クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

三渓園・秘話

2012-07-17 | まち歩き

おおさんばし(大桟橋)の ご来光を

おがんだ クリンたち

さて

これから、どうしようか? 

と、そうだんし

山下町から とおくない、「三渓園」で

ハス(蓮)の花を見よう

ということに なりました

Img_7463

ハスの 開花じき(時期)は、6時からあいてます

Img_7458

Img_7460 <カメラおじさんたち、集結>

「さんけいえん」は、

明治・大正に

生糸ぼうえき(貿易)で 大もうけした

原さんけい(三渓)が こしらえた

よこはま市・一の

日本ていえん(庭園)です

001 一回り、2時間かかる えん(園)内は、

原家のしてい(私邸)

とか

Img_7469

文化のヒゴ者・さんけいが、

あつめに・あつめた

Img_7490 じゅうぶん(かんじ:重要文化財)が

ほどよく

はいち(配置)され、

ぜいたくです

<聴秋閣>

Img_7476 茶室もいっぱい・ありました

「お金持ちは、やること ちがうね・・」

しょみん(庶民)的・ためいきをつく、

クリンたち

すると、

れきしにくわしいチットの口から

おどろきの昔話が

かたられはじめました

Img_7482 (茶屋にて)

Img_7484 <移築された飛騨の合掌造り>

「岐阜県の、庄屋に生まれた三渓は・・・」

おさないころから

あたまが良く、

東京の大学にすすんで

あとみ(かんじ:跡見学園)の 先生に

なりました。

女学生だった

原家のおじょうさま・やすこ(屋寿子)は

人品すぐれた

若い「三渓先生」に

ぞっこんになり

あととりいなくて 困ってた

原家の父上を なっとくさせて

先生と、むすばれました

Harasankei01 <のちの、原三渓>

さんけいは、

れきしの先生でしたが、

原家に・ムコ入りした日から

商人として しゅぎょう(修行)をつんで

明治のおわりくらいには

「四大財閥」と

かたをならべる 成功者に なったのです

Img_7492 さんけいえんは そのころ作られ、

市民にかいほう されました。 Img_7470

ですが

その・さんけいにも、

一大・テンキ(転機)が おとずれます

それは

「関東大震災」(大正12年)

地元・よこはまが ひさい(被災)して

みんなが困りはてた時、

「三渓園」は

ソッコー炊き出し、はじめました

しんさい・こじ(震災孤児)の 

めんどう見たり、

そんしたなかま(生糸会社)をすくうため、

「数千億円」つかいました

Img_7467 あまりに じぜん(慈善)をやりすぎて、

原家のお金はなくなって

会社はおち目になっちゃって

さんけいのさいごは、

さびしかったそうです。

Img_7457 かんそ(簡素)な ヒツギのかざりには、

お池のハスが かざられて

りっぱな人物・いきました・・・

さんけいは、

「富はためこまず、社会に還す。」

その・てつがく(哲学)を

わすれませんでした

「他人のパンのことも、かんがえよう

って

言ってたそうです

えらいなあ・・。

・・・・・

002 あと、いっこしか・のこってない・・

004 「おにいちゃん!パン食べる?」 「あー、いいよ、そうめんあるから。」

 

 

 

 

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