クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

ありあけのハーバーカフェ~関内散歩・3

2016-01-15 | まち歩き

 ヨコハマこうえん(公園)のならびに、

「ありあけのハーバー」が うんえい(運営)している、

カフェがあります

(洋菓子のハーバーズムーン→) 

 ヨコハマめいか(銘菓)の、「ありあけハーバー」は、

ウイスキーのびんに、

トリスのおじさんを

描いた、

 やなぎはら・りょうへい(柳原良平)さんのイラストで

おなじみの、

なつかしいおかし(菓子)

 「 ありあけ~の~ハ~バ~♪」 っていう、CMソングにのせて、

この歌を 口ずさんだ

関東人は 多いはず


こちらでは、

ショップにカフェが へいせつ(併設)されていて、

 おちついた空間で、レモンハーバーや、各しゅ(種)ケーキを

食べることができます

 そして、売店の充実っぷりが すばらしいので、

おみやげえらびも

また・たのし

 (左上より時計まわりに、ハーバーズムーン、ブルーベリーハーバー、ミルクモンブランハーバー、とうふく(中華ハーバー)、黒船ショコラハーバー、ダブルマロンハーバー)

などなど・・


 しばらく見ないうちに、かくだい・てんかい(拡大展開)していた

ありあけハーバーに、

  かんしん(感心)します 


(つづく)






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ふるあめりかに袖はぬらさじ(岩亀楼跡)~関内散歩・2

2016-01-14 | まち歩き

 ヨコハマこうえん(公園)は、「洋式公園の最古参」です。

ばく(幕)末に開国して、

外国人が大ぜい・来るようになると、

彼らのあそび場が、ひつよう(必要)となってきました。

 そこで、ゆうかく(遊廓)をつくることを 思い立ち

ばくふ(幕府)が決めた

けんせつ(建設)用地が、

 ちょうど・このこうえん(公園)のあたりでした。

ここら一たい(帯)には、

大・中・小の「遊廓」と

芸者屋が

急ごしらえで

オープンしました が、

 その中で、もっとも・ごうか(豪華)で、

「竜宮城」にも

たとえられた大店が、

がんきろう(かんじ:岩亀楼)です

 (←横浜公園内の日本庭園にのこる、岩亀楼の石灯籠

 がんきろうには、「異人客専門棟」と「日本人客専門棟」の

2つのたてものがあり、

2とう(棟)の遊女たちは、

完全に

区別されていました。

 「異人客」の相手をしていた女たちは、

ラシャメン(かんじ:洋妾)

とよばれて、

さげすまれていたのです

ラシャメンたちの多くは、

高給にひかれて やって来た

まずしい漁村の娘たちで、

美ぼう(貌)も

きょうよう(教養)も

おとっていました

しかし、

それに気づいた 外国人客が

フマンを言い出し、

やがて

日本人客相手の 上級遊女を

はべらすようになりました。

 でも・・・、外国人に対する、おそれやごかい(誤解)がうずまく

当時のこと

 がんきろう・一の売れっ子・きゆう(亀遊)が、

フランス人のラシャメンになることを

苦にして

自害したのも、

そんな時代らしい 

エピソードです。


きゆうの死は、

当時、外国人ぎらいな日本人に 利用され、

かなり

さわぎたてられました

 「 露をだに 厭ふ大和の 女郎花  ふる亜米利加に 袖は濡らさじ 」

という、

じせい(辞世)の歌が ねつぞうされ、

きゆうは、

「異人に屈せず、誇りを見せた日本婦女子

として、

まつりあげられたのです

 きゆうが、「攘夷女郎」にされていく このお話は、

カブキ(歌舞伎)にもなり、

こっけいに

上えん(演)されました


http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/05/


以前、チットは、

坂東玉三郎の ぶたい(舞台)を見て、

「岩亀楼」と ラシャメンに

きょうみ(興味)をもち、

以来 わすれず、

 今日、ここまで来たのです


異人の妾になるのが嫌で、

 死んだ娘もいるだろうけど、

 本気で尽くして、

 外国人と夫婦同然になった女たちも 

 いるんだよね。

 モンブランが、幕府とフランスを結びつけることに成功したのは、

お政の協力のおかげだよ!

