クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

「高野聖」~玉三郎のシネマ歌舞伎

2012-03-28 | 映画

人気の「坂東玉三郎・舞台」を、

げきじょう(劇場)に 来られない人にも

見せてあげようよ

っていう

「シネマ歌舞伎」

けど、

今回の「高野聖」に かぎっては、

「舞台公演の中継」スタイルではなく、

わざわざ別どり(撮り)して

なおかつ、じっさい(実際)の風景なども 入れて

へんしゅう(編集)し

「幻想リアル」を追求した、まさに!

シネマ+かぶき(歌舞伎)で、ありました

(松竹hp→#mce_temp_url#

その「映像」は

絵まきもの式の「書割」とは

一味ちがう・うつくしさ

より、

昔話のせかい、「飛騨」の山中に

入りこめる

そうち(装置)に なっています。

Img_6077< パンフレット>※実物はもっとすてきです。

さて

「高野聖」の作品イメージでは、

山中に住む孤家の「嬢さま」(女)は

男という男、みんなエジキ(餌食)にしちゃう

「理不尽なあやかし(妖)」

で、ありましたが

玉三郎の「嬢さま」は、

「洪水で家も村も流され、生き残った医家の息女

それが、

頭の弱い夫と二人、

13年も山の一軒家に住むうちに、

自分に近づく男を 獣に変えてしまう力を 身につけた、

寂しい女性で、

妖しの笑みをうかべつつも

聖のような、まともなお坊様には

手を出さず、

自分から離れるよう、かえって追い立てる。」

そんな けなげさ・ありました。

シドウさん(かんじ:中村獅童)えんじる、

「寡黙でストイックな聖(宗朝)」も、

(この人を、ケモノに変えては、いけないわ

「嬢さま」に なさけを・もよおさせてしまう、

おもむきが、ありました

「聖」が

「嬢さま」忘れがたさに・立ち去れず、

ひとり 時をすごしていると、

「爺や」がやって来て、

すべてをバラして、あきらめさせようと するのですが、

正体を知っても、

「聖」は、「嬢さま」を

けいべつ(軽蔑)する風でもなく、

「爺や」のうしろ姿も かなしくて、

よいん(余韻)・ジョウジョウで、おわりました・・

Img_6083 <クリンの作品イメージ:小笠原豊涯「山百合」(明治39年)・・・「白桃」とは、言いがたいからねbyクリン>

よいんと言えば、

途中

「嬢さま」の夫・次郎(白痴)が、

のびやかに「木曾節」を うたい上げる

シーンがあるのですが、

「ふきわたる風のように、

 すばらしかった」

と うちのチットは かたっていました

Img_6075 「高野クリン」

 

 

 

 

 

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