
自分で購入したのですが、仕事で行けなくなりました。
差し上げますので、どなたかもらっていただけませんか?
「欲しい」と一言いただければ、ご自宅まで郵送させていただきます。
曲目は「魔笛」序曲、交響詩「ドンファン」、ブラームス交響曲3番です。
マーラーの5番をしっかり聞いたことなかったので、今回は新日本フィルの演奏会に行ってきた。
(すみだトリフォニーは千葉への入り口としてアクセスし易いところがいいんだな~)
振るのは・・・タングルウッド音楽祭で小澤征爾のもとで勉強し、2010年9月から
NJPの”Music partnero of NJP”という呼称の指揮者に就任したダニエル・ハーディングだった。
僕は指揮のことは全然分からないけど、マーラーの交響曲5番を頭から通して聞いてみた印象は
「こりゃ恐ろしく個人技が求められる、プロが演奏する音楽だ」ということ。
冒頭からTpのソロで始まり(このとき指揮者は棒を振っていなかったようだけど、Tpに任せたのか・・)
特に3楽章など、Tp,Hrの神業的演奏技術がなければ成立しない。
ある意味全ての楽器にソリストとしての才能が求められている感じだ。
トランペットの演奏もそうだが、第一ホルンのソロは半端な技術ではこなせるものではないと感じた。
昔ホルンやってたからわかるつもりだけど、主席の鈴木高通さんのハイトーンの美しさは、
それは見事なものだった。
Hrだけでなく、Tbのソロ、チューバの確実な演奏、弦楽器では途中Vn Vla Vc の各主席だけで
かなりの時間ピチカートなど交えてアンサンブル状態だったっけ。
あちこちにすごい演奏がちりばめられている曲だった。
これって新日本フィルに集まっている演奏家の素晴らしさなのかどうか、
他のプロオケとマーラーを見比べた経験の無さゆえ、何もいえない。
「この曲はアマチュアが近づいてはいけない」。
直感的にそう思った。
でもチェロも随所に美しいソリが出てくる・・あそこはやてみたいんだが・・・
いつの日にかこの曲を演奏できる日がくるのだろうか・・・
本日の演奏会は東日本震災のチャリティーコンサートだったので、
冒頭はエルガーの「ニムロッド」がおごそかに演奏された。
そしてマーラーの終了後、会場の拍手は鳴り止まず、ハーディングは何度も会場に現れた。
またNJP団員からも絶大なる賞賛が送られていたが、結局アンコールは演奏されなかった。
ん~ここらの「場」が僕にはよくわからなかった。
演奏自体は本当に素晴らしかったけど、ハーディングへの賞賛だったのかな・・・
演奏会、クラシック、チャリティー、就任公演・・・・いろんな文脈が絡んでのことだったのか。
ここらあたりの作法というか、非言語的なコミュニケーションについては残念ながらよくわからないことが多い。
もう少し今年は、プロの演奏に触れてみようと思う。
耳にも肥やしをやらないと、何もつかめないと思うから。
昨日は錦糸町の「すみだトリフォニー」で新日本フィルのメンバーによる室内楽の夕べを楽しんだ。
今日は紀尾井シンフォニエッタ東京の第79回定期演奏会。
以前から気になっていたけどなかなか行く機会に恵まれなかった紀尾井ホールに向かった。
演目は、ベートーベン尽くし。序曲「コリオラン」に続いて、交響曲第8番、交響曲第7番と続く。
腹が減っては・・と思って途中新橋で腹ごしらえ。
時間が無い中、即食べられるのは、やっぱり寿司。
たまに昼飯に寄っていたこの店で「魚がし定食」をかき込んでいざ赤坂方面へ。
銀座線に乗るとき、新橋や虎ノ門では「押し屋」の駅員がいた。久しぶりに見る帰宅ラッシュ風景だ。
込み合う地下鉄だが、車内はなぜか懐かしい。小学校のころ丸の内線はまだ新宿以西は建設中で、
掘り出した大量の土砂でできたものすごくでかい「ボタ山」があり、ダンボール使った泥すべり場だった。
そうそう、母親にはホウキで思い切り尻を叩かれて叱られたものだった。
車内に知り合いがいるわけでもないのに、故郷の電車に乗り込んだような親しみを感じた。
紀尾井ホールはホテルニューオータニの裏手にあり、赤坂見附より四谷に近いようだ。
赤坂見付で乗り換え、四谷で降りてからは上智大学横を通って赤坂見附方面に逆行する。
夕暮れの土手に上がるとまだ新緑の桜並木から、桜餅のような甘い香りが寄せてくる。
チャペルのあるミッション系の上智大学は、以前から洗練されたお嬢様のイメージがあり、
男ばっかりでわざわざこの土手まで来て、何の目的もなくそぞろ歩きしたことを思い出した。
歩き出したら紀尾井ホールにはすぐ着いた。開演まで間があったけどホールを味わいたくて入場。
設備の説明によると
「800席の中ホールは室内オーケストラのために設計されたシューボックス型。
舞台下の構造が根太組みになっており、その空間が同じ根太組み構造の客席につながっている。
天井は、強化ファイバーコート製という剛性のある硬い素材で『一時反射』と呼ばれる間接音が、
人間の耳ではエコーとして感じられないほどの速度を持つようになっている」
何のこっちゃ?
