「ミス・サイゴン」の、ひれん(悲恋)に
ナミダした・クリン
しかし、日本にも
げきどう(激動)の時代、同じように
外からやってきた男をあいし、
わかれの定めに・なきながらも
リッパに、子どもをそだてた 女性がいた
と
ききました(チットに)
その名は、アイカナ(かんじ:愛加那)。
かの女があいしたのは、
「明治維新の立役者」、
時は、ばく末。
「改革派」として、とうかくをあらわしてきた
さいごう・どんに、
ばくふ(幕府)の追っ手が、かかりました
さつまはん(薩摩藩)は、
さいごう・どんを
あまみに送り、身を・かくさせました
(・・・こんな島で、
過ごしとる、時間はなか)
さいごう・どんは、あれました
そんな、さいごう・どんの お世話をたくされたのが、
アイカナです
そぼくな娘がタイプの、さいごう・どんは
アイカナをそばにおき、
2人の子を生ませましたが、
「維新の立役者」として、その後も・いそがしく、
さつまにもどったり、
また流されたり、
京都で工作したり、
かんぐん(官軍)をひきいて、江戸に行ったりと
たいへんでした
その間も、
夫のブジ(無事)をいのる・アイカナでしたが、
さいごう・どんは
さつまで 「正妻」を、めとってしまったのです
それでも、アイカナは、
息子・「菊次郎」、娘・「菊草」の
しょうらいを 考えて、
子どもたちを手ばなし、
さいごう家に、わたしました
さいごう・どんは
明治十年に、「西南戦争」で亡くなりますが、
「菊次郎」は
のち、外交官になって
あまみに住む、生母・アイカナに
会いに来たそうです
ブタイは南国・・
あい(愛)に生きた、アイカナ・・
いつか、「ミス・サイゴウ・ドン」として
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