に出せるまでには、楽譜をどこから手に入れるの? 
・スコアーと楽譜(往々にして食い違っている)の照合をどうするの?
・足りないパートのエキストラを誰が選んで、何時から参加してもらうの?
・曲目ごとにそれぞれのパートの変更を掌握し、配置するのは誰が何時やるの?
・必要楽器そのものもわけがわからないなー?
・当日開始のブザーって誰が鳴らすの?
・アナウンスの原稿は誰が書くの?アナウンスは誰が?どうやって頼む?
・弁当は?数は?単価は?清算は?・・・お茶もつけるの?
・アンコールの曲目掲示版は誰が用意する?デザインは?
・運搬のトラックの時間は?人数は?だれが適任なの?手配は?
・そういえば、外看板って誰かが作るのかなー?
・当日雨だったらどうしよう・・・あー!ぎゃー!ぐえー!

 何十人もいるオケの全員の顔と名前は一致しないのに、それぞれの役割や担当係を決め、告知し、みんなに了解を得て、実際にやってもらうとなると容易ではない。ここは会社組織ではないので「指示命令の原則」とか「指揮系統の統一」などの原理など、全然通用する世界ではないのだ。
 しかも学校の教室や職場のように、毎日顔を合わせているわけでもなく、自分のように出張の嵐で練習にも参加できないことが重なると、どうにも身動きが取れない。その結果、深夜になってのメール攻撃。しおりのようなものを作ってチェックしてもらったり、あまり話したことのない先輩にメールで問い合わせたり、返信が7日後だったり・・・もうへとへと。

  ひょっとしたNPOとかボランティアの人たち、つまり地域の主婦の皆さんならこうした横並びの中で、仲良く大仕事を成し遂げてゆくのだろうなー。

 思えば、PTAとか、自治会の集まりとか、マンションの理事会とか、なんだかとても恐ろしく、近づくだけで熱が出そうな気持ちになったのは・・あまりに会社組織の原理に浸かりきって生きてきたために、直感的に別世界だという恐怖を感じていたからだろう。

 そういえばオーケストラに入る何年か前に、地域の絵画教室に参加したことがあったっけ。そのとき主婦の皆さんの笑いものになっていたのが「わしは○○会社の役員をしておったんじゃ」とか「役場では枢要の地位にいたので云々」とノタマウおっさんたちであったなー。そんな過去の栄光やら組織原理、官僚的統制原理など、なーんも通用しないのが地域の団体なのだよなー・・

 などと書き連ねて憂さを晴らしてみても、一向にオケの仕事は進まない。多くの先輩、顔役、物知り、経験者、心ある支援者・・・いろんな人に頭を下げ、お願いしながら物事は進んでゆくのだ。

 あと25日。本番まで追い込みだ。

慣れないコンサート運営事務局に汗々・・・

2008年08月05日 02時26分45秒 | コンサート
 出張から戻ると、ろくな練習もできないまま、オーケストラの練習会場に飛び込む。以前トランペット氏が「モー忙しくて全然だめ、指揮者には怒られるし、まいったなー」とぼやいていたのを思い出す。そりゃそうだ、Tpなどの管楽器はみなソリスト。ごまかしや「エアー」は出来ない相談。「団体競技」のチェロの端くれとなった自分でも「やばいよなー」と感じるのだから、管楽器や打楽器の緊張はどれほどだろうか・・と思う。そえだけ社会人になってからソロ楽器を学ぶのは難しいということだなー・・などと思いながら会場へ。

 日曜日午前中は「カルメン」の組曲を片端から練習し、仕上げはベートーベンの交響曲第五番の1楽章をさらった。まーここまでは何とかわずかな合間を見て練習していたので、楽しさも感じることができた。
 
 緊張したのは、むしろ午後練習までの昼休みに、秋のコンサートの事務局打ち合わせの方だった。オーケストラの運営を少しずつ理解し始めると、大きな壁をいくつも乗り越えながらオケは成り立っているのだということに愕然とする。少なくとも数十人の楽団員が、数百人のお客さんを迎えて演奏会をするということなので、運営と一言言っても思いもよらない苦労があるのだ。

 終わりから言えば(実はそれで一番困っているのだけど)エキストラさんも含めて、関係者が集う「打ち上げ」の会場はどこがいいか、会費はいくらが適当か、打ち上げの司会は、進行は、集金は・・・それぞれを誰かにお願いし、漏れがないようにしなければならない。打ち上げのあと、エキストラや車の無い人は誰が送るのか・・考えるだけで胃が痛くなってくる。