座って眺めてみると、見た目は、綺麗な木造の小ぶりな体育館みたいだ。
ところが演奏が始まると、反響がサントリーホールとは全然ちがうな~とすぐ分かった。
たまたま2階席だったからかもしれないけど、音楽が溢れ出て、下から湧き上がって来る感じ。
そう、まるで会場全体が弦楽器みたいになっていて、楽器の中で音楽を聴いている感じなのだ。
コリオラン、第8番と進み、第7番でもメンバーの変更はなく、同じ編成で演奏された。
Vn3プルト、チェロ2プルト、Cb1プルトだったが、迫力ある素晴らしい響きをもった演奏だった。
オーボエにはN響の主席・青山聖樹さん、CbにはやはりN響主席の吉田秀さんの顔があった。
ファゴットやティンパニーがすごくいいと思っていたが、それぞれ新日本フィル主席の坪井隆明さん
近藤高顕さんとある。フルートは読響主席の一戸敦さん。
知らなかった!紀尾井シンフォニエッタ東京は選りすぐりの演奏者の特別編成だったんだ。
交響曲2曲は重いかな~と思ってきたが、終わってしまうと決してそんなことはなく
アンコール無しで調度いい演奏会だったと感じた。
いつものように配られた分厚いパンフレットの束を、眺めながら帰宅した。
今回は捨てずに読みこんで、まだ見ぬ小ぶりな素晴らしいホールを選んで訪ね歩いてみたいと思う。
日本の歴史始まって以来の大規模地震災害の報道が続いている。
僕も、新幹線に乗ることができず、静岡の地方都市で、かろうじて確保できた
ホテルの一室で報道を聞きながら、明日朝、電車は動くのかを案じている。
老人4人組のチェロアンサンブルで、舞台に上がることになっているからだ。
師匠の指導も受け、モーツアルトの7曲をかなり満足できるレベルに仕上げて
あとは気合を入れて本番を迎えるのみ
・・・帰れるかどうか、気が気でない。
ところが、先ほどオケの仲間から
「明日のコンサートは中止になりました」
と知らせが届いた。
やっぱり、と・・・とショック! とがないまぜ。
こんなに多くの命が失われ、この寒空に放り出された人々がいる
アンサンブルの集いは、やはり気が進まない・・・
地元では未だにコンビナート火災も鎮火していない・・・
団長も正に「断腸の思い」での決断だったのだと想像する。
残念な気持ちは残るので、
いつの日か「ぼんのうチェロ族」で発表したいものだ。
「チェロ・コングレス・イン・ジャパン2011」の、リレー・コンサートを聴いてきた。
開場時間より30分前に到着すると、すでに100人近くが並んでいた。
雪空はどこえやらという快晴だけど、気温は低く、とてもこれは辛いと感じたので、開場時間までお茶することにした。
時間になって戻ると、ホール前の行列は消えていてたが、ひっきりなしにやってくる人波で込み合っていた。
ところが入り口から「ブルーローズ」を覗いてみると、会場の半分くらいしか埋まっていない。
「あの人たちはどこへ行ったのかな~」と見上げると、大ホールでは今をときめくピアニストである
ランランのコンサートが開かれていて、多くの観客がそこに詰め掛けていたのだと分かった。
いざブルーローズで良い席を探そうと舞台方面で席を見渡すと、前方の半分は完全に確保されてしまっていた。
人が少なかったのではなく、席を確保して一旦外に出た人が多いということか・・
さすがにチェロ奏者の聴衆が多く、”かぶりつき”から、次第に埋まっていったのだということは明らかだった。
仕方なく、ホール後部のさらに後方に席を取り、開演を待つことに。
