クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

ミス・西郷どん~隆盛が愛した女・愛加那

2012-07-08 | うんちく・小ネタ

「ミス・サイゴン」の、ひれん(悲恋)に

ナミダした・クリン

しかし、日本にも

げきどう(激動)の時代、同じように

外からやってきた男をあいし、

わかれの定めに・なきながらも

リッパに、子どもをそだてた 女性がいた

ききました(チットに)

その名は、アイカナ(かんじ:愛加那)。

Img_7298 あまみ(奄美)の住人です。

かの女があいしたのは、

「明治維新の立役者」、

Img_7307 さいごう・たかもり(西郷隆盛)

時は、ばく末。

「改革派」として、とうかくをあらわしてきた

さいごう・どんに、

ばくふ(幕府)の追っ手が、かかりました

さつまはん(薩摩藩)は、

さいごう・どんを 

あまみに送り、身を・かくさせました

(・・・こんな島で、

  過ごしとる、時間はなか

さいごう・どんは、あれました

そんな、さいごう・どんの お世話をたくされたのが、

アイカナです

そぼくな娘がタイプの、さいごう・どんは

アイカナをそばにおき、

2人の子を生ませましたが、

「維新の立役者」として、その後も・いそがしく、

さつまにもどったり、

また流されたり、

京都で工作したり、

かんぐん(官軍)をひきいて、江戸に行ったりと

たいへんでした

その間も、

夫のブジ(無事)をいのる・アイカナでしたが、

さいごう・どんは

さつまで 「正妻」を、めとってしまったのです

Img_7306 アノヤロ~~

それでも、アイカナは、

息子・「菊次郎」、娘・「菊草」の

しょうらいを 考えて、

子どもたちを手ばなし、

さいごう家に、わたしました

さいごう・どんは

明治十年に、「西南戦争」で亡くなりますが、

「菊次郎」は

のち、外交官になって

あまみに住む、生母・アイカナに

会いに来たそうです

ブタイは南国・・

あい(愛)に生きた、アイカナ・・

いつか、「ミス・サイゴウ・ドン」として

Img_7312 ミュージカルに ならないかな・・

 

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