 ほとほとこういいう仕事には向かないと思う。終わりではなく始まりの方だっていろいろある(実はこちらももう一つ頭が痛い問題で・・・)会場の受付係りを数人お願いしなければコンサートは開かれない。実は第三者的に「団員がやったらいいじゃないの」などと思っていたら、とんでもない。団員は全員ステージに上がるのだから、受付をやっている時間など一秒もないのだった。そんな単純なことも『当事者』にならないと思い及ばないものなんだなー。

 かくして、本日の月曜日は仕事もそこそこに、会場やら、受付やら、はてまたステージマネージャー(ステマネと約すらしい)の確認をし、さらに司会進行、お昼のお茶の手配・・・心配事が次から次に思い起こされて気が滅入りそうだった。ところが、さすがオーケストラは組織だ。諸先輩がそれぞれに心配をしてくれていて、あちこちからメールが入り始めた。調べものをしてくれたり、手配してくれたり、快く「大物楽器」の運送係を引き受けてくれたりしてくれていて、頭が下がった。

 それでも、ふつうは複雑なことは嫌いな自分が、チェロの練習のこと、実行委員としての職務のこと、そして本業の会社での仕事のこと、家族のケア・・・4つも抱えてはやってられねーよ!と逃げ出したい気分になるのはしかたないことなのだ。
 普通の大人だったら「たったそれだけ? しかも二つは趣味で、一つは家庭というプライベートばかりじゃないの!」とあきれることは間違いなし。でも、おいらには複雑多様。あれもこれも気分になってまうのだ。

 幸い夜には、武道館で 久石 譲の「ジブリコンサート」を予約してあったのでしばし浮世を離れて夢の世界で遊ぶことができた。湿度100%と感じる熱帯夜の東京だったが、400人のオーケストラの響き、総勢1400人というオケとコーラスで演奏される、ジブリ作品の世界は素晴らしかった。もう一度生まれてくるなら、久石 譲みたいな美しいメロディーを一曲でいいから創れる人間になりたいなー・・・なんて感じたりもした。

 純粋に音楽的には、スピーカーで増幅され変形された音でなければ十分な音量が得られないほど会場はでか過ぎるし、蒸し暑さで参るし・・・武道館というのはロックコンサート以外では、あまりいい会場ではないと感じたが、新日本フィルのコンマスの独奏が随所にフィーチャーされ、特別ゲストの平原綾香を生で見ることができ、イベントとしては十分満足でき、夏休みの前奏曲を聴いた感じだった。
 明日からまたも出張だけど、頑張る元気をもらえた。

追伸:いつも覗いていただいている読者様へ。最近、変な書き込みが多いのでコメントを載せないようにしました。もし何かございましたら内容をご送信ください。僭越ですがろしくお願いします。

定期演奏会 ゲネプロでいい感じが出せた!

2008年05月18日 01時35分36秒 | コンサート
 いよいよ夜が明けると、本番。
今日は昼から大物楽器運搬、会場ひな壇設営、そして夕方までゲネプロと大変忙しかった。明日は9時に会場に集合、午前中リハーサルをしたあと、いよいよブラームス第三番をメインにした定期演奏会の始まりだ。家内が近所の知り合いにチケットを配ってくれたので、頑張らないとなー。

 今日のゲネプロは、さすがにパーカッション(音大生)、ハープ、ピアノ、コールアングレ、バスクラ・・いつもはなかなか参加してもらえないパートも勢ぞろいして華やか。曲目がチャイコフスキーやらブラームスやら、芥川やらいろいろあるので、全てのパートが勢ぞろいすると、舞台が狭く、ゲネプロの最初は舞台のレイアウトの手直しからだった。そして、落ち着いて練習開始したが、照明に照らされた舞台に並んだだけで、高揚感でいっぱいになった。

 これまでの努力の成果がはっきり感じられ、甘く見て9割は「演奏」できたという効力感を得られた。もともと8割を目指してきたがいけてる感じだ。

 ステージの上だと、自分の楽器の音がよく分かる。怖くもあるが自分の楽器の音を確認できるので、弾きやすい。音が聞こえるので自分が何とかこなせた部分を、案外先輩でも弾けてない時があることを発見したりて余裕もあった。「なかなか自分も捨てたもんじゃないのかも」とちょっとウキウキ。

 明日に向かって、もう寝ないといけないなーと思いながらも、どうしても譜面のページめくり前後の手直しと、今日のゲネプロで発見したボーイングの不一致箇所を、全部チェックしたりしている。そろそろ手仕舞いにしよう。 ゲネプロとはまた違った緊張感があると思う。でも明日が楽しみだ。