プログラムは11人のプロ奏者が、ピアノ伴奏でソロ演奏をしてくれることになっている。
トリは堤剛氏で、堤さんだけはピアノ伴奏なしでバッハのシャコンヌを聞かせてくれるようだ。
前半は小川剛一郎さんのフォーレ「エレジー」から始まった。とても心地よい演奏会のスタートに一安心。
曲の合間合間に遅れてきた人が加わって会場は満席に近くなってゆき、会場は熱気を帯びてゆく。
驚くことに、スピーカーがあるわけではないのに、チェロの音が会場一杯に響き渡り、後ろのほうにいても体に響くことだ。
プロはすごい、いつかあんな風な豊かで深い音色が出せるようになりたいと思う。
前半のトリは、長谷川陽子さんのフォーレ「夢のあとに」と「カステルヌオーヴォ=テデスコ:フィガロ」。
長谷川さんのチェロの音色は、とてもユニークで乾いた印象で、本当に情熱的な演奏だった。
この日初めて拍手が鳴り止まなかった。業界音痴の僕にも、長谷川さんの人気がすごいことが分かった。
20分の休憩後、後半のトップは、N響主席の藤森亮一氏。
ショパンの「序曲と華麗なポロネーズ ハ長調」を易々と、ミスも無く弾きこなす藤森さんの演奏に聞きほれた。
大交響楽団を率いている首席奏者というのは、正確で高い技術は当然とは思うけど、ここまですごいのかと再認識した。
後半は、この藤森さんをスタートに、全ての演奏者に大きな拍手が沸き起こり、甲乙つけ難い感動的な演奏が続いた。
その中で
「この人はすごい!」
と僕が最も感動したのは、宮田大さんだった。
宮田さんが演奏するポッパー:ハンガリー狂詩曲は、僕なんかに論評は出来ないけど、完璧な演奏で、
ボトムからトップまで駆け上がり駆け下りるような困難な曲を美しく演奏できることは、魔法のように思えた。
また、宮田さんだけがこの日最大の拍手に応えて、アンコール(リクエストと言っていたが)を演奏してくれた。
それが「おくりびと」のテーマ曲だった。その温かく豊かな音色に涙が滲んできてしまった。
宮田さんの紹介文を読んでみると、第9回ロストロポーヴィチ国際チェロコンクールで優勝している人だった。
家内が選んだのは・・
「あのおじいさんは全然他の人とは違う」
「あの人と比べたら、他の人はもっと勉強しなさいと感じちゃう」
と評した堤剛さんだった。
技術、テクニックのことを言っているのではなく、堤さんの人間性や、ソリストとしての存在感が他を圧しているのだという。
こうしてリレーコンサートあっという間に終わってしまった。
大変満足感の高いコンサートだと感じたが、
プロのチェリストにとってはシンドイことかも知れないという気もした。
僕らのような素人でも、「比較」はできる。
良い悪いではなく、「あの人が好き」というレベルであっても
比べられる場に立ってくれたチェリストの皆さんに改めて拍手を贈りたいと思う。
定年退職記念に、職場の同僚からプレゼントされたのは巨匠アーノンクールのコンサートチケットと、
一日の休暇許可のお墨付きだった。 (皆は仕事しているけど僕だけ休んでいいよと言ってくれた)
ということで、19時から始まる、ニコラス・アーノンクールとウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの、最後の来日公演に出かけた。
終了が21時半を回ることもあり、車で出かけ、ホテルオークラ駐車場に車を突っ込み、歩いてサントリーホールへ。
「のだめカンタービレ」で「ミルフィー」が歩いていた、入り口の黄金の車輪みたいなモニュメントで写真を撮って入場。(まるでおのぼりさん?)
