クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

永井隆「長崎の鐘」と、原子力(クリン家ドライブ長崎旅行・7)

2018-01-07 | 旅行記

「あっ うらかみてんしゅどう(浦上天主堂)が

見えるよ

 平和こうえん(公園)のうらから、ゆるい坂道を

行くと、

 ながさき(長崎)で、もっとも・有名な「原爆犠牲者」、

ながいたかし(永井隆)の、記念かん(館)に、

つきます

 

 永井たかし(隆)は、「被爆文学の頂点」に立つ、『長崎の鐘』

書いたことで知られる、

クリスチャンの 

お医者さん

 タイトルの「長崎の鐘」とは、永井さんもくらしてた、

このあたりの

シンボル

 「浦上天主堂」の かね(鐘)のことです。

 (※爆心地近くなのに壊れなかった、長崎復活のシンボルです


 さて・・、げんばく(原子爆弾)が、おとされた時

 永井さんは、「長崎大学の放射線科」に、つとめて

いました。

原子力を けんきゅう(研究)していた・医者が、

みずから、ひばく(被爆)してしまう という、

うんめい(運命)の

皮肉


 さらに、このげんばく(原爆)で、妻を亡くし、

自分も

じゅう(重)症を 負ったにも

かかわらず

 まわりの「被爆者」を、必死で 救おうとした

医者としての

正しきこうどう(行動)

そして、

 うらかみ(浦上)クリスチャンを 代表する、

ふっかつ(復活)への 

ちかい(誓い)・・


 そういうものが、合わさった、彼のエッセイ『長崎の鐘』

は、

戦後ながらく、

世界的な 反きょう(響)を 

よびました


 うちのチットは、かつて、ここ・「如己堂

(にょこどう)」

来たことが あります

 「己の如く、隣人を愛せよ」と、ネーミングされた、

 たった・2じょう(畳)の、ついのすみか(終の棲家)・・


 勝つために 負傷した筈だったのに、

今は

負けるために 負傷したことになっている

この人々こそ、

最も残酷な悲歎の淵に 

投げ込まれたのである。

 これを慰め救いあげる者は、吾をおいて

他にない。」

という、

『長崎の鐘』の一せつ(節)が、ひびきます


 しかし・・ このたび、20年ぶりの再ほう(訪)を

前に、

永井さんの本を

いろいろ・読みなおした

チットは、

 「昔、あまり気にならなかった、彼の『科学者』としての面が

今回

ずいぶん目についた・・」


語りはじめたのです。。


 それは、げんばく(原爆)のさん(惨)状

みまわれながらも、

 原子力のいりょく(威力)に こうふん(興奮)を おさえきれない、

「学者・永井隆」の 

 

『長崎の鐘』前半、永井さんは、こくめい(克明)に

ひがい(被害)状況を

記し

 じょうほう(情報)なんて、ほとんど・入ってこない

ながさき(長崎)で、

 今後、世にもおそろしいことになる、と、「放射能の影響」

かなり・高度に

よそく(予測)しています


 <『長崎の鐘』より、一部・抜粋>


「 かねて 原子物理学に興味をもち、

  その一部面の研究に従っていた

  私達数名の教室員が、

 今ここに その原子物理学の学理の結晶たる原子爆弾の

被害者となって

防空壕の中に倒れておるということ、

 身をもってその実験台に乗せられて 親しくその状態を

観測し得たということ、

 そして 今後の変化を 観察し続けるということ、

まことに 稀有のことでなければならぬ。

 私達はやられたという悲嘆、憤慨、無念の胸の底から

新たなる真理探究の本能が 胎動を始めたのを覚えた。

 勃然として新鮮なる興味が、荒涼たる原子野に湧きあがる。」



 ・・・・ みんなが知っているのは、命つきるまで

「戦争反対」と平和を

うったえつづけた

永井さん。。

 でも、「悪用すれば、地球を破滅せしめる」と けいかい(警戒)

しながらも、

 じんるい(人類)のはってん(発展)と、文化向上

のため、

原子力そのものに、

 きたい(期待)をかけていたらしい・永井さんが、

 「平和利用」が あやうくだれも・コントロールできない

わかった、

今の、原子力をとりまく状況を

見たら、

いったい、どう・考えるのだろう・・? 


 「あーあ、、『長崎の鐘』を、昔みたいに

純粋に読めないよ


福島原発事故が起きた

2011年、

もし永井隆が生きていれば

103歳か・・。

永井さん、『戦争で、原子力など進歩もあったけど、

これだけの人命と、お金とを 平和文化の方へ使ったら、

原子力より

もっと先の学問が、

私たちの手の中に入っていたでしょう』

って

言ってるんだよね


なんという、頭脳・・


 長生きして、「もっと先の学問」を 導いて

ほしかったわ・・。


でも、、

 あの人と、『長崎の鐘』に、これ以上の試練は

与えられないよね


やっぱり、

永井さんが

生きてなくて

よかったか・・。」


と、

 チットが、天国のほうを見て、つぶやきました。。








(その8、「稲佐山駐車場のベストな時間帯」に、つづく)



































 

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2 コメント

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Unknown (ユミ)
2018-01-07 18:54:01
長崎の鐘は、歌謡曲だけ知っていました。
とても美しい曲だなと、かえって悲しみを
感じたものです。
こうした本がモチーフになった曲だったんですね。

これだけの人命と、お金とを 平和文化の方へ使ったら、原子力よりもっと先の学問が、
私たちの手の中に入っていたでしょう。

本当にその通りですね。
この間ふと、同じ地球に住んでいるのになぜ?って
思ったことがありました。
なぜ、あんなことを繰り返そうとするのでしょうね。
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ユミさんへ (クリン)
2018-01-07 19:06:18
ユミさん!
クリン、かなり・おもめなテーマに取り組んだよ!
今回のながさきは、思った以上におもめになったよ・・
げんばくでしょ~、キリシタンでしょ~、
・・・たいへんだよ!
でも、たまには言わねばならないことがあるって、チットがいうから、クリンがんばる。

クリン、「長崎の鐘」の歌のほう知らなくて、昨日ゆ~ちゅーぶできいたばっかり♪
きいてみたら、サビのところ知ってた☆
今回の旅行中、ずっとみんなで、「ああ~ながさき~は~今日も~~雨だったぁ~♪」ってうたってたんだけど、ぜんぜんふられなかったよ(^^b

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