徳川慶喜の顧問やってた

ブレアンにも、

美人秘書みたいな お倉がいたらしい。

横須賀製鉄所のヴェルニーには、

純愛で結ばれた

お浅って娘がいて、

2人は 仲良し夫婦だったんだって

 チットは、しらべたことを 発表しました


・・・・・・・

世間の冷たいまなざしも、

こくせき(国籍)も、

文化のちがいも、

のりこえて、つくす。

すなおで

けなげな

女の子たち


 こういう娘たちの 生き方にこそ、本当の日本女子らしさって 

あらわれているんだけどな・・

って

クリンも 思いました


(つづく)




 














 

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横浜市民の常識~関内散歩・1

2016-01-13 | まち歩き

 ちゅうかがい(中華街)北口の 「玄武門」を出ると、

すぐ向かいは、ヨコハマ公えん(横浜公園)です 

 そのしき(敷)地の半分を占めるのは、「横浜スタジアム」

ということで

クリン、

ここで やきゅう・おんち(野球音痴)の

ジェマちゃんに、

てっぱん(鉄板)のしつもんを

してみました

 「ね~、ヨコハマスタジアムって、どの球団のホームだか

知ってる?」

 

「・・・・・

 たぶんだけど、

 横浜ベイスターズ?」 (ジェマ)

 

「はじめて当たったね 「これでも一応横浜市民だからね~

 

 しんかんとく(新監督)は、だれになるか知ってる?

きこうかな、と

思いましたが、

そのしつもんは

むねに しまいました

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

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中華街のふかひれ専門店「廣翔記」~元町中華街散歩・9

2016-01-12 | まち歩き

 子どものころから 「中華街」に足をはこび、そのグルメを食べなれてしまっている

うちのチット

ジェマちゃん。

彼女たちは、

 いったい、どういう・きじゅん(基準)で、この「中華街」200店の中から

今日のランチの店を

えらぶのか?

 クリンは、注目してました 


それは、決まってるよね~。」(チット) 

 「私たちに必要なものを出すお店を選ぶ」(ジェマ)

「ふかひれコラーゲンか


(つづく)


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中華街の門(パイロウ)~元町中華街散歩・8

2016-01-11 | まち歩き

 ちゅうかがい(中華街)のシンボル・「善隣門」

門には 

それぞれ

いみ(意味)があることを 知り、

他の門のことも 気になっちゃった

クリンたち。

 「中華街」を すみからすみまで歩いてみて、

  すべての門を チェックしました 

 「中華街」の門は、家型の門で、パイロウ(牌楼)といい、

全部で10・あります。

その中で

とくにダイジなのは、

 風水にもとづいて たてられた、東西南北の4つの門。

「朝日がさし、街が昇り調子になる

 という、東の「青龍門」 (朝陽門と名づけられてます)

  「平和がずっと続く という、

 西の「白虎門」 (延平門と名づけられてます)

「災厄をはらって、福を呼ぶ」 

 という、南の「朱雀門」

そして、「子孫繁栄」をねがう、 北の「玄武門」

 (亀にへびがからまっています)


そして、

昨日の話に出てきた、

「中華街復興」のシンボル、「善隣門」

石川町駅前にある、「西陽門」。

 かんていびょう(関帝廟)通りのはじめとおわりに立つ、

「天長門」と「地久門」  (どちらも、永遠をあらわしてます)

 ラストが、2つの「市場通り門」

という

こうせい(構成)になっています。


中華街なんて何十回と 

  来てるけど、

  門なんて、今まで大して気にしてなかった~。」

反せい(省)する チットとジェマちゃんですが、

  

 クリンなんて、初めて来たけど、見るべきとこは ちゃんと見ました


すると、チットが

対抗心をもやし、

・・・・・

 私だって

 箸見ただけで、聘珍楼だとかわかるもん。」

言いました。


 「私も、華正楼のお菓子、見ればわかる!」(ジェマ) 「ね~!」


(つづく)