10数年前に、バレンボイム指揮のシカゴ交響楽団の演奏を聴いて以来、まったく久しぶりのサントリーホールは
確かに日本一のホールといわれるだけあって、素晴らしいホールだ!。ここに来れただけで幸せだと思った。
サントリー社長の希望で、カラヤンが監修しただけあって、音響はすばらしい。素材と構造全体が音響を確かなものにしているのだ。
(と思う、普通の市民ホールと決定的に違うのは、舞台を客席が取り巻き、演奏者の音がそのままホール全体に広がる構造だと改めて気づく)
さてアーノンクール来日最初の演奏会の演目はバッハの「ミサ曲 ロ短調」。
ミサ曲になじみがない私としては、チケットをもらったのをきっかけに、CDを購入、アーノンクールの著書もamazon.comして入手して、予習をしていた。
それでも、クラシック最高とか、バッハ最高の傑作とか言われているものの、なかなか僕は馴染むことはできなかった。
車の中でも、家内には飽きられながらも、ミサ曲を掛けながら六本木まで来たのだが、果たして本当に感動できるだろうか、途中で居眠りするんでは・・・
そんな心配は、アーノンクールが登場し、割れんばかりの拍手の後 演奏が開始された瞬間から吹き飛んだ。
キリスト教の世界は分からないけど、純粋に器楽とコーラスのアンサンブルとして鑑賞してみても、十分に楽しめた。
器楽演奏、合唱、アリアが交互に出現し、特にアリアの部分では、オルガンとチェロと独唱だけの、すばらしいアンサンブルを聴くことができた。
(おそらく鳴っていたのはパイプオルガンだと思う)
チェロに注目すれば、通奏低音というのは、こういう役割と、こういういい味を出してゆくのか!と気づかされることがいろいろあった。
また、古楽器である、ピストンなしのTpやHrの音色の華やかさ、口だけで音程を巧妙に変化させる演奏のすばらしさに聞きほれた。
フルートもオーボエもファゴットも、まさに木製の「木管楽器」で、これら古楽器が奏でる音色は、穏やかに溶け合い、コーラスともぴったり融和しているのに驚かされた。
チェロを見ても分かるが、ロマン派的な華やかさ、艶やかさはぐっと抑えられ、ほとんどビブラートも掛けない演奏法が、コーラスと素晴らしい調和の世界を作りだしていた。
何度もホールの天井を見上げたけど、きっとホール全体、特に舞台上空で、全ての音が混じりあい調和の世界を生み出しているのだと思う。
何度でも このホールで演奏を聴きたいと思った。
配布された分厚い、コンサートのチラシの中に、「サントリーホール年間会員」の案内があった。
なんと、11回の演奏を聴けて、4万8千円!、これって安いと思った。
買うかもしれない、買いそう、きっと買っているはず。
遠いけどまた行こう!
本番は8回目くらいになるだろうか。毎回毎回新しい経験を重ね、感動味わってきた。
でも今回、後悔というか、不燃感が残るのはなぜだろう。
練習での思いと、本番での出来のギャップが大きすぎたのだ。
隣でカバーしてくれていた「弦楽器万能嬢」も「こんなところで飛び出すなよ!」と叫び出しそうになったほど
とんでもないところで迷って構えてみたり、現実に飛び出したり、置いてゆかれたり・・・
演奏参加率80%台、ヒット率60%台という、惨憺たる状態だった。
(ヒット率は今思いついたんだけど、開放弦以外で音をちゃんと当てている比率・・)
その原因は、一にも二にも「練習不足」に尽きるのだ。
本番前には「何とかなるだろう、そのレベルまで来たよな」と頭で思おうとしていたんだけど、
実は、「全然やばい状態じゃん!」と見透かしているものがいたんだ!
それは、自分自身の「身体」だった。
その「身体」はといえば、本番どころか、前日のゲネプロの段階から「手に汗を握る」状態で、
脂ぎった左手で弦を押さえ、油っぽい手で弓を持っているので、取り落としそうなくらい変だった。
はじめは「会場の暑さのせいかも」と思っていたが、普通の汗ではなく「脂汗」に近い粘っこい感覚なのだ。
これが本番前のリハーサル、本番とずーっと続いていたのだ。
思い起こしたのは4年前の初舞台。全身の血液が首から上に集まって、全然下に下りてこれないような
まさにシャワーを浴びたように「全身汗だく、油まみれ」の興奮状態だった。
つまり頭では「大丈夫」と説得していても「身体」は
「全然だめ、やばい状態、絶対失敗する」「お前はぜんぜん練習不足だ」と言っていたのだ。
何でこんなことになったのかといえば、短期間(2ヶ月強)にコンサートを開催することに体がついていってないからだと思う。
第九という超難曲の演奏会を12月に控え、夏から練習が開始した分、秋のコンサートの練習がシワ寄せされた。
実は今回のファミリーコンサートも、ポピュラーな映画音楽で半分は構成されてはいるが、
「魔弾の射手」「ペールギュント」は、クラッシック本流でもあり、難しい曲だった。
通常なら半年掛けて練習するコンサートなのに、「仕方ない」という気持ちが入り込み、
どこかに「やっつけ仕事」の感覚が紛れ込んでいたのではないか!