アンサンブルへのお誘いが・・

2008年01月30日 01時12分23秒 | コンサート
 一つは大学オケのOBが室内楽をやっていて、チェロパートがいないとのこと。(いままでファゴットで代替していたが昨今忙しくて抜けがちのようだ)もう一つは所属オケのアンサンブルコンサートで、チェロアンサンブルをすることになった。「ハレ事」には何によらず消極的姿勢に生きてきたつもりなので、少人数でのアンサンブルというだけで初めは思わず腰が引けた。

 しかし「生来目立つのは嫌で恥ずかしがりや」というのは嘘はないけど、恥ずかしがりというのはどこかで「いい格好をしたい」「見てもらいたい」という衝動が隠されていると正直感じる。だいたいホルン自体は嫌いではないけど、学生時代弦楽何重層という編成に憧れを抱いており「管楽器はつまんないなー」と嫉妬心を隠し持っていたのも事実なのだなー。「あの仲間に入りたい」「自分も少人数で息の合ったアンサンブルに浸りたい」なんてね。

 そんなに憧れていたなら、ハレの舞台に自分から積極的に立つのも素直でいいではないかと思い大学OBの方には自分から手を上げて参加表明したところだった。(別に舞台があるのではなく、仲間うちで仲良く演奏を楽しむだけなんだけどね)今や学友たちはそれぞれ有名大学教授やら社長やらになっているんだけど、そんなの関係なしに、優しい音楽仲間のこと、チェロ用の譜面も用意してくれるらしい。アンサンブル練習まで少しあるので、自主練して頑張ろう!・・・

 と思っていたところへ、オケのアンサンブルが降って沸いてきたのだ!ひえー!オケの楽曲だけでもヘコタレそうなのに、学友のアンサンブルに手を挙げちゃって緊張しているところに、チェロ6本で舞台に立つ企画が圧し掛かってくるなんて。「とても無理、舞台なんかに立てないでーす」とお断りしたところ「団員は必参加!」ときっちりフォローメールが送られてきて、キャパ小さき心は破裂しそう。それに仕事が・・家族が・・あわわ・・とパニクリそうなのだ。

 ま、声を掛けてもらえるうちが華。これもチャンスと思って頑張ろう。チェロを始めた動機のひとつがアンサンブルだったんだから(無自覚だったかもしれないけど、そうだったのだ!と気づいたのだ)

コンサートのCDが出来上がった!

2007年11月06日 23時42分43秒 | コンサート
 自分がデビューしたコンサートのCDが届いた。楽団長が一枚一枚手作りしてくれた愛情こもったCDだ。全員の集合写真。パートごとのカット。ポスターやアルバムなども写真に収められている。一番嬉しかったのは、楽団員全員の氏名が印字されていること。無論 自分の名前がやたらと浮き出て見える。このCD1枚でコンサートの全ての思い出がぎっしりと詰め込まれているんだ。
 
 早速、聴き始めると、もう止まらない。ワンフレーズごとにあの日の演奏がよみがえる。緊張、情熱、のぼせ、落ち込み、感動・・・詰め込まれていたのは写真や文字だけではなかったのだ。あの日の全てがこのCD1枚に封じ込められているんだ。

 初めて遠くから聴いてみた私たちのオーケストラの演奏は、意外にも素晴らしい出来上がりだった。たしかにプロの演奏と比べるとあちこちにミスが目立つのは当然だけど、ちゃんと音楽している。会場の赤ちゃんの声や、雑音もしっかり録音されていて、かえって臨場感もある

 この演奏を生み出したのは、素晴らしい指揮者に負うところが大きいと直感する。70名以上の楽団員から音楽を引き出し、一つの楽曲に纏め上げて行くのはコンダクターの腕の見せ所。一人ひとりの演奏が問題なのではなく、全体として音楽の響きを引き出してくれた、指揮者の土田政昭 先生に感謝。

 なにより、楽団員全員の音楽への情熱がこの場を作り上げているのはいうまでもない。レギュラー、エキストラ、飛び入りのプロの演奏者・・みんなの心が一つになって土田先生のタクトのもとに響きあっているんだ。

 ベートーベン7番や白鳥湖は他の演奏でも聞きなれていたが、イーゴリ公序曲や「ゴジラ」を離れて聴くのは初めての経験。手前味噌ではないが、素晴らしい。予想を越えた演奏に、妻が「素晴らしかったよ」と言ってくれた時の言葉の背景にあるリアリティーを感じることができた。

 先輩たちは様々な困難、苦労を乗り越えて20年近くにわたり、アマチュア交響楽団を守り続けてきた。それも、こんなに素敵な経験が出来るから、半年かけて厳しい練習を重ね、コンサートをやっているんだと思う。

 来年に向けて僕はとてもモチベーションを高めることができた。どんなに遅くなっても、一日30分はチェロに触れようと思う。