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中華街の歴史と親仁善隣~元町中華街散歩・7

2016-01-10 | まち歩き

 ばく(幕)末の開こう(港)以来、ヨコハマにつくられた 「外国人居留地」。

 その住人の6わり(割)を 占めていたのは、中国人だったそうです

 

 西洋人と 取引をはじめたばかりの 日本人は、言葉のかべ(壁)に 

ぶつかりますが、

 そこを、中国人通やく(訳)の力をかりて、カバーしました

西洋人との取引けいけん(経験)があり、

 日本人とは かんじ(漢字)で ひつだん(筆談)できる中国人は、

とても たよれる存在だったのです。

 でも・・・、そんなふうに かつやく(活躍)していた中国人が つくった町にしては、

今、見る

「中華街」って

 ずいぶん、ごはん屋さんばっかりだな・・

広東・四川・上海・北京の四大料理 

 おかゆ・ヤムチャに、中国茶カフェ・・

ラーメン・まんじゅう・ゴマ団子・バイキング・・ 

 これはこれで、みわく(魅惑)のグルメタウン 

ですが、

れきし(歴史)的・けいい(経緯)を

かんがえると、

 なんか、いわかん(違和感)を おぼえます・・

 

 うちのチットの調べによると、当初 この町のレストランは、

わずか 数けん(軒)しかなく、

ほとんどの中国人は

ぼうえき(貿易)仲介や

両替商、

小売店主などをして、

さまざまに かつやくしていました

 なのに、今は、「中華料理店」と おみやげ屋さんしか 

のこってない。

クリンが フシギに思うのはそこ  でしたが・・・


 それには、「中華街」が直面した、苦なん(難)の歩みが 

関係していたのだということが

わかってきました


 その苦なん(難)とは、明治時代におきた、日清せんそう(戦争)

そして

大正時代におきた、関東大しんさい(震災)

さらに

それにつづいた

日中せんそう(戦争)


まさに!

ひじょう(非常)じたい(事態)と

日中関係の あっか(悪化)

という

在日の人にとっての さいあく(最悪)条件でした

 たくさんの中国人が ここを去り、町は中かく(核)といえる存在を

失いました


そして、

のこった中国人には、ひどい生活と、 

日本人からの いやがらせやさべつが まっていたのです。

そこに 追いうちをかけるように、

 太平洋せんそう(戦争)での、「横浜大空襲」

日本のてき(敵)であった

アメリカ軍の

ばくげきき(爆撃機)に

家も町もやかれ、

ちゅうかがい(中華街)も 

何もなくなってしまったらしい。


・・・・・・

 きびしい時代の れんぞく(連続)で、日本人よりも 多くのものを失ったであろう

ちゅうかがい(中華街)の

住民たちが、

 せんそうがおわって、10年後、

それでも

日本に住みつづけるにあたり

   町の中心にかかげた「善隣門」 

 

 それは、「周囲の国や人と仲良くする!」っていう、

切なる思いをこめた、

「中華街のシンボル」なのでした


(つづく)

 

 

 

 

 






 

 

 

 

 

 

 

 

 

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クリーニング発祥碑~元町中華街散歩・6

2016-01-09 | まち歩き

 さまざまな西洋文明が どう(導)入された、ヨコハマ


元町商店がい(街)以外でも、

各所に

「〇〇の発祥」をうたう

きねんひ(記念碑)を

見つけることができます

 「元町中華街駅」近くの 谷戸坂・つうか中にも

 西洋せんたく(洗濯)・はっしょう(発祥)を きねん(記念)した

石ひ(碑)を ハッケンしました

 

(クリンの本ぎょう(業)はヨコハマ生まれだったんだ


(つづく)

