「いっぽ」のつぶやき

健康に福祉にボランティアにと、自分らしい人生を過ごすために、一歩ずつ歩んでいる「いっぽ」のつぶやきです。

西国三十三箇所巡り

2007-09-20 06:58:11 | 肥後観音寺
昨日は、お彼岸には少し早いですが、お墓参りに行ってきました。
お盆から一ヶ月しか経っていないのですが、それでも落ち葉がたくさんあったので、きれいに掃除をしてすっきりなりました。
お墓への通り道に大きなイチョウの木があるんですが、銀杏の実がいっぱい落ちています。
2,3日前、ニュースで大分の銀杏の収穫の様子が紹介されていたんですが、色づく前に収穫するそうで、まだ青い実をちぎっていました。
ここの銀杏はすでに黄色く、やわらかくなって落ちていて、足の踏み場がないくらいです。
銀杏の実は臭いので、わずかな空間を見つけて、踏まないように注意しながら通り抜けてきました。

今日からいよいよ西国三十三箇所巡りに出発です。
3年に分けて、三十三ヶ寺を回ります。今回は9ヶ寺です。
お昼に出発し、フェリーで大阪まで行き、明日はまず伊勢神宮へお参りをし、その後、霊場巡りの始まりです。
第 一 番 青岸渡寺(那智山寺)
第 二 番 護國院(紀三井寺)
第 三 番 粉河寺
第 四 番 施福寺(槇尾山)
第 五 番 葛井寺
第 六 番 南法華寺(壺阪寺)
第 七 番 龍蓋寺(岡寺)
第 八 番 長谷寺
第 九 番 興福寺(南円堂)

足の痛みがでないことを願いつつ、行ってまいります。
ちなみに、西国三十三箇所の由来がWikipediaにありましたので、紹介します。

「西国三十三箇所(さいごくさんじゅうさんかしょ)とは、近畿2府4県と岐阜県に点在する33ヶ所の観音霊場の総称。この霊場を札所とした巡礼は日本で最も歴史がある巡礼行であり、現在でも「西国三十三所巡礼」として多くの参拝者を集める。

718年(養老2年)大和国の長谷寺の開基である徳道上人が62歳のとき、病のために亡くなるが冥土の入口で閻魔大王に会い、生前の罪業によって地獄へ送られる者があまりにも多いことから、三十三箇所の観音霊場をつくり巡礼によって人々を救うように託宣を受けるとともに起請文と三十三の宝印を授かり現世に戻された。そしてこの宝印に従って霊場を定めたとされる。上人はこの三十三所巡礼を人々に説くが世間の信用が得られずあまり普及しなかったため、機が熟すのを待つこととし、閻魔大王から授かった宝印を摂津国の中山寺の石櫃に納めた。そして三十三所巡礼は忘れ去られていった。

徳道上人が中山寺に宝印を納めてから約270年後、花山法皇が紀州国の那智山で参籠していた折、熊野権現が姿を現し上人が定めた三十三の観音霊場を再興するように託宣を受ける。そして中山寺で宝印を探し出し、播磨国書写山の性空上人、河内国石川寺の仏眼上人と中山寺の弁光上人を伴い三十三箇所を巡礼したことから、やがて人々に広まっていった。

この三十三の数については、観音菩薩が衆生を救うとき、33の姿に変化することに由来すると言われている。西国三十三箇所の観音菩薩を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるとされる。」
コメント
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