だから、演奏会が終わってから「反省モード」が続いて、大変疲れてしまったんだと思う。
何の慰めにもならないけど、フルート、ファゴット、ホルン、Tb・・
多くのベテラン、先輩も、ミスや失敗の「カミングアウト」の言葉が多かった気がする。
「だからコンサートを短期間に連続して開くのは良くない」なんて思っているのではない。
本当は3ヶ月に一回のコンサートを恒常的に こなせるくらいになりたいものだと思う。
特に 今回のように、他の楽団と協働で、大曲を演奏できる機会を逃すなんて、もったいない。
今後も積極的に受け入れてゆきたいからこそ、今回の準備不測、練習不測を教訓にしないと。
そのためには、通常の二倍の努力で、仕事を調整してでも練習を重ねないと、残念なことになると思う。
今回のコンサート、反省ばかりでなく、良いこともあった。
一つは、楽団創設以来初の「500人突破」したことだった。団員全員が「クリアーしたい目標」だったのだ。
「絶対越えられない壁」をあっさり突破して、本当にびっくりし、感激した。
二つは、辛口のトレーナーの先生から「初めて弦全体でPPを出せるようになりましたね」と講評いただいた。
強弱の差が出せないアマオケは、p、ppが作れないからで、この講評は大変嬉しかった。
個人的な反省点は様々に抱えながらも、楽団全体は進化していることが示されたのは救いだ。
これからも努力して、もっと多くの人に音楽を楽しんでもらえるようにしたいと素直に思った。
夕方4時からのゲネプロが終わり、家に帰ったら8時過ぎだったが、心地よい疲れといったところだ。
第九と重なって練習不足を何とか補って、ぎりぎり舞台で使える段階まで持ってこれたこともあるが、
「舞台設営で体を動かしたからかもしれない。
「舞台設営」とは何かというと、舞台上に楽団が乗って演奏する雛壇を手作業で作り上げること。
一つひとつがかなり重さがある「枕」(木製のブロック)をまずは並べ、
その上に 二人でやっと持てるくらい重い演台(たて4mよこ1,5mくらいだろうか)を一枚一枚運んでくみ上げてゆく。
重たい板を運び、一度セットしたあとで、位置を調整するのにも力が必要だ。
その上に椅子を並べ、結構重たい譜面台を倉庫から引っ張り出して並べてゆくと、汗だくになる。
この準備ばかりは、VnもVa管も打楽器も、全員で運び並べすのだが、大活躍するのは女性陣だ。
毎回思うのだけど、オーケストラの女性は本当に働き者で、無論 彼女たちも汗だくだ。
バイオリンやら木管をもつ大事な手指を惜しげもなく重労働に繰り出しているのを初めて見たときは大いに驚いた。
重労働のあとは、埃をかぶった譜面台に雑巾がけしたり、譜面台の台紙を配ったり。
『返す刀』でプログラムへのいろいろな楽団のコンサート情報を挟み込んだり、大活躍する。
さて本日の部隊準備で一番困ったのは、雛壇の設営をどうしたらいいかよく分からなかったことだ。
舞台設営のリーダーを申しつかったものの、半年前の定演で設営した雛壇の形を思い出せなかった。
演奏会で舞台に出るのは8回目くらいだろうか、その数だけゲネプロがあったのに心もとない。
たとえば、雛壇最上段の管楽器のスペースは、大形の舞台板を横並びにして、4枚なのか、5枚必要なのかとか・・・
ティンパニーの台は平台「ベタ」でゆくのか、それとも一低い「枕」をかませた上に乗せるのか。
板は1枚か2枚かとかとか・・・
ゲネプロ前の舞台設営は、毎回必ず行うのだから、覚えていてもよさそうなのだけど、
設営担当が交代してゆくので、忘れてしまうというか、申し送りができていないのだと思う。
そこで、今日決意したのは、出来上がりの状態を絶対カメラに収めて、来春の定期演奏会では迷うことないようにしようと思った。
ところで公演会場についての愚痴だけど・・・
我らが「茂原市民会館」は、残念ながら千葉に数あるホールで一番古くて、ひどいホールだと思う。
市の財政が苦しく、市民会館の立替計画が頓挫しているからで、
ペイントが完全に剥げ落ちた外観から推し量れる通り、狭い舞台、狭くて団員が行き来しにくい楽屋、
響かない音響、トイレも古く・・・これでもか、これでもかというくらい可哀そうな状態だ。
何が可哀そうかといえば、これだけ真剣に練習し、腕を磨いている楽団員だし、
悪い音響に我慢しなければならない近隣市町村の住民だ。(比べて市庁舎の豪華なこと!)
自分が所属し始めて3年半の間にも、多くのプロの人たち、トラさんにも助けられて
楽団の演奏水準は大分上がってきていると思う。もっといいホールで演奏させてやりたい・・・
明日の本番、会場の持つハンディーを乗り越えて、お客さんが楽しんでくれる演奏をしたいと思う。