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ポンパドウルのクイニーアマン~元町中華街散歩・5

2016-01-08 | まち歩き

「創業130年」のウチキパン

の 

かげにかくれて しまいがちですが、

元町には もうひとつ、

すごく有名な パン屋さんがあります。

 ポンパドウル(POMPADOUR)元町本店です

 全国に 支店がいっぱいのベーカリー、「ポンパドウル」は

うちのチットが 

学生時代、

クイニーアマンを しょっちゅう買ってた

思い出のお店

 その1号店が ヨコハマ元町にあるとは 知りませんでしたが、

 「思い切り高級で優雅な欧風ベーカリーを 売り文句に、

フランススタイルのパン屋さん

として

この地に開かれた、

ときけば

  (う~ん、ナットク)です。 


 こんにち、東京では、フランスのブーランジェリーの出店も めずらしくはなくなり、

クイニーアマンでも

クロワッサンでも

本場さながらの味を

しょうみ(賞味)することができるように

なりました。

しかし・・

 フォションや、ヴィロンや、ゴントランシェリエの クイニーアマンを買うようになった

今なお、

 チットにとって、「ポンパドウルのクイニーアマン」は とくべつらしい

「・・PAULとかも好きだけどね」(チット) 「せっかく、いい話にまとめたのに


(つづく)






 

 

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ウチキパン~元町中華街散歩・4

2016-01-07 | まち歩き

ヨコハマ元町商店がい(街)

いちばん古いお店は、

 明治時代にオープンした、「ウチキパン」です

 店主のうちき(打木)さんが、イギリス人に おそわって

つくった

イギリスパンが、

日本における、食パンの発しょう(祥) 

 それすなわち 山型食パン、「イングランド」(一斤:360円)です。


それ以前に 日本で売られていたパンは、

外国人の 見よう見まねで

作ってた、

「焼きまんじゅう」みたいな、

「蒸し団子」みたいな、

ひどい 

代物だったらしい

 それにかわった ウチキパンは、

ホップだね(種)使用の だん(弾)力

 シンプルな 小麦のかおりと味 

 トーストした時の、サックサク・かげん(加減)


「パンって、

 こんなに美味しいんだ!」

きっとすごく よろこばれたと思います

そうぎょう(創業)130年のかわらぬ味です (つづく)



 

 

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喜久家洋菓子舗のラムボール~元町中華街散歩・3

2016-01-06 | まち歩き

ハマの活気と

山の手の西洋文化が 

いきづく、

ヨコハマ元町商店がい(街)

 そんな、まちのみりょく(魅力)が ぎゅっとつまった、ステキなおかし(菓子)があるときき

クリンたち

きくやようがしほ(喜久家洋菓子舗)

やってきました。

 元町通りの ちょうどまん中にあります


こちらは

元町を代表する ケーキ屋さんで、

1970~80年代

およばれで 

よそのお宅でいただいたような

 上品で、シックなケーキが、ショーケースにならんでいます

なつかしさに、

つい・コウフンして

あれこれ買いたくなりますが、

 ババロアや レモンケーキをもって、うろうろするわけにも

いかないので、

 おもちかえりに ピッタリな、一番人気の「ラムボール」

買うことにしました

その名のとおり、

 ラム酒にひたした・スポンジを、チョコレートでコーティングした、

大人向けの

おかし(菓子)です

(特大のピンポン玉サイズで、2個・518円)

 けっこう、お酒がきいているので、アフターエイトに うってつけ

ですが!

この おかし、

うまく食べるのが 

むずかしく・・


お酒が弱い ジェマちゃんは

よっぱらってしまい、

 「半分食べたら手が赤くなっちゃった!」と 言ってました (下戸の人は ようちゅうい


一方、

お酒が好きな うちのチット

ラムボールといっしょに

ウィスキーのおゆわりを のんでしまい、

 ラム酒の味が わからなくなってしまいました (こちらも ようちゅういです


(つづく)












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元町の歴史ある店~元町中華街散歩・2

2016-01-05 | まち歩き

 ばく(幕)末まで、わずか100戸くらいの 小さな・ぎょ(漁)村に

すぎなかった、ヨコハマ

 しかし、ぼうえきこう(貿易港)に 指定されたことで、

約2万人の 

インターナショナル・シティへと

生まれかわったそうです


 外国人を受け入れるにあたり、きょりゅう(居留)地をつくる

ひつよう(必要)性から、

ばくふ(幕府)は、

もとの「横浜村」住民たちに

 ほりかわ(堀川)に面した、細長い土地へのいじゅう(移住)を命じました。

すなわち、

 「もとの住人が住む町」。それが、「元町」という名前の由来です


元町は、

右どなりに 山手きょりゅう(居留)地。

 左どなりに、山下きょりゅう(居留)地。

という 立地から、

 すぐに、外国人相手のお店が たくさん開店しました。

みやげもの

家具

洋酒・洋食・洋品を 

あきなって

元町店主たちは、

外国人と したしんでいきます

 その名ごりで、元町には今でも、バタくさいお店が けっこうあります。

たとえば、

日本で初めて 食パンを出した、ウチキパン  (※後述)

 ポンパドウル(POMPADOUR)1号店 (※後述)

きくやようがしほ(喜久家洋菓子舗)  (※後述)

 さらに くつ(靴)のミハマ

   バッグのキタムラ 

 カッターシャツのフクゾー の、

「ハマトラ御三家」  (70・80年代の学生の、三種の神器)

 90年代の学生が、みんなもってた、「スタージュエリー」も、

ここ元町が はっしょう(発祥)で、

昭和21年に 

外国人向け宝石店として スタートをきってます

そしてそして!ステキなレース小物の「近沢レース店」 

 洋食器の「タカラダ」 などなど・・・


トラディショナルに

お客をむかえる

これらの しにせ(老舗)を 

のぞくだけでも

よき・カスタマー体けん(験)となります


 たくさんの絵皿にひかれて ふらっと入った、「タカラダ」で、

店員さんは、

明らかに 買いそうもない

チットやクリンや ジェマちゃんに対し、

すごく ていねいに

オールド・ノリタケの見分け方を

おしえてくれました。

 元町ブランドには、かび(華美)なものは ひとつもありません。

 でも、お客さんたちは ここで 買いものをすることにより、

「優雅な暮らしを作る大切さ学ぶのです (つづく)












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ハマ散歩・はじめます。~元町中華街散歩・1

2016-01-04 | まち歩き

 三が日もすぎ、たのしかったお正月休みが

おわってしまいました

 今日からは、おにいちゃんは おしごと(仕事)。

チットも 

明日からおしごと(仕事)。

だから クリンも、

 何か・しごとっぽいことをして、一年のスタートをきりたい

そんなふうに おもいます。

 そこで! しん(新)年・一発目 のシリーズもの、

「クリンハマ散歩」をアップして

ぶろぐの エンジンを

ふかします


 年末、クリンは、チットやジェマちゃんらと

ヨコハマ(横浜)に 行ってきたので、

取材は すんでいるのです


何度か おとずれている

ヨコハマですが、

 去年の春は、山手をさんさく(散策)しているから、

今回は山下、

すなわち

・元町商店街、

・中華街、

・関内エリアを まわります

 もちろん、テーマは、「グルメと歴史」です


・・『歴史とグルメ』だからね。」(チット)  「あっ。」








 

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赤いレザーの使い道

2016-01-03 | くらし

 先日、冬服を作るために買ってきて、けっきょく使わなかった、

赤いレザー生地(かんじ:革)。

これを

どうしようか?

と かんがえて、

 古くなったイスの座面を はりかえるのに 

使うことにしました。

イスのはりかえは

かんたんで、

以前の布を はぎとって、

その上に 生地をおき、

工作用・巨大ホチキスで

うらがわ(裏側)から とめていけば、

完成

 

 「バキャンバキャンバキャンバキャン

        女の子でも、できます 






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正月二日っぽい風景

2016-01-02 | 日記・エッセイ・コラム

 初もうで・行ったり

      実家もうで・行ったり 

 花びらもち(餅)食べたり と、

クリン家、

みなさまと 

同じかんじで、

家ぞくのそんざいを 決してわすれず、

平和に お正月をすごしています 


(チットのお父さんやお母さんもゆづが好き

 

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2016年のご挨拶

2016-01-01 | 日記・エッセイ・コラム

しん(新)年、

あけまして おめでとうございます

今年もクリンたちのこと、 (家庭画報1月号)

 よろしくおねがい・もうし上げます


「家族の存在を忘れないで~。。」 「あ、ごめん

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